引越し屋「写真」
朝9時。エントランスからインターホンを鳴らす。
今日はベテランバイトの隆平と二人だ。
この子は長い。もうすぐ3年になる。
ある程度任せられるまでになってきた。
ムダ口を利かない。だが暗い訳では無い。むしろ明るい青年だ。
インターホンからはすぐに女性の声がして、自動ドアが開いた。
凝った作りの高級そうなマンションだ。
つまりそれなりの財力があるお宅ということだ。
エレベーターで5階にあがる。
502号室。鈴木様。
呼び鈴を押す。
こちらには呼出し音は聞こえなかったが、カチャリとドアが開き、挨拶とともに線の細い女性がドアを開けた。
30代半ばだろうか。
「おはようございます」
表情は明るい。
「おはようございます。引越し屋です。朝早くから申し訳ありません。本日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
「それでは早速始めさせていただきます」
挨拶もそこそこに、作業に取りかかる。
どの現場でも、1番最初にやる事は、玄関ドアの養生だ。荷物の運び出しで傷つけることはもちろんだが、我々の出入りで傷をつけてしまう可能性も考慮しなければいけない。
だから常に1番最初は玄関の養生なのだ。
玄関は隆平に任せる。
彼は持ち込んだ道具を手際よく取り出し、クッション性のあるプラスチックでドアの角を保護して、緑色の養生テープでずれない様に固定していく。テープは一気に伸ばし左手で上から固定していく。ドアノブは袋を被せて固定して終わりだ。
躊躇がない。手際が良い。
「失礼します」
私は間取と動線の確認のために、先に家の中全体を見せてもらう。
部屋は4LDK 。中央の廊下は90cm。左右割振りで部屋が4つ。奥がダイニングの標準的なパターンだ。
こちらのお宅は特にダイニングが広い。
家族3人には十分過ぎる広さだ。
奥の部屋から不安そうな硬い表情の女の子がこちらを見ている。小学校の4年年くらいだろうか。
ニコリと笑いかけた。私は子ども受けには自信がある。しかし部屋に逃げられてしまった。
「奥の右の部屋とその反対側の左の部屋にある段ボールと家具の引越しをお願いします。手前左右の部屋には入らないでください」
「かしこまりました。リビングや廊下などから持っていくものがあれば、適宜おっしゃってください」
今回の仕事は、この母子2人だけの荷物の引越しらしい。ダンボールの数はザッと20箱弱。だいぶ少ない。
普通、二人の引越しだと、30〜40箱が平均だ。
家具もベッド、鏡台以外に大きいものは無い様だ。
母と娘だけの引越し。母親の明るさ。娘の硬い表情。家具無し。標準の半分ほどの荷物。
つまりそういう事だ。
30年近くこの仕事をしていると、それなりに色々な引越しを手掛ける。楽しい引越しばかりでは無い。辛い引越しも経験する。
こんなケースの場合、母親の様子は様々だ。
既に清々して前向きに進む意思が顔に表れているケース。今回はこのケースの様だ。
一方、まだ未練があり、吹っ切れていないケースもある。母親は別れたくないが、ご主人が決めてしまったケースなどだ。
共通するのは、どの場合でも被害者は子どもだということだ。
今回の様なケースの場合には、子どもはどの現場でも一様に硬い表情で何かをこらえている。
時にはずっと泣いている子供もいる。
引越し屋は、母親や子供の気持ちの中にまで立ち入ることは出来ない。二人の行く末を案じながら、ただただ荷物を運ぶしかない。それが引越し屋だ。
特に辛い引越しの時には、荷造りで出てきてしまう懐かしい写真や品々が、当事者の心を締め付ける場合が多い。
ましてやこの年の子どもだ。両親の事情まで理解しろと言うのは無理というものだ。さぞかし辛いことだろう。
父親との思い出にあふれた家。それは大切な家族全員で過ごした愛おしい時間そのものに違いない。両親が仲良かった頃の楽しい想い出まで置いて行く様な、これまでの人生の全てを失う様な気持ちでいることだろう。
今回は気の重い引越しになりそうだ。全体の段取り、動線を考えながらも、つい子どもの気持ちを考えてしまう。
「養生の確認をお願いします」
隆平は淡々と廊下の壁やドアの養生をしている。
引越しは段取りで決まる。養生がキチンと出来ればトラブルになる可能性は低い。一つ一つを見て回る。OKだ。不安は無い。
「OK。じゃ家具の養生を頼む」
20箱弱のダンボールの運び出しなど、造作もない。ベッドや鏡台の運び出しに片付けまで入れても2時間は掛からず終わるだろう。
通り掛かりに女の子の部屋を覗くと、不安は的中した。母親の説得も聴かずに、女の子は泣きながら写真をカーペットに並べていた。
ガランとした部屋のカーペットに並べられる写真。一枚、そしてまた一枚。
まるでそうすれば大切な時間が無くならないかの様に、母親がダンボールにしまった想い出の写真たちをもう一度床に並べているのだ。
母親は女の子を説得しているが、女の子が聞き入れる様子はない。彼女の意思とは関係なく、両親の都合により勝手に決められた離婚。そして引っ越し。その理不尽の全てを全身で拒否している。
並んだ写真はどれも幸せそうな写真ばかりだ。産まれたばかりの赤ちゃんに寄り添う笑顔の母親。
ベビーベッドに眠る女の子に頬を寄せる父親。
神社の前で千歳飴を持つ緊張した面持ちの女の子。
幼稚園で友だちと一緒に笑う制服の女の子。
入学式で並んで校門に立つ笑顔の親子三人。
大きなランドセルを背負い、口を尖らせた女の子。床に並べた写真は50枚以上になっている。
恐らくこのままでは解決しないだろう。
私は思い切って話しかけてみることにした。ゆっくりと、優しく声をかける。
「お嬢ちゃん。残念だけど、おじさんには、キミの大切な、大切な思い出を一緒に引っ越してあげることはできない」
しゃくりあげている彼女の動きが止まった。視線は落としたままだ。
「そのかわり、キミの大切な思い出を逃さないように、写真に閉じ込めてあげることはできる。そのたくさんの写真の横に寝てごらん」
女の子は泣き止んだ。私の話を聞いてくれているのだ。
「家族みんなの大切な想い出と一緒に、おじさんがキミの写真を撮ってあげるよ」
女の子は直ぐには動かなかった。暫くしてから、彼女はゆっくり動きだして、写真の横に胎児の様に丸くなった。目はぎゅっとつぶったままだ。母親はその様子を見ながら、両手で鼻と口を覆っている。
私はスマホを取り出して構えた。
パシャ。
パシャ。
「これで、キミの思い出は、もうずっとキミと一緒だよ。キミがこの家から引っ越したとしても、もうキミから離れることはない。だから大切な写真たちを、おじさんと一緒に箱にしまってくれるかな?」
動き出すのには時間がかかったが、女の子はシャクリあげながらも、ゆっくりと写真を片付け始めた。
指定された全ての荷物を運び出し、施したすべての養生を外して、母親に声をかける。
「こちらで運び出しは完了となります。お嬢様のお写真は、後ほどメールでお送りさせて頂きます。それでは移動しまして、新居のほうに参りましょう」
「今日は本当にありがとうございました。私一人では、あの子の気持ちを助けてあげられなかったかも知れません。本当になんとお礼を言っていいか・・・」
「とんでもございません。それでは移動致しましょう。私は先にトラックに行っております」
「さあ、お嬢ちゃん。お家にサヨナラを言ってね。これからは新しいお家で新しい想い出をたくさん撮ってね」
こうして今日の一件目の運び出しが終わった。
引越し屋はモノを運ぶ。それが仕事だ。
本作品はフィクションであり、小説として脚色されています。
正確な事実を描いたものではありません。
皆様にそのフィクションをお楽しみ頂ければ幸いです。
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