最後の恋がカッコカリである理由

新曲『最後の恋(仮)』ができました。
最初は本当に仮称の意味で付けていた、カッコカリまでを曲名にしました。

歳を重ねるにつれ、失恋のダメージに対する対処の仕方も少しずつ覚えて、まあ少なくとも「対外的に見苦しい振る舞いはやめよう」とか「なんとか気を紛らわせているうちに時間が解決してくれるさ」とか考えたりするわけですが、一方で実際に心が負っているダメージ自体はより深くなったというか、静かにしかし確実に心の奥の方を抉ってくるというか、そういう感覚もあったりします。
年齢を重ねると痛みを我慢できるようになるってだけで、実際の傷の治りが遅くなってくるのは物理面も精神面も一緒なのかも。

自分の場合は典型的な「恋愛に不慣れ男性ムーブ」として、気さくに話しかけて貰ったり人懐っこい対応をされるとすぐにコロッと行ってしまい、あれだけ好意的に接して貰っているんだからワンチャンあるんじゃ?と思っては「いやそういうんじゃないから…」と言われてしまうパターンを繰り返していて、女性側から見れば「いるいる、困るんだそういう勘違い野郎」と思われる事もわかっているのですが、こちらからすると今回もダメだったか…と、以前の失恋と重ねて「やっぱり自分はダメなんだ」との想いを都度強くしてしまうので、もう恋心は意識してとにかく押さえ込んだ方がいいんだとか本気で考えてみたりもするわけです。

でもそうは思いつつも、やっぱり自分から見て「素敵だな」「尊敬できるな」あるいは「放っておけないな」と思える異性に出会ってしまうと、どうしても理性の外側で惹かれてしまう事になって、最初は「いやいや、また勘違いって言われるんだ」「これまでのパターンと一緒じゃないか、自重しろ」と言い聞かせているのに、気がつくといつの間にか胸の高鳴りが抑えられなくなってきて、そういう時だけは恋愛マウンティングしてくる諸先輩方の「動かないと何も変わらないよ~」みたいな無責任なアドバイスを真に受けて突撃して…。

好きな想いが強ければ強いほど、その想いが叶わなかったときの揺り戻しや喪失感も当然大きいわけで、そういう時には「もう恋するのはやめよう」くらいに考えるわけですが、人の心は移ろいやすいもので、やっぱり多分また自分の中のほとぼりが冷めたら「今度こそうまくいくんじゃないか」という根拠の無い思い込みをかりそめの自信にして、恋してしまうんだと思います。

だからこその「カッコカリ」。
今は確かに最後の恋にしようと思っているけれども…ただその誓いにあまり意味が無いことも知っているからこその「カッコカリ」。
だけれども今はこの大切な想いのやり場を失った事へのせつない気持ちに浸りたい。悲劇の主人公感に酔いしれていたい。
それと共に、歌詞にもあるとおり「自分が大好きに想っている人の幸せを祈ってる」というのも「綺麗事でも構わない」素直な気持ちでもあるのです。

ちなみに私自身はちょっと変態チックですが、せつなさに浸るのは結構好きなんですよね。
三角関係物の作品とかだと絶対に負けヒロイン側に感情移入してしまうし。
やっぱりこれも「せつなさ」が強い=それだけ想いが強かったからというあたりに理由があるような気もしますが果たして。

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