鍋総動員
タン、タン、タン、と、軽いラバーソールが軽快に石畳を叩くあとを、コツン、コツン、コツン、といくらか硬いレザーソールの音が追いかける。
「君、重たいものばかり私に持たせて」
両腕にかごや袋を下げたシャルマンを軽快なステップで振り返った司祭は、真剣な顔で片腕に抱えた紙袋と握ったラタンバスケットを持ち上げて見せた。
「でも僕は、この卵とパンと、あとはおまえの大事な紅茶葉を死守しなければならない」
「私よりも卵とパンを愛しているんだね」
「おまえと違って、彼らは守ってやらねばならないからね」
シャツにジャケットを羽織っただけのラフな出で立ちの司祭が、残念ながら僕の両手はもう埋まっている、これ以上は守れない、と清々しい声音で宣言するのを、同じような格好の、砂糖や小麦や牛乳や果物や、その他いくつかの日用品を下げたシャルマンが鼻を鳴らして威嚇した。支払いをする司祭を待つ間に預かった荷物がいつまで経っても引き取られなかった恨みを込めてのそれも、司祭の耳には届かない。正確には、耳には届けど意に介さない。
「さっき通ったカフェ、パンペルデュ食べてる人いた」
さっそく話題を切り替えられ、シャルマンは口を山型に歪ませる。昼前のちょうどそそられる時間に魅力的な香ばしい卵と砂糖の香りを嗅ぎ印象に残ったらしい司祭が、わざとらしい仕草でパンの袋を抱え直した。焼き立てもいくつか放り込まれた袋は、蒸気で湿ってしまわないよう開け放たれている。
「いたね」
「僕も食べたい」
「そうか」
「作ってくれてもいいんだよ」
シャルマンが歪んだ口元に加え、眉を大きく持ち上げる。
「さっきその愛しのパンたちを迎えたときは、ジャムを作ろうと意気込んでいたじゃないか。フルーツだってこんなに。いちごと、ブルーベリーと、アプリコットも」
「さっきはさっきだ」
建物や草木の陰を避け日向を選ぶように歩く司祭が涼しげに笑った。
「自分で作ればいいだろう」
「僕がジャムを見守る間に、おまえが作ってくれればいいと思う」
シャルマンは今度は目を大きく開いた。美しい赤が日の光を受けてキラキラ輝いているというのに、そこから溢れる感情は美しさとは程遠い。
「まさか、ジャムも見守るだけのつもりか?」
「とても大事な役目だ。僕にふさわしいと思わないか」
得意気な司祭の顔は、そうと信じて疑わないそれだった。
「いいや、だめだ。ジャムは自分で作りなさい」
「やだよ」
「私ばかり働かせて、一体どれだけ私をこき使うつもりだ」
「自分で作るよりおいしいんだから仕方ないだろう」
「自分でやらないから上達しないんだ」
「ちっ、ケチな悪魔め」
「なんだ、厚かましい神父だな。君みたいな人間は一生私のパンペルデュにはありつけない」
またもふんと鼻を鳴らしたシャルマンが、ずんずんと道を先に進んでいく。
「どうせそう言って作ってくれるんだろ」
「作らないね。作ったとしても君の分はない」
「冗談だろ」
「君は目の前でパンペルデュと紅茶を楽しむ私を眺めているといい」
立ち止まり芝居がかった大げさな仕草でショックを表す司祭を、シャルマンはすぐに追い越した。草木が増えてきた道の日陰を、涼しい顔で進んでいく。
「意地悪なことを言うな。紅茶の命を預かっているのはこの僕だぞ」
「今度は脅迫か? どこまで堕ちれば気が済むんだ」
身軽ゆえにすぐにそれに追いついた司祭が、覗き込むようにシャルマンの顔を窺った。逆光に細めた目は人懐こくも見える。
「おまえに追いつけるくらいは」
しかしつんとすましたシャルマンは、猫を被ったような司祭の顔を見もしない。
「私は堕ちてなどいないよ。君よりよほど崇高だ」
何故か嬉しそうに笑った司祭が、荷物を持ちただでさえ歩きにくそうなシャルマンの周りをまとわりつくようにして行き来する。
「ははぁ、崇高な悪魔さま、ワタクシめにパンペルデュのお恵みを」
「見返りは?」
「僕の愛だ」
司祭の得意気な表情を、シャルマンは鼻で笑ってあしらった。
「足りんな」
「なに、強欲だな。ではこの肉体もつけよう。貴重で、他には代えがたいだろ。キスでも何でもしてやる」
「いいだろう。契約成立だな」
ぱっと明かりがついたように司祭が笑ったのを見て、男はにんまりと口の端を持ち上げた。短い林を抜けちょうど遮るものなく開けた道で引き続いて立ち止まり、司祭に手に持った荷物を差し出す。春の日差しの中で行われるその仕草は、いくらかの威厳すら醸していた。
「では私のものになったその肉体で、まずはこの果物を運びたまえ」
「えっ」
些細な動作さえ美しいものだ、と感心していたのも一瞬のことで、司祭は言われた言葉の意味を理解しその場で固まる。
「帰ったらその果物たちを下ごしらえし、買ってきた砂糖で煮詰めてくれ。瓶の煮沸も」
「ええ、これから暑くなるのに。話が違う」
「神に仕える神父様ともあろうものが、発言を撤回する気か? 契約の不履行にはそれなりの覚悟が必要だぞ」
荷物を差し出したまま動かないシャルマンを司祭は憎々しげに睨みつけると、もともと軽かったであろう両手の荷物を片腕にまとめて奪い取るようにシャルマンの手から果物の袋をさらう。
「狡猾で憎たらしい悪魔め。絶対に許さないからな」
「おお、崇高な司祭が憎しみに囚われるなんて。なんと恐ろしい。この世も終わりだな」
増えた荷物を重たそうに握り直し渋々先に進む司祭を、いくらか身軽になったシャルマンが笑って小突いた。彼らの教会はまだ見えてこない。
2022.07.18