【エッセイ】brillante

 子供の頃、家の近くに小さな劇場があった。格式高い劇場に小さな子供は入れないことが多いけれど、この劇場は地域密着型の小さな劇場であったから、演目によっては「お子様歓迎」の文字がポスターに書かれるのだった。劇場のポスターに「お子様歓迎」の文字が並ぶと、母は私と妹に組曲のワンピースを着せ、劇場に行き「休日にこういうところに来る大人になりなさい」と言った。そして帰りには劇場から歩いて数分のところにあるロイヤルホストで食事をするのが決まりだった。
 私のお気に入りはハンバーグだった。毎回頼んでいたけれど、一度だけ、奇跡的においしいハンバーグを食べたことがある。あ、これ、いつもと違う、と一口目でわかった。薄く衣をつけて揚げ焼きしたみたいにカリッとしていて香ばしく、なめらかなソースと絡むと歯触りが抜群によかったのだ。なんだこれは? ハンバーグとメンチカツの中間? メンチカツに似ていなくもない食感だけど「揚げた」という感じではないし「衣をつけた」という感じでもない。それなのにサクッと歯に当たってジューシーなのだ。まるで初めて食べるものみたいだった。あの時のハンバーグが一番美味しかったのだけれど、それから何度頼んでも、あの奇跡的においしいハンバーグには巡り会えなかった。あれは新人シェフの偶然のミスだったのだろうか。ロイヤルホストでハンバーグを注文するたびに、また新人シェフに当たりはしないかと密かに願っている。
 ある日のコンサート帰り、ロイヤルホストで食事を終えて席を立とうとした時、小学生の私は、指揮者が入店してきたことに気付いた。そう、先程まであの劇場でオーケストラの指揮をしていた指揮者だ。着替えていたから服装はラフになっていたけれどすぐにわかった。
「ねえ、あれ、指揮者さんじゃない?」
私が妹に耳打ちすると、妹も「本当だ。指揮者さんだ」と言い出した。母は「え? そうなの?」と男性の方を見た。私と妹が「絶対そうだよ」「ママ、『コンサートよかったです』って言いに行ったほうがいいんじゃない?」と言ったので、母ひとりがその男性の席の方に向かった。母は「一緒に話しかけに行こうよ」と言ったけれど、私と妹は「やっぱり人違いかもしれない」と急に恥ずかしくなって拒否し、遠くから母と指揮者の男性を見ていた。
 指揮者の男性は母に突然声をかけられて驚いた様子だったけど、母が少し話すと照れくさそうに笑って何度もぺこぺこ頭を下げていた。やっぱり指揮者さんだ、と私と妹は嬉しくなった。母が「娘たちが『指揮者さんだ』って気付いたんです」と話しているらしく、私たちのほうを指さした。指揮者の男性は私たちに気付いて、不器用に、けど嬉しそうに会釈した。
 あの指揮者の男性はまだ指揮を振っているだろうか。さすがにもう顔は思い出せない。けれど私は今でも舞台が好きだから、どこかであの男性が指揮するオーケストラを聞いているかもしれないなと思う。
 母と妹と都合を合わせて劇場に行くという機会はめっきり減ってしまった。それでも私は舞台が好きなままだから、ひとりでいろいろな劇場へ行く。
 劇場からの帰り道で、私はロイヤルホストを探す。三人で食事をしながら誰の歌がよかったとか、どの場面の演奏が綺麗だったとか、誰の踊り方が一番好みだったとか、そんな話をしていた日々が懐かしく、ハンバーグの味だけでも今すぐに欲しくなるのだ。
 「センスの良い子に育ってほしいの」。母の言葉を思い出しては「どうかな」と苦笑する。「こういうのって積み重ねだからね。センスを磨くのは質の良い、小さな積み重ねが大事なんだから」。なるほど。それじゃあ私もまだ「センスの良い子」に育つ可能性があるかもね。過去の母と今の私がハンバーグを囲んで語り合う。ハンバーグは材料も焼き加減も狂いなく調整され、隙なく丁寧に調理されているのがわかって「今回も上手なシェフに当たったみたい」と笑った。取り戻せない過去の煌めきで胸がいっぱいになって「また三人で劇場に行きたいね」と私は思う。まっすぐ帰るのはつまらない。とっておきの寄り道をしなくちゃ。また舞台の眩しさを語って、新人シェフの幸運な失敗を祈ろう。私の故郷の町にある、小さな劇場のすぐそばの、ロイヤルホストで。

#ロイヤルホストで夜まで語りたい

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