私のかわいい子猫ちゃん 6

 なにがきっかけかもわからず堰を切ったようにこぼれる涙と声を殺し、アレクサンドルは静かにシャルマンの胸に顔を埋める。衝動的にそうしたために水や泡のしみたネクタイやベストの感触が不快だが、それでもそこから離れられないのは少し甘く、重すぎない匂いのせいか。
「……熱烈な抱擁は嬉しいが、このままでは君が風邪を引いてしまうよ」
 アレクサンドルの呼吸がいくらか治まるまでの間支えるように頭に添えられていたシャルマンの手が肩に降り、とんとんと終わりの合図を送る。上半身をひねった無理な体勢のために少しの力で簡単に離れたアレクサンドルの頭を一度くしゃくしゃ掻き混ぜ、シャルマンは椅子から浮いた腰をそのままに自身の上体ごとアレクサンドルの体を浴槽に押し戻した。湯に沈ませた腕で幼子をあやすように一度ぎゅっと抱きしめると、諦めがついたのかシャルマンの腕を掴んだ手が離れていく。シャルマンはその手を握り、アレクサンドルの赤らむ目元を湯で泡の落ちた指でなぞった。アレクサンドルは目の奥の重たさをごまかし鼻を鳴らしながら、くすぐったそうに眉根を寄せる。
「いい子だ。続きはあとでね」
 アレクサンドルの耳元に落とされるシャルマンの声は甘い。沈むシャワーノズルを拾い上げ、目を閉じて、とざっと泡を落としていく。耳や目に水がかからないよう配慮されたその手付きに、アレクサンドルはぼんやりと誰かの影を感じていた。
「泣く君はきれいだな」
 なんとはなしにつぶやかれたシャルマンの言葉にアレクサンドルが反応する間もなく、さて終わりだ、とノズルを手渡される。
「きちんと温まったら体を流して出ておいで。私は着替えてくる。またあとでね」
 シャルマンは反応の鈍いアレクサンドルの濡れた頭頂部にキスを落とすと、椅子の背にかけたタオルで腕を拭き、チェストから新しいタオルを取り出して椅子の同じ位置に置いた。きちんと拭くんだよ、と言い含めるように伝えるとバスルームを出ていった。
 流れるように世話されたのを現実に戻りきらない心地で反芻しながら、泡の浮く湯を入れ替える気力もないアレクサンドルはズルズルと体を沈ませる。
 それほど高くなかったはずの男の手の温度と感触を温かく思い出しながら、名残を振り払うように涙とも水滴ともつかない顔のしぶきを細かな傷で痛む手で拭った。

2022.01.05 初稿
2024.02.06 加筆修正