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何も触らない撮ったままの写真が尊くなるAI時代

このところ、ベランダにさく春菊の花ばかりTwitterに投稿しています。

写真の本当の価値って何だろう?
AI編集の時代に考える。

 「まるで別人!」と驚くよりも、自分の素直な気持ちを表現したい。写真に込める想いとは。

画像生成AIがどんどん進化してます。先日、Adobe Firefly の話も書きました。人の手など、まだまだAIが苦手とするものもありますが、克服するのも時間の問題だろう。

AIが流行る前からSNS上では「〇〇を撮ったらアニメの世界だった」というような写真が溢れている。実際は「撮ったら」ではなく「編集したら」なのだ。

嘘をつくのはAIでもSNSでもなく人なのだ。

そんなことを考えると、すでにAI生成画像がSNS上で「撮ったら〇〇だった」的な感じで溢れていたとしても不思議ではない。

生成系AIを否定しているのではないし、画像編集を楽しむことも良い。私自身も、生成AIを楽しむし、画像編集する。楽しいから。

編集ソフトにもAIが組み込まれてくる。すでに何らかのAIが入っているはず。編集ソフトで少しでも写真を触れば、それはもう画像生成AIとの境は曖昧になる。

こんな時代だからこそ、何も触らない撮ったままの写真が今よりずっと尊くなってくるんじゃないかな。

カメラにもすでにAI技術が使われている。今は、オートフォーカス、画像認識の分野で採用されている。今後は、画像そのものを変化させるAIも搭載されていく流れになるだろう。

だとしても、その場所で、その時に、誰と、何を考えてシャッターボタンを押したのか、その瞬間の記録である意味は大きい。その後に何か触ったものとの違いは大きい。

そう思う。

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