Tu fui, ego eris. 1
「君、今晩は泊まっていくのかい」
残っていた仕事を片付け解放された昼過ぎ。散歩がてら訪れた司祭館で出された華奢なケーキをいくつか食べ終え、冷たい空気に緊張していた体もすっかり温まった頃、夕食の誘いと一緒にその質問は投げかけられた。いつもと若干調子の違うシャルマンの物言いに、なにかの誘い、あるいは拒否の色を感じ取ったアレクサンドルが視線を向けると、シャルマンは特に普段と変わらない声音で続けた。
「私は今晩、と言っても日付が変わってからになると思うが、少々出かけようと思っているんだ」
どことなくご機嫌な雰囲気にあまり長居すべきではないかもしれないと男の勘を働かせたアレクサンドルが、嫌味にならない程度に質問を投げ返す。
「まだ決めていなかったけど、お邪魔であれば帰るよ。それより、そんな時間に一体どこへ」
「いや、全く邪魔ではないから泊まってもらってかまわないよ」
先程まで美しいケーキが乗っていた空のデザートプレートをテーブルに戻しながら、なんでもない様子でシャルマンが言う。
「そろそろ墓参りでもしようかと」
「墓参り」
誰かとの約束だろうと踏んでいたアレクサンドルは、想定外の返事にその言葉をただ繰り返した。姿勢を改める必要などないとわかっていながら、何故かもたれていたソファから背を浮かす。きしり、とかすかな音が客間に響いた。
「君がよければ、一緒にどうだろうかと思って」
「……墓参りというのは、そんなにライトに赤の他人を誘うものなのか」
まるで散歩にでも誘うかのように提案された話に、ついていけていない故に真面目な顔で問うアレクサンドルの様子をシャルマンは意に介さない。いつもどおりにくつろぎ、いつもどおりの雑談の空気をまとっている。
「さあ。どうだろう。私が君と行きたいだけだ」
「墓に、俺と」
「そう。〝彼〟の墓だ」
それは夕食の誘いついでに軽々としていいものなのかと頭上に大量の疑問符と感嘆符を並べ目を丸くするアレクサンドルを無視して、穏やかな笑顔のままシャルマンがティーカップを手に取った。
「ここ最近、ずっと、そろそろ行ってもいいかなと思っていたんだ」
「そんなに行ってないの?」
「一度も行ったことがない」
くつろいでいるが故のいくらか崩れた姿勢でもシャルマンが紅茶を飲む姿は美しく、その見目と話す内容のちぐはぐさにアレクサンドルの思考は混乱の一途をたどるばかりだった。どういった理屈か不明なままにそれが当然のように振る舞われ丸め込まれることはこれまでにも何度かあったが、今日のそれはまた一段とすごい、と鼻の頭にしわを寄せる。
「……全然話がわからない。初めての墓参りが怖いから俺を連れてくってこと?」
「私が墓場を怖がるわけがないだろう」
アレクサンドルがから回る頭で無理やりに導き出した理由は、呆気なく、軽い笑い声を伴って否定される。シャルマンの動作につられて持ち上げたカップから飲み込んだぬるい紅茶が甘さの残る喉を洗い、いくらかの冷静さをその場に留めた。
「じゃあなんで」
「いや、一人でもいいんだ。ただ」
「ただ?」
もったいぶるわけではないものの言葉を選ぶように少し黙り込んだシャルマンが、ソファに背を沈め顎を持ち上げる。視線をさまよわせながらため息をつく、どこか尊大な空気を含むその仕草が嫌に様になっているためか、アレクサンドルは後に続く言葉は当然受け入れるべきものと本能的に理解した。
「君なら連れて行ってもいいと思った」
その言葉は傲慢で独りよがりながら、醸し出す空気も相まって有無を言わせずにアレクサンドルを納得させる。シャルマンのその結論を否定する術は当然誰も持ち得ない。
「……よくわかんないけど」
雰囲気に呑まれぐうと喉を鳴らしたアレクサンドルは、詰まる胸をほぐすようにため息をこぼした。
「あなたが、俺と行くことに意味があると言うのなら付き合いましょう」
「そうか。ありがとう」
シャルマンの褒めるような甘い笑顔がアレクサンドルの言葉と返事を肯定する。こうしてたまにこぼれ落ちるシャルマンの「飼い主然」としたその空気をアレクサンドルは拒めず、また素直に受け入れることもできずにいた。体の中心をくすぐる感情の正体がわからないままに、ぐんと圧迫されるように質量を持って熱くなる鼻根をごまかし指で掻く。
「遅くなるが、明日の予定は大丈夫かい」
「全く。もともと寝て過ごすつもりだった」
「そちらのほうが快適で幸福かもしれないが」
「いいや、かまいませんとも。いくらでも付き合いましょう。仕事柄夜ふかしは得意なんでね」
軽く笑ったシャルマンの少しくすぐったそうな顔に、どうやら希望に添えたようだとアレクサンドルもホッとしたようにぎこちなく笑った。
2022.05.03 初稿
2024.02.08 加筆修正