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私のスマホ写真で振り返る今年のイベント体験 2023 【6月-その3】東京文化会館・吉田美奈子
[トップ画像]2023年6月の夕焼け
夕焼けを見ていると、子どもの頃を思い出す。
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@東京文化会館
🔷東京文化会館大ホール
このホールには来たことがあった。小学六年生の時だった。
仕事で家に帰ってくることが少なかった父とは、出かけた思い出がほとんどない。だから、よく憶えている。父が、クラッシック・コンサートのチケットを取ってくれたのだった。
といっても、私の家は決して裕福な訳ではなく、むしろ貧しい方だった。クラッシックなんか不似合いだと、当時も思っていた。
私の住んでいた古い集合住宅の、廊下を隔てた向こう側に、赤堀さんというオーケストラ「新星日響」のビオラ奏者が住んでいた。
昭和30年代にできた、各戸の間取りが2Kの集合住宅は、楽器を弾けるくらいに壁や天井が頑強で厚かったのだろう。夜中に風呂に入っていると、コンクリートの廊下の窓越しに、生のビオラの音が柔らかく響いてきた。当時は隣りの音が聞こえるのは当たり前の、平和な世の中だった。風呂に入りながらビオラが聴けるという、今思えばぜい沢な環境だった。
その人に頼んで、父はコンサートのチケットを譲ってもらったようだった。父は人見知りなので、日常的にやりとりがある訳ではない隣人に頼んだのを、意外に感じた。頭を下げてお願いに行ったのだろうか。
そんな外出は、最初で最後だった。
父は、江戸っ子で職人気質で短気だった。夜遅くに帰って来て、夜中に座卓に木の製図板を載せて、画鋲でトレーシングペーパーを留めて、T定規と鉛筆で図面を書いていた。
木工作業場もある工務店に泊まり込むことも多く、父と家で顔を合わせることは少なかった。たまに家に居ると、ダラダラ過ごしている私を見て父はイライラして怒鳴り、離れたところから物を思い切り投げつけて来た。一度は鉄のペーパーウェイトが、私の手元にあった湯呑みに当たって砕けた。
父は曲ったことが大嫌いだった。私が「生まれつき走るのが遅いのは不公平だ」と愚痴を言ったところ、怒鳴られた。「足が曲がっていても、根性だけは曲がるな!」と言われた。そして次の日から、毎朝足蹴にして起こされて、「外を走って来い!」と冬の凍える空気の中に追い出されるようになった。毎朝のマラソンは半年以上続き、私の足は速くなった。しまいにはリレーの代表に選ばれるまでになった。
魚屋の家に育った父は、兄弟が多く、貧しかったようだ。父は建築技術を身につけて、生活の糧を辛うじて得ることができた。それで「字が読めれば本で学べる」という強い信念を持っていた。その結果、私はスパルタで漢字の練習をさせられた。学校の漢字テストで間違った字を、新聞広告の裏紙を束ねた紙に何百回も書くまでは、休日であっても外に遊びに行くことは許されなかった。
後に私は本をたくさん読むようになり、文章を書くようになったので、父の教育は結果的に間違ってはいなかったのかもしれない。でも、当時は辛かった。
また、5歳の頃、私の作った折り紙の切り絵を、「こういう人真似は大嫌いだ」と言って、目の前で破いた。子供の作品でも容赦なく批判し、けなしたた。
一方、素朴であっても自分で考えて一生懸命作った作品は、間違いなく誉めてくれた。子供心には、時に理不尽だったが、審美眼は確かだったのだろう。
歌謡曲を「くだらない」と一切認めないような父が、クラッシックだけは好きだった。コツコツとFM放送をカセットテープに録音して、鉛筆で作曲者名と曲名と演奏者と演奏日を書いていた。
たまに帰ってきた夜には、父は勝手に私のラジカセでクラッシックを流していた。タバコに火をつけて、目をつぶっていたり、座布団に座り図面を書いていたりした。
父がクラッシックの何をどう理解していたのかは、今も私にはまったくわからない。後に、実家にピアノで生計を立てていた友人を招く機会があった。父と友人は、夜遅くまでクラッシックの話題で話し込んでいた。彼によれば、父は「音楽を魂で聴いている人」で、「こんなに造詣が深い人には会ったことがない」とのことだった。
そう、クラッシックはお金持ちの音楽ではない。高価なクラッシックコンサートに行かれるのは、ハイソサイエティの人が多いにすぎない。また、クラッシック音楽で生計を立てるのに莫大なお金がかかるのであって、クラッシック音楽そのものは、お金持ちのためにあるのではない。
むしろ、作曲家が命を削って書いた本物の音楽は、貧富を超越したところで人に響くはずだ。父は、音楽そのものを感じ取ることができていたに違いない。
そんな父がたぶん、子供に本物を聴かせようと思ったのだろう。
あの日、夕方の時間帯に、家とホールの中間くらいの乗換駅の、改札の内側で待ち合わせをした。父は仕事のやりくりをして、遅れて待ち合わせ場所に来た。
遠くから歩いてくる父は小さく見えた。いつもは気がつかなかったが、片足を引きずるようにして歩いていた。今まで、外で仕事姿の父を見ることはなかったことに気づいた。並んで歩くのは気恥ずかしくて、何だか眩しい感じがした。
父と各駅停車の京浜東北線に乗って、上野にある東京文化会館へ向かった。
◆ ◆ ◆
そう、今日ライブがある東京文化会館は、クラッシックの演奏会が開かれる、日本有数のホールなのだった。
父と来た時は夜だった。12月のザワザワとした喧騒の感覚が記憶にある。
そんなことを思い出しながら、夏の濃い緑の匂いがする上野公園を歩いて、会場に向かった。
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@東京文化会館
重厚な建物だったという印象はあったが、ここまでのものとは思わなかった。後世まで残るであろう、削り出した重い石で作られた建物は、天井が高くてローマ遺跡のようでもあった。
そして中に入ると、空間が立体的に構成されて設計されていた。床や壁が磨き上げられていて、星のように天井に組み込まれた光が映っていた。空間が温かい光と空気で満たされていた。
父と来たのは、こんな場所だったんだ。
何だか、父が連れて来てくれた建物が立派なのが誇らしくて、嬉しかった。
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@東京文化会館
父と来たコンサートは、小作品を含めて二時間くらいだったと思う。客席のセンターあたりの、上の方の席だったのを思い出した。
◆ ◆ ◆
実はあの日、父は途中から寝てしまっていた。それもいびきをかき始めていた。私は気が気ではなかった。
何度も肘で父のお腹を押して起こした。恥ずかしくて、まわりが気になって、顔が熱くなった。途中で自分も寝た振りをしてみたりもしたが、何の解決策にもならなかった。
コンサートの最後は、父が好きだったベートーヴェンの交響曲第7番だった。
この曲は約四十分だが、小作品と比べると音が大きいので助かった。
第四楽章で、オーケストラのバイオリンの弓が一斉に動いてキラキラと光っていた。
父は、曲の盛り上がりに合わせるようにして盛大にいびきをかき、曲は終わった。
アンコールでは、父は起きていた。
すべてが終わって拍手が止んだ時、父が真面目な口調で言った「いいコンサートだったな」と。
寝てたくせに…恥ずかしかったな…と思ったけれど、私は何も言えなかった。
◆ ◆ ◆
数年前から、吉田美奈子のある歌を聴きたくて、何度も目黒にあるライブハウスBlues Alley Japanに足を運んでいた話は、以前にも書いた。
でも、これまでずっと、その歌が歌われることはなかった。
レストランとしても知られているそのライブハウスには、グランドピアノがある。吉田美奈子はピアニストとウッドベース奏者とチェロ・バイオリン奏者とで「柊」というユニットを組み、季節ごとに年四回のライブを開いていた。歌われるのは、スタンダードと呼ばれるようなジャズやフォークソングだった。
今回は、いつもの小さいハウスではなくて、大ホールだ。渡辺香津美とのダブルネームで、「ハートに火をつけて」と題されていた。もちろん、The doorsの"LIGHT MY FIRE"にちなんだものだろう。
私が聴きたいあの歌は昔のソロ時代の曲だし、そもそも彼女にとっては、そんなに大きな位置づけの曲ではないのかもしれないな。今日も聴けないだろうなと、もうあきらる気持ちになっていた。
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@東京文化会館
◆ ◆ ◆
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@東京文化会館
音が反響する廊下を通って、客席フロアに入った。あの日、父と座ったあたりを目で探した。いや、あれは大ホールの方だったのかもしれない。
座席番号を見つけた。
深めの椅子に座った。
その瞬間に、すべてがわかった。
いびきをかいていた父は、疲れていたんだ。
座席に沈んだ重い私の体。
連日の仕事で疲れ切っていた。
父に自分が重なった。
父は、疲れていてもベートーヴェンを聴かせようしていた。
父を恥ずかしいと思った気持ちを謝りたかった。
私は、今日のコンサートが始まる前に、もう泣きそうだった。
◆ ◆ ◆
吉田美奈子の声はあたたかだった。
いつもと同じように、楽しそうだった。いつも以上にリラックスしていたかもしれない。
そして、アンコールのイントロ。
私がずっと待ち、焦がれていたその曲”Liberty”だった。
嗚咽を抑えながら、涙が流れ続けた。
吉田美奈子の母のような慈しみの響きに包まれた。
父が隣りに座っているような気がした。
父は起きているだろうか。
曲が終わったら言うに違いないのだ。
「いいコンサートだったな」と。
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@東京文化会館
吉田美奈子 LIBERTY
作詞:MINNIE SHADY, AKI
作曲:MINAKO YOSHIDA
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文・写真:©青海 陽2023
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