私のかわいい子猫ちゃん 10

「裄丈が違うが、アームベルトでなんとかなるだろう。ジャケットの中でもたつくかもしれないが、帰る間くらい我慢したまえ。首周り、は、どうしようもない。諦めてくれ」
 そう言って渡されたワイシャツの着慣れない上等な触り心地と余る袖や胴回りに妙な緊張を覚えながら、アレクサンドルは長い裾を無理矢理にスラックスに突っ込みベルトを締める。鏡を前に髪を適当に撫でつけたところで、支度できたら部屋に来てくれ、と外から声がかかる。これ以上身なりを整えようもないし、とそのままバスルームを出ると、部屋に戻ろうとしていたシャルマンが早いねと笑った。
「髪、ちゃんと乾かしたのかい?」
 部屋まで誘導するように自然と横に並んだシャルマンは、背中に添えた手をそのままアレクサンドルの襟足まで運びもてあそぶようにくしゃりと後ろ髪を混ぜる。先程までシャワーを浴びていた体には少し冷たい指が首筋をかすめ、アレクサンドルはくすぐったさから反射的に頭を振った。
「いつも以上に。こんな上等なシャツ、濡らしたら天罰が下りそうだ」
「そんなの気にしなくていい。なんなら返さなくてもいいよ。寝間着にでもしてくれ」
 冗談じゃない、と顔をしかめシャルマンの手を払うアレクサンドルを見て、シャルマンは短く笑う。
 部屋に戻ると起き抜けのままだったベッドはすでに整えられ、いくつかの小物が小さなテーブルに並んでいた。シャルマンは迷いなくそのうちの一つを手にすると、ワードローブの姿見の前にアレクサンドルを立たせ丁寧に袖丈を調整し始める。
「泥だらけで帰ってくる私の子猫のために、次からは着替えくらい用意しておこう」
 さらりとそう言って、かちり、とアームベルトを留めた。アレクサンドルの肩口から一緒に鏡を覗き込みながら丈が問題ないことを確認し、満足そうにため息をつく。かすめる呼気とその言葉に耳を赤くしたアレクサンドルが居心地悪そうに肩をすくめた。
「もうないよ、こんなこと」
「またあってもかまわないと言っているんだ。いつでもおいで。私は君を拒絶しない」
 手際良くもう片方の袖丈を整えたシャルマンは、よろしい、とアレクサンドルの肩を軽く叩く。カフスはいるかと問うシャルマンに、アレクサンドルがブンブンと顔を振って答えた。
「さて、次は食事だ。準備しているが、もう食べられるかい」
 促すシャルマンの言葉に、アレクサンドルは少しの逡巡のあと、いつも通りに袖をまくった。糊の利いた袖はしわなくきれいに畳まれる。
「お腹空いた」
「なによりだ」
 アームベルトにまくった袖というちぐはぐな姿に、シャルマンはおかしそうに笑ってアレクサンドルの髪を混ぜた。

2022.02.06 初稿
2024.02.06 加筆修正