【廃業ストーリー1】社長を目指したきっかけ
こんにちは、福井寿和(@aomorio)です。
はじめて私の存在を知った方は、まずはこちらの記事をご覧いただければと思います。
この記事がきっかけで、これまでたくさんのメディアに取材していただきました。
各社いろんな観点から取材してくださったのですが、その中でも必ず聞かれることがあります。
・なぜ起業したのか
・どういう経緯で起業したのか
・どんなビジネスをしていたのか
・なぜ会社を精算することになったのか
起業から廃業まで一連の流れを知りたいんだなぁと感じながら、そう言えば、どういう経緯で起業したのか文章にしていなかったことにも気づきました。
記者が知りたいことは、ニアリーイコールで読者が知りたいこと、つまり私に興味を持ってくださったり、Twitterでフォローしてくださる方も知りたいことと思います。
というわけで、突然ですが本日から不定期で連載スタートです。
起業から廃業までのストーリーを綴っていきたいと思います。
公務員か医者になるように育った学生時代
『福井寿和』という人物をご理解いただく上で、学生時代に話をさかのぼりたいと思います。
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「どんな仕事に就こうか...。」
高校に進学して間もなく、担任の先生と大学の進路について面談した時のことです。
「将来は学校の先生になりたい」
高校一年生当時、目指した職業は教職でした。
確かな理由はもう覚えてませんが、『公務員は安定しているから』『勉強を教えるのが好きだったから』だったと思います。
私は中学生の頃から両親に公務員か医者になるように言われて育ってきました。
兼業農家だった両親は収入の不安定さを知っていて、一方で公務員や医者の安定した生活をわかっていたからだと思います。
たしかに両親世代の公務員は安定していました。地方では高待遇でしたし、退職金も相当額もらえるし、公務員を定年まで勤め上げた人は退職後も称賛され、当時の価値観では『良い仕事』だったと思います。医者は今も変わらず、高所得の代表格でした。
中1の個別面談で、あれは夕方の理科室だったと思いますが、先生から「福井、何か悩みはないか?」と聞かれて、「親の収入が心配です」と答えた記憶が鮮明に残っています。中学生ながら親の収入のことを気にかけていました。(両親のためにも言いますが、決して貧しい家庭ではありません)
私には7つ上の姉がいます。姉は両親の勧めもあって、高校を卒業して地方公務員になりました。最近は仕事の愚痴も聞かないですし、公務員という仕事も悪くないんだなと思います。
このような環境で育った私の中には「安定した収入」「公務員になる」という価値観が刻まれていきました。
「将来は学校の先生になりたい」
今思えば、高1の面談で言ったのも必然だったと思います。
社長を目指したきっかけ
しかし、私の価値がガラっと変わることが起きました。
2000年代前半、元ライブドアの堀江貴文社長とサイバーエージェントの藤田晋社長の存在です。
テレビやメディアで見かけた2人の存在が本当にカッコよく見えたのです。
(数年後に堀江さんと寿司を食べることに...。)
当時、私の中での社長像は、ダボッと大きめのスーツを着て、なんだか偉そうにしていてる中年のオッサンでした。
一方、Tシャツにジーパン姿のラフな格好をした堀江さんや藤田さんは衝撃的でした。
そして時代の最先端を走るお二人の姿は、心の底から憧れる存在となったのです。
「私もこうなりたい。そうだ、社長になろう!」
「安定した仕事、公務員、、、いや違う。世の中を変える仕事がしたい!」
私の価値観がガラっと変わった瞬間でした。
高校3年生、それまで理系の大学に進むつもりで勉強していました。
「社長になるためには経営を学ばなければいけない!」
「理系大学で実験をやってる場合じゃない!」
「先生、経営学科に進学したいので、物理の時間に文系の勉強させてください!」
高校3年生の夏前だったと思います。
文転(理系から文系に志望を変える)して経営学科を目指すことに決めました。
続く
新型コロナウイルスの影響により会社経営が立ち行かなくなると判断したため、2020年5月に会社を清算することにしました。この経験を広く伝えていきたいと思いますので、応援よろしくお願いしますm(_ _)m