【’24まとめ】(2)イベント参加 ライブ編
🔴2024年のイベント参加 音楽ライブ
今年は合計27回でした。去年は40回でしたので、だいぶ減った印象です。多い順に、GEZANとマヒトゥ・ザ・ピーポー 7回、Mahina 6回、大森靖子 4回、羊文学 3回、エイプリルブルー 2回、他5回でした。
今年は、自分の気持ちに耳をすまし正直になって、絞り込んだように思います。
去年までは音楽体験を拡げたくて、ちょっと無理して参加したライブがいくつかありました。たぶん私の音楽の閾値があって、それは少しずつ許容値を拡げていく感じなのだと思います。それを一気に拡げようとすると、しっくりこない様子。最初の音が鳴った瞬間に「あ、もういいや」と思ったライブが去年は何度かありました。
今年は無理せずに、本当に行きたいライブを選ぶようにしました。私は、「拡げる」から「深める」に変わりつつあるのかもしれません。
🔷GEZAN、マヒトゥ・ザ・ピーポーに思うこと
GEZANのボーカルであるマヒトゥ・ザ・ピーポーについては、エッセイ「ひかりぼっち」や雑誌ユリイカの特集号を、時間をかけて読みました。歌詞も丁寧に読み込みました。
以前のイメージは「無闇やたらと叫んでいるパンクス」でした。実際は違っていて、ご都合主義や忖度で固められた社会のあり方に「No」を言い、戦争に「人を殺していい理由なんてない」と大きな声で言っているのでした。一方で空を見上げて飛びたいとイメージし、夕焼けの色に太古を思い浮かべています。彼の肩書の中で一番似合っているのは、「空想家」かもしれません。
私が魅かれる音楽の共通点は何だろうと、秋頃から考えていました。私の気持ちに触れる歌は、歌い手が世界に向き合う姿勢が見えるものなのかもしれません。Coccoにも羊文学にも大森靖子にも、同じように世界に向き合う姿を感じます。だからなのか、いずれも歌詞を丁寧に読むようになっているのが、私の中の変化です。
8月の野音のGEZANは、数か月前にチケットが取れたその時に、私の今年の頂点はこの日になると思いました。私の今年の夏の頂上。
2022年3月、感染拡大真っただ中に野音で開催されたGEZAN with Million Wish Collectiveのライブ。私がGEZANを強く意識するようになったのはその後でしたので、そのライブが終わってしまっていたのが、残念でなりませんでした。
その後、奇跡的に翌年3月に中野サンプラザで再演があり、最後列のチケットが取れました。ライティングと聴衆のコスチュームで真っ赤に染まった大会場が、熱狂に波打つ様を目の当たりにしました。さらに、同年7月にO-eastで規模を小さくした再演を見ることもできたのでした。これは私にとって、感染拡大後初めての声出しOKになったライブで、映像を見て想像していたライブの熱狂を知ることになりました。
その後、2022年の野音のDVDが出たので、何度も見ながら空の下で音が鳴る日比谷野音に憧れていたところ、2023年12月に野音で「踊ってばかりの国」のライブを見ることができました。輝くステージ、音が空に抜けていく開放感に恍惚となりました。今回取れたチケットは、その「野音」で「GEZAN」が演る。その日で人生が終わりになってもいいかも。ステージの前で拳を突き上げて皆で声を出している様子思い浮かべただけで、涙が出てきます。
当日のセットリスト約20曲を予想してウォークマンに入れ、過去のライブ映像を繰り返し見て、歌えるように歌詞を憶えました。当日着るGEZANがデザインの太陽のような絵がバックプリントされたティシャツを準備しました。6月半ばに、たまたま鼠経ヘルニアになり、ライブが近づくにつれて状態は悪くなっていました。ライブの4日後には手術のための入院が決まっていました。ライブの直前には、マジックテープの仕込まれたベルトで、立っていると腫れあがってくる小腸を抑え込んだ状態で生活していました。本当に命が終わってしまうかもしれないな、それでもライブが見られたら満足だろうな、そんな風に思いながら当日を迎えました。
ステージ前の2列目。自分の声が聴こえない熱狂の中で、拳を上げ、叫びました。夜、その音は空に吸い込まれるように消えていきます。夢のような、でも汗と痛みがあるから本当にそこに居たことがわかる時間でした。
2023年はCoccoのライブに繰り返し行きました。今年2024年も開催を待っていましたが、息子さんのガン闘病のためだったのでしょう、今年は単独でライブを行いませんでした。そんな中で、直接彼女の歌を聴けた「沖縄のウタ拝」は貴重な機会でした。
今年は、体調不良等で行かれなかったライブが3回ありました。いずれも、素晴らしい内容が想像できるので、これは悔しく心残りでした。
文・写真:©青海 陽2024
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