無垢の狂気 ――Junichi at the September 11
「テロから一年目の日、NHKのイラストレーターJunichiの特集を見た。夜中の番組だったが、二時半の終了まで、目が離せなくなった。」
20年前のニューヨークのテロ事件は新たな戦争の発端となり、この後さらに多くの命が失われました。
今回は、テロから一年経った日に書いた文章をそのまま再掲します。
日本において、国家・民族意識の喪失が叫ばれて久しい。ナショナリズムという言葉は、歴史の中でマイナスの意味を付加されてきた。それは、特化した意識が排他的な思想を生み、しばしば戦争を引き起こしてきたからである。
本来、ナショナリズムは集団帰属意識に端を発している。帰属意識は絶対的な意識であり、必ずしもその構造に排他的な意識を含んではいない。周囲からの析出という形で、帰属する集団が意識づけられるにすぎないのだ。従って、ナショナリズムそれ自体が戦争を起こすメカニズムを内包しているわけではない。
宗教・民族・国家(そして経済)を背景に先鋭化した思想のひとつの表現が、テロリズムである。現在の世界情勢の中で、本来のナショナリズムを取り戻せない私たちは、先鋭化するナショナリズムの前に、どんな可能性を持っているのだろうか。ナショナリズムの対極にあるものは何か。
9月11日、ニューヨークのテロ事件から一年が経った。あの日の夜、帰ってテレビをつけると、貿易センタービルの映像がCNNの生中継で映し出されていた。映画で見たことがある、ニューヨークの朝の、明るい乾いた空気の中で、二つタワーの内の一つにヒビが入り、そこから黒い煙が上がっていた。
日本のテレビ局は相当に混乱していたようで、翻訳の音声が出ずにアメリカの女性アナウンサーの英語が繰り返し流れたままになっていた。
その瞬間、もう一本のタワーに飛行機が衝突した。画面左上の「LIVE」の文字。何の中継なのかわからなかった。
英語のテロップがSecond plane attacksと切り替わった。二機目、ということが理解できず、自分の英語力を疑いながらも、二つのタワーが燃えているのを見ていた。リアリティのない風景が映し出されていた。
あの時、同じ映像が同時に世界中に配信されていた。そのあとの余りにも大きな崩壊。幾何学的な形の精密な角柱が、粉塵を上げて崩れ落ち、消えた。そこに人がいるはずであることと、それが見えないリアリティのない映像。理解を超越した映像を理解しようとして、世界中に憂鬱が伝播していった。
テロから一年目の日、NHKのイラストレーターJunichiの特集を見た。夜中の番組だったが、2時半の終了まで、目が離せなくなった。
本名小野純一、12歳。イラストレーター兼小学生。彼のイラストは、デパートの包装紙などに使われている。彼は、愛用の80円のボールペンの太い自由な線で、ロボットを、天使を、彼の世界を描き出す。家族と行ったニューヨークやパリのイラストを多数描き、これまでに個展を二十回近く開いている。Junichiもあの日、同じ映像を見ていた。彼の目に、あの日のニューヨークはどう映ったのだろう。
番組の映像。Junichiは、遠足で東大寺に行った。グループの自由行動中に、大仏殿を描きたくなった。階段に座り込み、いつも持っているスケッチブックを取り出した。ボールペンで、大仏殿の柱の金具や、瓦のひとつひとつを、迷いのないタッチで手早く細かく描き込んでいった。
集合時間になって、友達が呼びに来た。途中でやめることはできなかった。真剣なまなざしで、ひとつひとつを確かめながら、最後まで描いた。
集合時間に一時間遅れた。担任の中年の女教師に怒られて、泣いた。彼にとって、とても大切な何かがそこにあった。どうにもできなかった。教師は、集団行動の大切さを堂々と怒鳴って説いていた。余りにも型通りな説諭のデリカシーのなさが、彼の繊細さと克明なコントラストを描いていた。
そして、彼の涙の前で、私たちは言葉を失い立ちつくす。子供らしさではない、そこにある何か。
彼の住んでいる家と、母親が紹介される。母親は、Junichiを「彼」と呼んでいた。母親は、全く何も強いず、方向づけもせず、イラストを誇ることもなく、「彼の考えでしょうから」と、Junichiを丸ごと認め、ただ見ていた。
親という存在としては、特異であった。母親自身がデザイナーという表現者であることとも関わるのかもしれない。家の中で個々が自立しているように見える。ピュアな形をした新しいファミリー像を感じた。表現する個が確立される空間。
その家は空間が清潔に片付いていて、シンプルだった。彼の部屋にある、銀のラックに置いてあるパソコンや、絵を描くためのデスクのスペースも、人のためにある空間だった。
そして、Junichiは、床に直接置いた大きなテレビに映るあのニューヨークの映像を、足のないソファにうつぶせになって、じっと長い時間見入っていた。彼はニューヨークに何度か行っている。パリとともにニューヨークという街がとても気に入っている。まったく何の先入観ももたず、外国の街を自分の目で見て描いていた。
崩れるタワーの映像を見て、彼は何も言わなかった。少し悲しそうな複雑な表情をして、テレビを消し、自分の部屋に戻って行った。母親は、何も言葉をかけなかった。
テロの意味も、宗教も、政治も知らなかった。どうあるべきという一般論で考えることもなく、子供らしいショックも驚きも表現しなかった。死や悲しみを言葉で規定することもなく、ただ彼の目で見ていた。
そして感じ、描き始めた。ニューヨークの町並の背景に、様々な人種の人が大きく描かれている絵。絵についてのコメントはなかった。「これでいい」、と言ってペンを置いた。
言葉を持たない赤ん坊が、視線が合った瞬間に恐怖をあらわにして泣き出すような、無垢な狂気に似ている彼の透明な目線。
その目線が、私たちの言葉を殺し、目を射抜く。■
2002年9月12日