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そうだ、教習所に通おう|ジムニーSJ30への道のり②
私のSJ30に乗るまでの日々は長く、免許を取るところから始まったのでした。それで、今回は教習所に通おうと思った頃のことを書きます(SJ30とはあまり関係なくてスミマセン)。
🔹とにかくジムニー!と思っていた
ジムニーに乗りたいと思っていましたが、実は私はまだ車の運転免許を持っていませんでした。
高校までの同級生は、大学時代に当たり前のように免許を取っていました。大学の推薦入学が決まっていた友人の中には、高校3年の在学中に免許をとる者もいました。先に彼らが大人の仲間入りをして、華やかな別の世界に行ってしまったように感じました。彼らには既に大学生活が保障されているという明らかな立場の差もあって、うらやましくも少し悔しくも感じたのを憶えています。
一方、私の大学時代はといえば、私は学費と生活費をすべて自分で稼ぐ勤労学生でした。
また、どうしても外国を自分の目で見てみたくて、貧乏旅行で一カ月半、ヨーロッパ、エジプト、香港等を歩き回ったり、徒歩で日本中の海岸線を歩いてつなぐような旅行を繰り返していました。
大学時代の後半には、当時やっと大きいCRT画面になって機能が使用にたえるようになり、少しずつ個人に普及し始めた約20万円のワープロを買って、エッセイ集を作って友人に配ったり、卒論の清書を有料で請け負ったりしていました。大学を卒業するころには、PCに未来を感じて、今と比べるとかなりの高額でデスクトップPCを購入しました。ニフティサーブに接続したり、グラフィックボードを挿してポジをスキャンし、画像にキャプションをつけたフォトエッセイの可能性を模索したりしていました。
とにかくやりたいことがたくさんあって、そのうえ生活もしていかなければならないのでお金が必要で、結果として働き続けなければならないという、多忙な日々でした。したがって、私の学生時代には免許を取る余裕なく、というよりは、優先順位が低かったのでしょうね。
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常にアルバイトで稼ぎ続ける必要があり、生活介護の仕事と喫茶店をかけ持ちで週7日勤務していた時期もありました。
就職して驚いたのは、休んでも給料がもらえること!(有給休暇)と、働いていないのに給料以外のお金をもらえること(賞与)でした。就職すると、アルバイトと比べて仕事ははるかに楽になりました。それなのにアルバイトよりも多い金額をもらえましたので、世の中意外と甘いんだなと思いました。また、こうやって世の中は回っていて、アルバイトの自分はしわ寄せを被っていたのだな、と思ったりもしました。
就職して数年経ち、休みの日はリュックにテントと釣り道具を詰めて、電車か旅行用の自転車で釣りに行くプチ釣り旅行の日々を送っていました。そのため、相変わらず貯金はありませんでした。
そんな時に、「休みの日を有効に使うには、車が便利なのではないか」とふと思ったのです。今自分の力で担いで運んでいる物を車に載せて、夜中の内に海に向かうことができるのではないか。
私が車に載せて運びたかったのはテントやナベやコンロや水、調味料などの生活用具です。それから、釣り竿とリール、色々な種類の鉛のおもりや浮き、そしてイソメやオキアミ等の釣りエサです。
雨が降っていれば車の中で眠れます。週末の夜中に車で海に着いておいて、明け方から釣りができます。明け方と夕暮れ時は「まづめどき(間詰め時)」といって、魚の活性が高くなり、一日の中でいちばん魚が釣れる時間帯なのです。明け方に海にいる、なんてすばらしい光景、なんて素晴らしいアイデアでしょう。
そして、たくさんの荷物を積むには、車は真四角の方がいいと思い。砂浜や岩場近くまで入って行きたい私の使い方には、ジムニーはとても合っていると思いました。
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そうだ、教習所に通おう。
こんなふうにして教習所に通うことを決めて、そのためのお金を貯め始めました。その半年くらいの間に、当時いくつも出ていた4WD車の雑誌「Let’s go 4WD」等のジムニー特集をページがボロボロになるまで繰り返し読みました。
それから、フルオープントップのジムニーのプラモデルを組み立て、筆でボディを深緑色に塗りました。消しゴムをテントや寝袋等に見立てて小さく切ってジムニーの荷台に積んで、積載シミュレーションをしたりしていました。
ジムニーは、イメージが広がる車でした。小さいけれど、何か無限に思いを載せられるような車でした。 (つづく)
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文と写真:©青海 陽 2022
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