【7・10・11・12月】安藤裕子
感染拡大が収束しつつあり、安藤裕子も本格的に活動を始めたようです。五年ぶりに行ったのは「20周年ライブ――我々色ノ街」。
実はこのライブの名前「我々色」を冠したイベントは、4月24日に天王洲アイルKIWAで「我々色ノ前夜祭」として予定されていました。20周年の記念にファンが集い歌って、音源・映像化するという内容でした。ファン歴15年の私は何としても行きたかった。
それで私はファンクラブ先行で申し込み、何と一桁台つまりは小さい会場の1〜2列目の席が取れていたのでした。
けれども直前になって、出演者の感染でライブは延期。延期先の日程は都合が悪く、私は半泣きでチケットを流したのでした。映像で私の空席を「私」として残してもらうのでいい、とさえ思いました。でも、その席に座れる誰かは、私と同じように喜ぶだろうな、と思い直して、正規のキャンセル手続きをしたのでした。
ああ、思えば五年前の一月初めに開催された、結成以来のトリオ、山本タカシ、山本隆二との最後のアコースティック・ライブは、心筋梗塞で入院して行くことができず。移籍後の活動はほとんど見られないままに感染拡大へ。感染拡大の始めの年にオンラインライブを見たのが久しぶりでした。その後再度の感染拡大。やっと会えると思ったら延期。これはもう会えない運命なのかもしれません。そんな経緯でしたので、この周年ライブは、私にとっては、実に5年半ぶりの参加となりました。
この間、エイベックスとの契約終了、自主製作シングル「雨とぱんつ」以後しばらく活動なく、「衝撃」のヒットでの再起。不調を思わせるマイナーコードと不協和音が多いアルバム「Barometz」と、やや解釈しやすくなったアルバム「Kongtong Recording」。
サポートメンバーがシゲクニさんになって、かつてとは異なる路線のイメージが強くなっています。もはや私が知っている安藤裕子ではないのかもしれません。
こんな風にして今年、安藤裕子と再会することになりました。
🔹2023年7月9日 安藤裕子 20周年ライブ「我々色ノ街」
@LINE CUBE SHIBUYA
15年前、杖をついて歩けるようになった頃に行ったライブで買ったシルバーチャームのミサンガ。杖につけてお守りにしていた。
🔹2023年10月20日 "SUPERNOVA KAWASAKI" OPENING SPECIAL 1MONTH acoustic night 安藤裕子・吉澤嘉代子
新しくオープンしたライブハウス"SUPERNOVA KAWASAKI"の、こけら落とし公演でした。小さい会場では、息を吸って肩が上がるのまで見えます。人、を感じました。
吉澤嘉代子にとって安藤裕子は憧れだったようで、ステージ上でじっと見つめて涙が流れたのが印象的でした。
ちなみに、SUPERNOVAはスーパーノヴァではなく、スペルノーヴァと読みます。意味は新星(nova)を超える激変星である「超新星」。
そして、安藤さんは持ち歌であるくるりのカバー曲"ワールズエンド・スーパーノヴァ"は歌いませんでした。
🔹2023年12月1日 安藤裕子 @草月ホール
🔹2023年11月12日 安藤裕子 @富岡製糸場西置繭所
このガラスの部屋でのライブが発表されたのは、数か月前のことでした。
この部屋は、富岡製糸場の国宝となっている古い建物の中にあります。保護のためにすべての壁と天井が厚いガラスで覆われました。その結果、ガラスの向こうに百年前の壁が見える、透明な部屋が出来上がりました。
昨年、私はたまたまここを訪れる機会がありました。その時に思いました、安藤裕子がここで歌えばいいのになあ、と。それが叶ったという、私にとっては夢のようなセッティングでした。
私の席は一番前。山本隆二さんの演奏する指が見えるキーボードのすぐ脇を選びました。
目の前に彼女はいました。ステージの上ではなく、同じ目の高さで。
ライトがガラスを透過して複雑に反射して光る中、マイクを通さない歌声が直に届きました。
これ以上の近さはあり得ないと思います。まるでプライベート・ライブに来ているような、夢の時間でした。この時までは。
そして終演後。
今回のライブは、会場で新しいアルバムを買うと、終演後にポストカードに直筆のサインを書いてもらえるというイベントがありました。
本当に久しぶりに言葉を交わせる機会を得たました。嬉しさを抑えながら、私は彼女の前に立ちました。
しかし…彼女は私を認識していなかったようでした。私を見て「懐かしい」と言う彼女に、「お久しぶりです」と答えた私。
彼女は、「懐かしい、これ」と私のカバンについていたバッジを指さしています。それはアルバム「頂き物」に収められたLast Eye(作詞:安藤裕子 作曲:KTこと凛として時雨のボーカリスト北嶋徹)をイメージして彼女が描いたバッジでした。
あれ?私が懐かしいのではない?と思いながら、「5年半ぶりに来ましたと」伝えると、キョトンとした顔に。「私、以前ライブのたびに絵本を渡していた者で…難病で感染しやすいものだから…なかなかライブに来ることができなくて…」。彼女は、奥歯までそっくり見えるくらいに大きな口を開けて止まってから、「あぁ…」と。
私認識されていなかったんだ…と、かなりの衝撃を受けながら、「今は歩けるまでになったので、また会いに来ます」と下を向いて言い残して歩き出す私の背中に彼女の声「来てくれてありがとうね」
そんなもんだよね…と思います。何千人もファンがいて、一人を知る訳がないのは当然で。一方で、私には十五年間の積み重ねた時間があって、それは長い長い思い込みと妄想だったのかと。
変わらないのは、私が彼女の歌と過ごしてきたこと。それは私にはかけがえのない時間でした。私が同じ時代を生きていることを強く感じ続けたミュージシャンは安藤裕子が最初で最後だと思います。
四回会いに行った一年間。
落胆は、その後じわじわと効いてきました。
これから、遠くから見つめるのか、会いに行くのか、まだ決めきれずにいる私がいます。