初めての安藤裕子 配信ライブ体験③ あの年のステイ・ホームの頃 2020.7.19
2015年に安藤裕子は「曲が書けなくなった」と言い、2016年に他のミュージシャンからの楽曲提供による最後のcutting edgeレーベルでのアルバム『頂き物』を制作。その後、2018年の7曲入りミニアルバム『ITALAN』(Mastard Records)まで、楽曲発表の空白期間がありました(正確には2016年に紙ジャケットのシングル『雨とパンツ』他1曲配信)。
2019年1月を最後に大ホールでのライブがなくなってから、約1年が経ちました。2020年春には、最初のコ ロ ナ感染拡大で世の中が騒然となり、「不要不急」とされたすべての音楽や演劇等のイベントは、中止になりました。私はエッセンシャル・ワーカーなので、「ステイ・ホーム」と呼ばれた外出自粛期間中も、それこそ「死ぬかもしれない覚悟」で、対面での仕事を続けていました。
私は気持ちがささくれ立っていましたし、6月のライブ会員ファンクラブの一方的な解散後にも納得がいっていませんでした。
そんな中で、7月になって突然、約2週間後のオンラインライブ開催が発表され、チケットが販売されました。「また新たな集金?」「何らかの映像を流してお茶を濁すのでは…」と、私が穿った見方をしていたのも事実です。
というのも、私はこの時まで、オンラインライブを見たことがなかったからです。だから、前年くらいから少しずつ増えてきたYouTubeライブやインスタ・ライブくらいのものだと思っていました。
きっと定点にカメラを置いて、たまにズームするくらいの映像なのだろう。そして、ステイ・ホームで見られるようになった、「ギター1本自宅からリモート、スタジオライブ」のようなものだと思っていました。
とはいえ、内心は安藤裕子に会えるのが嬉しくて、ソワソワしていました。「用事があるから」と言って、あらかじめ早退を決めていました。それくらいに、私にとっては大切なことでした。
仕事を終えて、「視聴会場」として狙いをつけてあった、帰り道途中の広いパーキングに車を止めました。慌ただしくノートPCを後部座席にセットして、Wi-fiに接続しました。問題なくライブ配信のアドレスに接続できました。
ずいぶんと早く準備が整ってしまったので、腹ごしらえにと、ファミマにカレーとノンアルの桃のカクテルを買いに行きました。「食べながら待つ」「飲みながら見る」は本物のライブではできない体験だなと、まだ暑い夕暮れの中で思いました。
再び接続し、数分前から画面前で待機、流れていくチャットを見ていました。みんなわくわしているようでした。
「始まった!」というチャットにもかかわらず、私のPCには映像が映らず。
すると、突然曲の途中からいきなり映った映像。それはくっきりと鮮明で、きれいなものでした。
安藤裕子は緑色のサテン生地の、おそらく自作のふわっとしたブラウスを着ていました。そして、歌う表情が克明に写っていました。ヘッドフォンから聞こえる声は、目の前で歌っているようでした。
私は、オンラインライブを完全に誤解していました。
まず音と画像の質がとても高かったのです。おそらく大型スクリーンに映しても耐えられる程の高精細の画像なのでしょう。それをノートPCの画素数で映し出すのですから、画面はしっとりとするほどに繊細に写ります。
そしてスタジオには、様々な照明をはじめとするセットが工夫して組まれていました。カメラは様々なアングルから、それも普通のライブ映像よりもはるかに近い距離から写しているので、安藤裕子の表情の一つ一つだけではなく、バンドメンバーの手先の動きまでもが鮮明に見えます。クレーンも使ったカメラワークは、素人のものではないプロの仕事でした。
そして、何よりも参加しているメンバーの演奏技術が異様に高く、全員が本気でした。「オンラインだから」という馴れ合いは一切ありませんでした。
安藤裕子がMCでバンドメンバーに話しかけるものの、彼らは誰も答えません。それは、ミュージシャンとして演奏しに来ているからだと思います。
聴衆の反応は見えず、バンドメンバーにも答えてもらえずの雰囲気に、安藤裕子本人は、やや戸惑いがあったようでした。でも、歌い始めれば、彼らがその世界を、空間を確実に作ってくれます。
ソファに座りリラックスして歌う姿には、今までに見たことがない笑顔がありました。普段のライブでは、緊張が強すぎるのでしょう。
しみじみとした表情は、歌える実感でもあったのだと思います。歌に集中していました。
結局、予定されていた80分をはるかに超えて、普段のライブよりも長い2時間、会場の都合を気にせずに歌い切りました。また、選曲は8月に出る不慣れな曲を試す場としてではなく、古いなじみの曲ばかり。ゆったりとうたっていて、とても好感が持てるものでした。
歌だけでなく、演奏や演出を含めて、そのまま映像として販売できる質のものだったと思います。
オンラインで意外だったのは、近くではっきりと表情が見えるから、伝わるものが多くあることでした。
また、私にとっては、「私が見えているのかを気にする」という、面倒な性格による気持ちの負荷も不要で、落ち着いて聞くことができました。
今、この時間に歌っていて、今、見ている人しか見ることができなくて、という「今」感。
思いのほか伝わる生の感情。繋がれているかも、という感覚。
一方で、生きているのを確かめられる距離感ではないもどかしさ。
双方向でないから感じられない手ごたえ。
良い意味で期待をはるかに裏切られました。
でも、やっぱり目の前で会いたい、とも思います。
安藤裕子から気持ちが離れていると思っていました。でも、顔を見たらやっぱり私は彼女が好きなんだと、あらためて思うのでした。
オンラインで感情を実感するって、想像していなかった新しい感覚。オンラインが生きた回路のように感じられた体験でした。
もう一生会えないと思っていた人にも、新しい方法で会えるのかもしれない。そう思えたことが、この時期の一番の私の救いにもなりました。
文:Ⓒ2020 青海 陽
写真:Ⓒ2020 安藤裕子