Le goût du péché
しばらく散髪を後回しにしていたために伸びた髪が、はらりと顔に落ちる。無意識に顔を振りそれを払うと、アレクサンドルは慣れない様子で動かしていた手を止めた。
「どう?」
「もう少し固くしないと」
ほら、垂れてしまうよ、とアレクサンドルの手を持ち上げるシャルマンに、アレクサンドルは諦めたようにまた動き始めた。かなり疲れてきた様子で、首元に汗がにじむ。
「君が言い出したんだろう」
「こんなに大変だなんて思ってなかったんだ」
「初めてにしては上手だよ」
「どうも」
話しながら、また髪が顔に落ちる。アレクサンドルの顔をくすぐるように、体の動きに合わせて前髪がふわふわと揺れた。
「あと、まさかこんなに使うなんて思わなかった」
「何を?」
その様子をすぐそばで楽しそうに眺めながら、シャルマンが笑う。伸ばした手で前髪を掬い、いくらか汗ばむ肌を撫でるように耳にかけた。
「砂糖」
アレクサンドルはわざとらしく大きなため息を吐き出し、つい先程計量に使ったばかりの匙を恨めしげに睨みつける。眼前の砂糖の瓶の中身の減り具合を確かめ、恐怖にも似た感情をその瞳に宿した。
「君が以前これくらいが好きと言っていたから、それに合わせたんだが」
「恐ろしい事実だ」
隣に立つシャルマンがカラカラと笑い、混ざる音が重たさを増してきたアレクサンドルの手元の生クリームを見やる。
「シフォンケーキには、泡立て器で持ち上げたときにいくらか掬えて角が柔らかくできるかできないかくらいがいい。七分立てと八分立ての間くらい」
「わかんないよ」
「まあこれも好みだ。そろそろいいかな」
やっと終わった、ともう一度ため息をついたアレクサンドルは泡立て器を手放し、腕の疲労を散らすように手を振った。アレクサンドルが今や自分のもののように着こなしているシャルマンのいつものエプロンには細かなクリームの飾り(丶丶)が見受けられた。
ことが終わればあとは食べるだけ、とつまみ食いに使われた代表的な食器たる手を洗いながら、アレクサンドルはまた滑り落ちてきた前髪を邪魔そうに振り払う。
「君はここに来る前に髪を切りに行ったらどうだい」
同じく手洗いを待つシャルマンが、まだ拭く前の濡れた手で髪を掻き上げるアレクサンドルの顔を覗き込んだ。
「忘れるんだ、ついね」
「そんなに気が急いてしまうくらい私が恋しいと」
「なんせ、甘いものには目がなくて」
目も合わせず口をへの字に曲げ答えたアレクサンドルは、慣れた様子でそのまま紅茶用の湯を準備し始めた。そういうことにしておいてあげようと笑って自分も手洗いを済ませたシャルマンが、おおよそ冷めたシフォンケーキと、それを待つ間にアレクサンドルがやってみたいと手ずから泡立てた生クリームをデザートプレートに愛らしく盛り付けていく。
アレクサンドルが持ち込んだ果物や、ほとんどアレクサンドルのために常備されているジャムを添えたそれは男しかいないこの場には似合わないほどに華やかだった。
「エプロン、ベトベトだ」
「着ておいて正解だったろ」
「あなたがやっているときは最後まできれいなのに」
「慣れだよ、何事も。次もよろしく」
司祭館を訪れるようになった当初にはこわごわ触れていた茶器を随分とスムーズに準備しながら「もういいかな」と肩をすくめるアレクサンドルの姿を見て、シャルマンが笑った。
タイトル日本語訳:罪の味
2022.06.12 初稿
2024.02.09 加筆修正