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どんな味かわからないものを選べるか

最近、よくケーキ店に足を運ぶ。
手土産を買うついでに、自宅用にケーキを買ってしまう。
我が家は家族が多い分、”ついで”が大きい買い物だ。

ガラスケースにお行儀よく並ぶケーキたち。
見た目に分かりやすく、味が想像できるケーキはもちろんあるのだが、最近は見た目がオシャレすぎて、味が想像できないケーキが多くなってしまった。

プライスカードには、ケーキの説明書きはされているが、イマイチ味がわからない。たとえて言うなら、ピスタチオケーキ。ぼんやりと、「こんな雰囲気の味だろう」とわかるけれど、バシッと口の中に広がる味が想像できない。
食べても「おお、ピスタチオ!」とはならず、「ピスタチオってこんな味なの?」という疑問系の感覚だ。食べても正解がわからない。

ピスタチオケーキを食べ続ければ、「ピスタチオはこれだ!」とパズルのピースがハマる時がおとずれるのか。「ショートケーキ」のように、分かりやすい定義となって、美味しい・美味しくないという判断ができるようになるのか。どのピスタチオケーキが美味しいのか、一生わからないままだろうか。

ナッツのピスタチオは好きだし、食べたことは何度もある。ピスタチオ自体の味がわからないのではない。
だが、ピスタチオをケーキやジェラートやクリームにした途端に、ピスタチオってこんな味?と、正解がわからない世界に放り込まれてしまう。

ショートケーキや、チョコレートケーキ、モンブランは、一応どんな変化球がきたとしても、定義自体が揺るがないので、美味しい・美味しくないの判断ができる。
味のベースのような、確固たるものが存在するのだろう。無意識に比較ができるのだ。輪郭がくっきりしているので、美味しければ満足するし、まずかったら不満足だ。しかし、基準が曖昧なケーキを食べると、美味しいか美味しくないかという感覚まで不確かになってしまう。自分が満足したのかどうかさえわからなくなる。

最近、福袋の中身がわからないと購入しない人が増えたため、福袋の中身を全部公開するというのが主流になっているそうだ。どんな味かわからないケーキを選ぶのに勇気がいると思う話と通じている気がする。

どんな味かわからないものを選べるか、と自問自答して見えてきたことがある。
美味しいか美味しくないかを見極めるよりも、好みの味を見つけることからはじめてみようと思う。


#創作大賞2024 #エッセイ部門

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