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『虚空領域へ』
内臓が浮き上がるような、感覚。
機体の大きさに対して細く長い脚を、蹴り出して。
やがて、視界が、開ける。
操縦棺の全視界型ディスプレイから見る世界は、粉塵が起こすノイズを取り除いた空と、海と、それから視線の先に存在する、「敵機」の姿。
――粉塵?
頭の中によぎった自らの思考に、スリーピング・レイルは問い返す。
その思考を読み取ったかのように、ディスプレイの片隅に表示されるのは「粉塵」についての短い解説。
この世界は、重粒子粉塵兵器と呼ばれる攻撃兵器によって、著しく汚染されている。大気から何から何まで赤錆びた粉塵に満たされており、人は生身では外界に出ることは許されない、とも。
「……そんな、ことが?」
にわかに信じらない。頭の中にちらつくのは青いイメージ。空、というものを定義する、色。いや、この色彩のイメージだって果たして正しいのかどうか。
スリーピング・レイルは、今より過去の記憶を持たない。自分の記憶も、ここ――「虚空領域」にまつわる記憶も、何もかも、粉塵の向こう側に取り落としてしまっている。目覚めたら見知らぬ廃工場に立ち尽くしていて――その場にあった機体に乗り込むことになった。それだけ。
だから、自分が何のために戦うのかも、正直なところわかっているとはいえない。ただ、ただ、頭の中にがんがんと鳴り響く警鐘と、戦わねばならないという自分でも理由の分からない義務感に突き動かされて、操縦棺に潜り込んだ。
何もわからないはずなのに、何故か、どうすればいいのかは、わかる気がした。この機体に備えられた兵装は、まるで自分の体の一部、もしくはその延長のように感じられる。自分のために存在している、かのよう。
もう一度、服に縫い留められたエンブレムとそこに書かれた『スリーピング・レイル』という文字列をなぞる。今の自分を定義する、唯一の手掛かりを。
機体がゆるやかに首をもたげて、その先を見据える。
未識別機動体――前線偵察機シュヴァルベ・ドライ。
それが「何」なのかはわからなくとも、今の自分が倒さなければならない「敵」なのはわかる。
だから。
「行こう……、『スリーピング・レイル』」
自分に、自らと同じ名前を名付けた機体に、呼びかける。
そして、眠れる鳥は、鋼の翼を閃かせる。
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