Joyeux Halloween

 冬支度も進みつつある穏やかな日差しのある日の午後、司祭館に控えめなノックの音が響く。はいはいただいま、と軽やかに応えた司祭が扉を開いた目線の先には誰もおらず、おや、と思う間に想定していたよりも下方から声が響く。
トリック・オア・トリートデ・ボンボン・ウ・アン・ソール!」
 見下ろし、がっちりと絡んだ視線の先の春の空のような透き通る瞳には緊張が滲みつつ、それでも期待の輝きの方が強い。
「……あっ! ハロウィーン!!」
 一瞬の間を置いて自分が発したよりもよほど大きな声で叫ばれ、首から黒いマントと三角帽子を下げた少年は目を丸くした。
「随分と大きな声だ。魔物にいたずらされたのかい」
 司祭の叫び声とは対象的なのんびりとした穏やかな声が家の奥から飛んでくるのを聞いているのかいないのか、司祭はその場に膝をつき少年と目線を合わせる。若干乱れた少年のマントの位置を丁寧に直すと、こんにちは、お菓子ですよね、と姿勢を正し改めて確認する。こんにちは、と礼儀正しく挨拶を返した少年がこくんとうなずく愛らしい姿に怯み、司祭は一度天を仰ぎ、すぐにうつむいたかと思うとまた声をあげた。
「ちょっと! シャルマン! どうしよう!」
「君、さっきからうるさいぞ。私はこれから昼寝するんだ」
 奥からひょこりと顔を覗かせた黒髪の男は跪いてうなだれる司祭とその正面に佇む少年を見やると、すぐに愉快そうに目と口を歪ませた。
「おや、随分かわいらしい魔物だ。稀代の祓魔師殿も形無しだな」
 状況を察した男の弧を描いた赤い目がきらきらと光るのを見て、司祭の笑顔が若干歪む。
「私のことをからかっている場合ではないんだよ」
「そもそもカトリックは異教徒の祭りだとハロウィーンを肯定していないだろう」
「そういう問題ではないよシャルマン。おまえはそうやって、たまに意地が悪いことを言う」
「事実じゃないか」
「事実が必ずしも正義ではないだろう」
「仰る通りで、司祭殿」
 助け船を出すでもない男がへらへらと笑いながら部屋へ戻っていくと、司祭は悟られぬように一度深呼吸し、真剣な顔で少年と向き合う。お菓子はもらえそうにない、と若干諦めつつある少年の残念そうな顔を見て、ぐぅっと喉を鳴らした。
「愚かな私はどうせうちには誰も来ないだろうとトゥサンの準備だけして満足してしまった。甘んじていたずらを受け入れる他ない。君を失望させた罪で神に罰せられても構わない」
 覚悟すら感じる司祭の言葉といたずらどころではない沈痛な面持ちに少年はたじろぎ、二人の間に重たい空気が漂う。特段いたずらを考えてきているわけでもない少年がどうしようかと思案し、無理強いするものでもないと結論に達する頃に二人の頭上から変わらず穏やかな声と華やかなクッキー缶が降ってくる。
「あり合わせで悪いが、これで勘弁してくれたまえ少年」「……わ、すごい!」
 小さな手に少し余るほどの大きさのそれを受け取った少年が蓋を開くと、色とりどりの飴、小粒のチョコレート、焼き菓子が詰め込まれていた。
「こんなにもらっていいんですか!」
「もちろんだよ、味は私と彼が保証しよう」
「おまえ、どこから出してきたんだこんな量のお菓子」
 一気にきらめいた少年の表情に司祭がほっと振り返ると、視線の先の男はにこやかに少年の髪に手を伸ばした。無邪気に数と種類を確認する少年の乱れた柔らかな髪に指を通しながら、にっこりと司祭を見やる。
「彼でも神でもなく私が君に罰を与えよう。しばらく君の茶請けはなしだ」 一瞬何を言われているのかと固まった司祭は、見る間に表情を曇らせた。
「そういうこと? いくらなんでもひどい仕打ちだと思わないか少年」
「えっ」
「君は一教会を預かる司祭の身で、こんな愛らしい少年への施しを拒絶するのかい」
「あのっ」
「そうは言っていないだろう。本当に意地の悪い男だ。もう追い出してやろうか」
「えっと……?」
「私は構わないとも。寂しくて泣くのは君じゃないか」
「なにっ、私はそんなに泣き虫ではないし寂しくもないぞ」
「かっ、返したほうがいいですかっ?」
 にこやかに繰り広げられる問答に耐えられなくなった少年が困り果てて声を上げると、頭を撫でる男と目の前で膝をついた司祭がはたと目を合わせ、同時に少年を振り返る。赤と青の目がそれぞれに少年を見つめ、微笑ましげに笑う。
「いいや、それはもう君のものだ。こんな情けない神父のことなど気にせず持って行きたまえ心優しい少年」
「そうだ、ちょっと一言多いが私のことは気にせず持っていきなさい。彼の作ったお菓子はおそらく君がこれまで食べた中で一番おいしいぞ」
 大きな手でぐしゃぐしゃと髪を混ぜられる感覚に浮足立つように少年が司祭を見ると、眩しそうに笑いながら丁寧な手付きで缶の蓋を閉じてくれた。その様子に安堵し、今度は頭を撫でる男の顔へ視線を移す。司祭と同じような表情の赤い目の男は、視線を受けて自らがより乱した髪を直すように繊細な手つきで少年の顔にかかる前髪を梳く。
「ただし、ここでもらったことは秘密にしておくれ」
 極上の笑顔でそう告げると、私たちだけの秘密だ、と付け加える。せっかく整った髪がまたふわふわと乱れるほどに上気した顔をぶんぶんと縦に振る少年に小さく笑うと、名残惜しそうにまた髪を撫で、離す。
「ありがとう!」
「ジョワイユーアロウィン」
 男がにこやかに告げ手を振るのを見ると、少年は司祭にぺこりと一礼して走り去っていく。三角帽子とマントが翻る後ろ姿を見送りながら、司祭は安堵したような盛大なため息を、男はけらけらと楽しげな笑い声を上げた。


「ところでさっきのは冗談だろう?」
「なんのことかな」
「もうじきお茶の時間だ」
「茶請けのことかい? 君の分はないよ、言っただろう」
「くそ、憎たらしい悪魔め。お菓子をくれない奴はいたずらされるんだぞ。しばらく口を利いてやらん。昼寝でもなんでもしてろ」
「そうさせてもらうよ、愚かな司祭殿。君のいたずらを楽しみにしているよ」

2021.10.27 ハッピーハロウィーン