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漫画評|『いちご100%』河下水希②

この記事は後編となります

東城と 「いちごパンツの女の子」と「映画」

物語は、「いちごパンツの女の子」が空から降ってくるところから始まります。それから、真中は「いちごパンツの女の子」を映像におさめたいと思います。「いちごパンツの女の子」の正体は東城です。けれど、東城は「いちごパンツの女の子」になることなく、物語はエンディングを迎えます。

東城がジャンプしたシーンを3つピックアップします。

ひとつめ、高校3年目の映画撮影合宿での告白シーン。学園祭で発表する映画のワンシーンの中で、ヒロイン役として東城は主人公役の真中にアドリブを通じて告白する。

「いちご100%」16巻   第135話 SCENE122

ふたつめ、高校3年目の学校祭での扉ごしの告白シーン。真中は西野と付き合い、映像研究会での活動も終わったところで、東城は居ても立ってもいられず、しかし、内気で奥手な性格から扉ごしに真中に告白する。

「いちご100%」17巻  第152話 love drive

みっつめ、受験勉強中に居眠りしてしまった真中にキスするシーン。真中はすでに西野と付き合っているものの、魔がさした東城は罪悪感を振り切って居眠りする真中にキスをする。

「いちご100%」18巻 第161話 ふたりきり

どのシーンでも真中と東城の間には「隔たり」があります。それぞれ「演技」「扉」「睡眠」。「いちごパンツの女の子」=「真中が夢に見る東城」を現実のものにするには、東城からジャンプするしかありません。というのも、作中で真中は「真中が夢に見る東城」に対しては尻込みをするからです。「東城が一言 俺のこと『好き』って言ってくれたら もう何も迷わないのに」とは真中のセリフです。そして、東城は果敢にジャンプします。けれど、どのシーンでも東城は「隔たり」を超え切ることができません。だから、「真中が夢に見る東城」は夢のままで終わります。

「第163話 あたしから」で、内気な東城が自ら自分にキスしたことを知った真中は、泣きながら回想します。「あの頃 お互いの気持ちに気づいていれば ちゃんとその想いを伝えていれば 俺たちの『今』はきっと……」。ふたつおさげの眼鏡をかけた東城が、髪をほどき、眼鏡をはずし、笑顔で真中から走り去っていく、その後ろ姿をただ見つめるだけの真中、というコマ送り。東城が象徴しているひとつのことは、「叶わない夢ほど美しく見える」あるいは「夢は夢のままだから美しい」です。

また、東城のふたつめのジャンプシーンの時には、もうすでに真中から東城を選ぶこともありません。それは、真中が「1508」と書かれた紙を西野の前で破き捨てたことに象徴的です。「1508」と書かれた紙とは、自分と同じ番号が書かれた紙を持っている異性を探すという学校祭イベントで配られたものですが、もうひとつの「1508」の紙を持っているのはもちろん東城です。このとき、真中は運命に乗らず、運命に反ります。

みっつめのジャンプシーンの後で、東城は物語が始まるきっかけとなった、数学のノートに書かれた小説『石の巨人』を書き上げます。小説『石の巨人』は、真中と東城ふたりだけの強い繋がりを象徴していますが、完成したこの小説はいったいどういう役割を持ったものでしょうか。東城はこの小説をどうやって書き上げたのか、描写は一切ないので、彼女の意図はありものの情報から引き出すしかありません。

小説『石の巨人』のあらすじはまさに真中と東城と西野の関係の鏡像で、小説の主人公は最終的に東城を彷彿とさせる幼なじみの少女の元へと帰っていきます。東城はこの完結までに4年ほどの時間をかけますが、その結末は最初に考えていたものを選びました。第1話の最後で東城はこう言います。「あの物語の最後 すべての戦いが終わって 疲れ果てた体で 主人公が帰ったところは 美しい王女のもとではなくて 同じ志を持った女の子のところだったのよ」。

これを読んだ真中は「でも今は一小説家としてあの結末を書いたんだと思う」と言います。そして、卒業式の日、みっつめのジャンプシーンの後でははじめて真中と会話した東城はこう言います、「あたし これからやれることたくさん頑張っていくから 真中くんもまた素敵な映画 作ってね」。

思うに、東城は、「小説好きのモブ女の子」=「真中と夢を見る東城」が真中と一緒に見る夢は、夢のままにしたくなかったのだと思います。つまり、「真中と一緒に映画を作りたい」ということです。「第95話 SWEET GIRL BITTER LOVE」で東城は「あたしの夢は真中くんと一緒に映画を作ることだから……!」と言って、本気で真中と同じ大学へ進学しようとします。恋破れて、友人関係でさえ継続できるか定かではないなか、東城は小説を届けることで「真中と夢を見る東城」だけは生き繋ごうとしたのだと思います。

これを読んだ真中が、東城の意図を汲み取ったのかどうかは定かではありません。けれど、小説『石の巨人』は確かに、真中を映画作りへと駆り立てました。そして、西野に別れを切り出す中で、真中はこう言います。(東城の小説『石の巨人』を読んだ上で)「だけど 俺がどんなにその映像を思い描いても 今のままじゃ 夢は夢のままでしかないんだよな」。もしかすると、真中の頭の中には夢のままに終わった「真中が夢に見る東城」のことがあったのかもしれません。いずれにしても、真中はその後の4年間でフィルムを撮りつつ、小説『石の巨人』を映画にするために世界中をロケハンして周ります。そして、再会した真中と東城は必ず小説『石の巨人』の映画を撮ることを約束します。そこでの東城は、小説『石の巨人』に託した自分の想いが真中をどう動かしたのかを確かめていくように表情が変化していきます。

これが「小説家としての東城」=「運命を編むことができる人」としての東城です。この一連に、東城は登場人物としてはほとんど関与しません。代わりに、彼女の書いた小説がある限りです。

西野と 「いちごパンツの女の子」と「映画」

西野はどうして運命を変えることができたのか。

思うに、東城エンディング不確定演出は多かったものの、西野エンディング確定演出はワンシーン、それも終盤ギリギリに描かれています。東城と西野は真中との別れ方に関しても対照的です。

「第163話 あたしから」では東城と真中の別れが描かれています。真中は追いかけず、東城は振りむかない。真中は思います。「もう一度 振り返ってくれ 東城!……いや 振り返るな 振り返るな 東城!」。東城も真中も涙を流しますが、ふたりとも、そのまま別れます。

「第165話 旅立つまで」では西野と真中の別れが描かれています。真中は追いかけ、西野は振りむきます。そのシーンの前に、西野は真中に言います。「動いちゃダメ!!あたしも もう振り向かないから 淳平くんもこのまま帰って!!」。けれど、西野も真中もその言葉を破り、ふたりとも、改めて向き合います。

これは東城エンディング不確定演出であるとともに、西野エンディング確定演出でもあります。これはひとえに真中が東城を選ばずに、西野を選んだからだです。だとすれば、どうして真中は西野を選んだのか。

それは「真中の2つの夢が挫折しかけた時、そばで支えたのが西野だから」です。そのシーンが描かれているのが「第144話 甘えていいよ」「第145 欲張りな唇」です。「真中の2つの夢」とは「いちごパンツの女の子」と「映画」です。前者は東城に彼氏ができたのではないかという疑惑、後者は映画のために進学希望していた大学へは行けないのではないかという不安。真中が向かう先を失いかけた時、西野は彼に居場所を与えます。

ただ、このシーンは決定打でこそあれホームランではなく、西野はそれまでに継続的なヒットを打ち続けていることは見落とせません。僕の記憶違いでなければ、ガブリエル・シャネルの言葉にこんなのがあります。「別れ際にも口説くこと。後ろ姿は大切よ。」これは心理学で言う「親近効果」です。西野はこれが抜群にうまいです。西野はどんなことがあっても真中と笑顔で別れます。細かい部分を除けば、西野がこれに失敗するのは、「第151話 どうして…?」の1回だけです。

そして、東城が真中のもとに降ってくることで始まった物語は、西野と真中が再会するところで幕を閉じます。「一人じゃこんなに果てしない夢を追い続けることはできなかった気がする だけどみんながいたから 東城(きみ)がいたから−…」「そして俺は 大好きな西野(きみ)と共に 新たな未来(シナリオ)を描いていく」。『いちご100%』は、映像のワンシーンをイメージしたカットに東城と真中が映るコマから始まり、そして、最後はカメラに映った西野と真中のコマで終わります。つまり、フィルムは東城で始まり、西野で終わります。ここは解釈の余地がある部分です。私は、上述の真中の言葉も合わせて、『いちご100%』で描かれるのは東城と真中の過去の物語、そして、『いちご100%』の外側で描かれるのは西野と真中の未来の物語だと読んでいます。

補遺

補遺は、私の気持ちも含めておまけです。

少し期待していることがあります。それは「著者である河下水希さんが続編を描くとすればどんなものになるか」です。もちろん『East Side Story』のことは存じておりますし、なぜ東城の物語であったかも分かります。なので、それに関しては全く異論ございません。

もし私が読者として少し期待を述べてもよいのだとすれば、それは「小説『石の巨人』を描いてほしい」ということです。小説『石の巨人』というのは作中に出てきた名称ではなく、東城が数学のノートに落書きしていた小説のことを、私が便宜的に名付けたものです。

どうして私が小説『石の巨人』を読んでみたいのかというと、それが東城エンディングだった場合の物語である可能性が少なからず存在するからです。

作中で真中は「東城は、俺が東城を選ばなかったこととは関係なく、一小説家としてあの小説を書き上げたのだと思う」と言っているので、それはそうなんだと思います。私もその線で物語を読解し記述しました。でも、失恋の後で書き上げた小説に私情が一切こもらないことはありえるでしょうか。ましてや18歳の青年の作品が。小説家であることと一人の人間であることは両立すると思います。というよりも、そういう深い経験が、小説家をより小説家らしくするのではないかと思います。

やはり、著者の河下水希さんのもとには東城ifエンディングを熱望するメッセージが多数やってきたそうです。私は、ifエンディングが見たいわけではありませんが、小説『石の巨人』の内容は気になるし、実際、それが実在するのであれば、本作『いちご100%』のストーリーを阻害することなく、それを擬似的に東城エンディングのパターンと読むことはできると思います。

あとは、太陽が東から上り西へ沈むように、物語が東城で始まり西野で終わるのは粋だと思います。


ご一読いただきありがとうございました。


下記、前編

初稿:2022年4月13日

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