Échange équivalent

「……シャルマン」
「なんだい、子猫ちゃん」
 強い酒にいくらか焼けたアレクサンドルの細い声を聞き逃さぬようシャルマンがカウンターテーブルに伏せられた頭に顔を寄せると、据わりきった目線が飛ばされた。そのままシャルマンが次の言葉を待っていると、グラスから離れたアレクサンドルの赤い手が不意に持ち上げられ真っ直ぐにシャルマンの顔に向かう。ためらいのない動きにもシャルマンは顔を背けない。
 ふに、と指の甲がその唇に当たり、アレクサンドルはそのまま爪を押し付けた。柔らかな感触を楽しむように熱を持った指先が唇をなぞり、摘み、爪でくすぐる。
 真剣な眼差しで繰り返されるその手遊び丶丶丶に、シャルマンの形の良い唇が弧を描いた。クツクツと喉を鳴らすと、その手を捕まえて指先に音を立てて口付ける。
「君、くすぐったいよ」
 拘束された手から伝わるシャルマンの熱にアレクサンドルは一瞬で我に返り、がばりと起き上がる。ギシギシと音が聞こえそうなほどに不自然な動きで体ごと目を逸らした。
「キスしたいの?」
「違う」
「じゃあなに」
「なんでもない」
 シャルマンが話すたびに押し付けられたままの指先に熱い呼気がかかり、アレクサンドルの背筋を粟立たせる。同じくしてどんどん早まる鼓動に息が切れそうになる頃、ポツリとシャルマンがこぼした。
「してもいいが、ここは外だ」
 その言葉にどっと冷や汗が湧き、先程から注がれていたであろうカウンター内の離れたところに立つバーテンダーの視線がアレクサンドルの呼吸を止めた。他の客がいないことだけが救いだが、アレクサンドルにはなんの慰めにもならない。
 広くない店内に心臓の音が響いているのではないかと錯覚するほどに、アレクサンドルの胸や喉の奥や耳のすぐ横で拍動がドンドンと鳴っていた。
「違う」
「なかなか情熱的な誘い方だったよ。君も隅に置けないな」
「違うって」
「続きは帰ってからね。遠慮はいらないよ」
「違う、しない……、官舎いえに帰る……」
司祭館うちに荷物を置きっぱなしだろう」
「もういらない……」
「わがままな子猫だ、しょうがないな」
「わがまま……?」
 流されるような軽快なやり取りに混乱しぐるぐると目を回したアレクサンドルが、スツールから立ち上がりシャルマンの手を振りほどいた。若干おぼつかないながらも怒った様子で「帰る」と一言述べ、顔を伏せずんずんと出口に向かう。アレクサンドルの後ろでは小さな笑い声が響く。
「そこの君、悪いが、今見たことは全部忘れてくれ」
 シャルマンが笑いながらカウンターに置いた紙幣は酒代にしては随分と多く、まだ二人から離れた位置で動かないバーテンダーはそれを見て慣れた様子でうなずいた。
「また来るよ。ご馳走様」
 酔いか羞恥かに染まり逃げるように背を向けるアレクサンドルと上機嫌に軽い足取りでその後を追うシャルマンが、バーテンダーの記憶を連れてドアベルの向こうに消えていった。

タイトル日本語訳:等価交換

2022.04.23 初稿
2024.02.10 加筆修正