ティーカップは彼が片付ける
手元の報告書の文字がかすみ、直後、じわりと滲む視界とともにあくびがこぼれた。時計を確認すると随分と根を詰めていたことがわかる。酸欠の脳を慰めるように深呼吸を繰り返し、そろそろ休憩しようと座ったまま伸び上がる。空になってからしばらく放置されているティーカップをつついても誰が注いでくれるわけでもない。また一つ大きなあくびをした。
「君、いいかい?」
軽いノックに続けて執務室の扉を開いた男はいつもと変わらずにこやかで、つまらなさそうな顔で空のカップをもてあそぶこちらの姿を認めると何故だかより嬉しそうに目を細めた。
「そろそろ休憩かと思って。お誘いに来た」
「おまえはどこかから僕のことを監視しているのかい?」
「偶然だ」
タイミングがよかったようだね、と身軽に執務机に寄ってくる。洗いざらしのシャツにベルトも締めていないスラックス姿はいつもよりもリラックスした様子で、彼が今日一日外に出る予定がないことを物語る。そう思っていても気がついたらかちりとした正装でさっさとどこかへ行ってしまうこともあるが、この時間に誘われるということはおそらく日が出ているうちは家にいるのだろう。
「お茶のお誘いかい? ならその前に一服したい」
「いや、違う」
固まる足や腰をゆっくり伸ばしながら立ち上がり、巻紙を取り出そうと引き出しに伸ばした手はやんわりと止められる。
「一緒に昼寝をしよう。匂いが薄くなるから煙草は起きてからだ」
「それは魅力的なお誘いだが、煙草くらい吸わせてくれよ」
「やだね」
ほとんど力なく止める手を退かし鍵のかかっていないそれを引こうにも、ピクリともしない。
「……これはずるいだろう。君だっていつも吸っているのに」
「今日はだめだ」
穏やかに駄々をこねる男に呆れている間にも手を引かれ部屋の外へ促される。
「私は眠たいんだ。今すぐ。早く」
「わがままな悪魔様だ」
「そうだよ。私はわがままだ」
君はそれに付き合わされるかわいそうな司祭だ、と笑いながら、さっさと司祭館に向かった。
「こんな時間に寝たら僕はもう起きられないよ」
「いつも起こしてあげているだろう」
「起こしてもらえるのと起きたくないのは別なんだよ」
ははっと軽い調子で笑うと、男はいたずらっぽく口角を持ち上げこちらを振り返る。
「では起こさない」
「起こしてくれ。まだ仕事が残ってる」
「わがままな司祭様だ」
「おまえほどじゃない」
穏やかで楽しそうな男の様子と廊下に差し込む傾き始めた日差しに誘われるように、柔らかなあくびがまたこぼれ落ちた。
2021.12.22