職歴は自分史
こんにちは。青森の IT ばあちゃんです。
10月7日、以前勤めていた保育園の運動会がありました。
看護要員がいないということで急遽お話を頂き参加してきました。
今年3月まで勤めていたので、
顔見知りの先生たちが多く、緊張せずに参加できました。
昨年度受け持った0歳児がこの4月から1-2歳児クラスにあがり、
とても大きくなっていました。
運動会の種目も子供の年齢によって考えられているので、
去年できなかった凸凹階段も段差も何のその
半年でこんな事もできるようになるんだなと、
あらためて子供の成長を感じられた日でした。
私が保育園勤務をすることになった時、周囲の看護師仲間たちは
「大丈夫か?」と思っていたでしょうきっと。
仕事内容、体力すべて「大丈夫?」と
心配してたと思います。
なのに何故そこを選んだのか?ということですよね。
単純に小児看護やりたいと思っただけなんです。
ここで私自身の職歴を振り返ってみますと
まぁたくさんの職場を経験しましたね。
総合病院から始まり、教員、特養老人ホーム、障がい者就労施設、
訪問看護、児童放課後等デイサービス、
サービス付き高齢者向け住宅の立ち上げ、老人デイサービス、
そして最後に保育園です。
よくまぁこんなにも!と思いますよね(笑)。
飽きっぽい人間なのか?
確かにそれもあると思いますね。
考えてみると私自身の職歴は、その時々の自分史になります。
10年間専業主婦だった私ですが、
夫亡き後、さて年長さんと小3の子供たちをどうやって育てていくか、
それが最も大きな課題でしたね。
フルタイムで働いて生活費を稼ぐか?
その間子どもたちはどうする?
結局は実家の母や姉にも助けられ、隣のおばちゃんにもお世話になりと
たくさんの方々の力を借りてきたのですが、
自分の中で決めていたことは、
「出来るだけ子どもと一緒にいる」ということでした。
ここから私の仕事探しは始まっていきます。
今考えると、いわゆる「働き方改革」を自分で提案して、
こういう働き方でどうでしょうか?と言いながら職探しをしてましたね。
断られる方が多かったと思いますが。
最初に考えたことは
「夏休み冬休みの長期休暇中は仕事を減らす」ということでした。
そう考えると、
学校の非常勤講師が最もよかったのでその線で仕事を探しました。
もちろんすぐには見つからなかったのですが、
昔の同僚が気にかけてくれていて、盛岡の学校を紹介してくれました。
当時新幹線はまだ盛岡止まりで八戸までは開通していなかったので、
特急列車「はつかり」にのって通勤していましたが、
駅からの移動が不便だったため車通勤に変えました。
この時期の走行距離やばかったです。
往復距離200㎞を週3-4日。
40代だからできた!今はとても無理。
始めは週3くらいで通っていたのですが、そのうちクラス担任になり
なかなか忙しくなってきたあたりに、
今度は、
八戸市内の大学に新学部を立ち上げるために、
看護関係科目を担当する教員が欲しいということで声をかけていただきました。夫の同僚だった教授が気にかけてくださってたんでしょうねきっと。
ありがたいことです。
9年間の教員生活。63歳になっていました。
どうしても現場の仕事に戻りたくて、
臨床大好きで、自分の看護を考えさせてくれたのも臨床の現場で、
自分の年齢を考えたとき
「あとどれくらい動けるんだろう?」と思うと
どうしても現場に戻りたかったんです。
子どもたちも大学生になりそろそろ卒業も迫る時期でしたから
自由な時間が沢山あり、仕事にかける時間もありました。
教員やめることは迷わずに決断できましたね。
自分のやりたいことは現場だったから。
というわけで現場に戻り、様々な施設を経験しながら、
最終的に、自分のやりたかった小児看護の領域を最後の仕事にしようと思い
保育園での仕事を選んだのです。
こうして振り返ってみると
自分のしたい事、結構やり抜いてんな私。
周囲の方々にご迷惑もおかけしたと思いますが、どうぞ
「笑って許して♪」くださいとお願いしながら
誰かのお役に立てることがあれば
まだまだ頑張ります!
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