私のかわいい子猫ちゃん 2

 たまに響く帰路を急ぐような足音や漏れ聞こえる歓談の声を遠くに感じながら、アレクサンドルはジャケットを脇に抱えて官舎に向かう道を歩いていた。一度シャワーを浴びようと思ったものの、鏡に映ったシャツの黒ずみを見てどうせまたこれを着るのならとそのまま出てきており、変わらずくたびれ汚れたままだった。交代や終業の時間はとうに過ぎており、共に帰る同僚もいないので気にすることもない。夜の最も賑やかな時間はすでに越え、昼に比べて随分と下がった気温が目を覚まさせるように肌を刺した。それでもジャケットを羽織らないのはこちらまで汚れてしまったらというただそれだけの理由だった。
 石畳を踏むアレクサンドルの足取りは昨晩からの疲労を逃さず溜め込んで重たかった。ただでさえぎこちない歩みのさなか、ざっと吹いたぬるい向かい風に押し留められ立ち止まってしまう。一歩踏み出せばそのまま惰性で歩けると理解しながらも再開できず、人通りのない夜の街にぽつりと取り残されたアレクサンドルを少し先の街灯がおぼろげに照らした。こびりついた血が落ちきらない重い髪は風になびくこともない。
 鮮明に思い出すほども回らない頭に少しの安堵を覚えながら、それでも全く堪えていないわけではない精神がギシギシと音を立ていびつに体を支配していた。ずっと浅いままの呼吸がその重たさを加速させる。
「……風呂、入りたいな」
 意図せずこぼれた自分の言葉がスイッチになり、体は百八十度向きを変え、思考するよりも先にずんずんと来た道を進んでいた。思い浮かぶのは官舎よりもよほど遠い場所で、けれども足取りは先程よりも随分と確かで軽やかだった。
 すがる気持ちで向かう先が教会だなんて、自分の信仰心も思っていたより大したものなのかもしれない。
 目的とする先が違うことなど回らない頭でもわかっていながら、アレクサンドルは言い訳のように頭の中でそう繰り返した。

2021.11.17 初稿
2024.02.04 加筆修正