漫画評|『いちご100%』河下水希①
漫画好きの人と話すと、決まって言われることがあります。
「『いちご100%』は読んだ方がいい」
それを最近読みました。
「もっとこの漫画を読んでほしいな」
「今でもこの漫画を読み直してほしいな」と思ったので、
評説を残したいと思います。
メインストーリーの整理
主人公の真中には2つの夢があります。それが「いちごパンツの女の子」と「映画」です。前者は恋愛、後者は将来。物語はこの2つの夢を軸に展開していきます。
物語の主要なテーマは「いちごパンツの女の子は誰だ!?」です。これは話が進んでいくにつれて、「いちごパンツの女の子を探せ!!」から「いちごパンツの女の子になるのは誰だ!?」へと解釈が変わっていきます。夢の存在である「いちごパンツの女の子」になるために等身大のヒロインたちがどうやってジャンプしていくのか、これが『いちご100%』のひとつの楽しみ方です。
そして、もうひとつの主要テーマは「真中は映画監督になれるのか!?」です。真中とヒロインたちは映画作りという部活動を舞台に様々なラブコメディを展開していきます。登場人物たちは真中との関わりあいの中で将来に向けてそれぞれの進路を決定していきます。
登場人物の役割整理
ヒロインたちはみんな、等身大の存在です。けれど、ちょっとややこしいのが西野、そして、かなりややこしいのが東城です。
ここで言う「悪魔」とは「本命の相手への気持ちを試す存在」です。物語の序盤では西野がそれを担い、終盤にかけては東城がそれを引き継ぎます。そして、同時に「いちごパンツの女の子」の役割も東城から西野へと引き継がれます。この役割のスイッチが『いちご100%』の物語に厚みを持たせています。
一見すると、他のヒロインたちも西野と同じ役割を持っているように思われるかもしれません。けれど、物語のヒロインははじめから東城か西野かの二択です。なぜかと言うと、他のヒロインたちは「いちごパンツを履いていないから」です。
中でも東城は重層的で、常に不確定な存在です。ふたつおさげの地味な眼鏡っ娘かと思えば、コンタクトにして髪をほどけば誰もが振り返る美少女。かたや真中の運命の女の子として登場したかと思えば、真中の西野への気持ちを試す悪女のように振舞う。①②の東城は「真中の2つの夢」に深く絡んだ存在であり、物語のふたつの主要テーマにおいても大きな役割を果たします。
一見すると、東城は王道ヒロインのように思われますが、実は、得体のしれない不気味な存在です。東城エンディングが潰えて、西野エンディングがほぼ確定になった直後の「第164話 あの日のノート」の扉絵は東城の姿絵なのですが、それはちょうど「指名手配書」のように印象的です。普通の人のように見える証明写真、その人物が実は殺人犯だったと知るときのあのえも言われぬ不思議な感覚。それは、東城が今後も物語を動かすだろうことを暗示しています。そして、④の「小説家としての東城」は、直接的には物語に関与せず、けれど、やはり決定的な働きかけをします。いわば、物語の外の存在です。このように、東城は多分に可能性を秘めた圧倒的な存在です。
『いちご100%』が描いている素直なこと
読解の端緒として「運命」というキーワードで物語の大枠を整理したいと思います。
まずはじめに、真中と東城の出会いは運命です。東城のセンセーショナルな登場シーンは象徴的ですが、それを見た当時の編集担当の方は、「いちご果汁100%」という意味ではなく「いちご降水確率100%」という意味で『いちご100%』というタイトルを付けたそうです。真中と東城の出会いは必然だったということができます。
物語の前半は東城エンディングを思わせる部分が多く、作者の河下水希さんも当初はその想定で筆を進めていたそうです。ところが、物語は真中が西野を選ぶところで終わります。
東城と西野は対照的な存在です。象徴的なのは進路の決め方です。東城は、真中が行くからという理由で当初進学予定だった桜海学園よりも学力が低い泉坂高校に進学し、親の勧めに従い推薦で慶法大学へ進み、才能を発揮する分野である小説で編集者に言われるがままに物を書きます。西野は、東城と同じことをしていては真中を射止めることはできないという理由で泉坂高校進学を辞退して桜海学園に進み、当初は料理が不得手だったにもかかわらず、夢であるパティシエになるべくフランスへ留学します。東城は運命に乗り、西野は運命に反ります。
そして、物語は西野エンディングで終わりを迎えます。『いちご100%』が描いている素直なことは、西野の視点から整理すると「動けば運命を変えることができるということ」、東城の視点から整理すると「動かなければ運命でさえ変わってしまうということ」です。
下記、後編
初稿:2022年4月13日