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小学2年生のこと
小学生の時の記憶はほぼありません。
不思議なことに、「楽しかったこと」と「辛かったこと」どちらもあまり覚えていません。
私は幼い頃から小学校を卒業するまで、小児喘息を患っていました。
その影響からスポーツにはほぼ触れずに生きてきました。根っからのインドアエリート。
運動神経については高校時代を記す際に言及しますが、当然のように運動神経が悪いまま今日に至ります。
小学2年生の頃にある特定の女子からいじめられていた記憶があります。された側はいつまでも覚えている、と言うものですが、原因は全く覚えていません。小学2年生の頃なんてそんなものです。
ただ、担任の女性教師がとんでもない人だった記憶はあります。
「自己紹介」の末文にも記しましたが、私の世代は体罰OKとNGの狭間に属します。
ゲーム機といえばゲームボーイアドバンス、徐々に初代DSに移行。ポケモンといえばエメラルドから徐々にダイアモンドパールに移行。
あの頃は体罰OKの時代です。
ピロティ(懐かしい響き)の、ちょうどそのO先生の邪魔になる場所に私が立っていたんだと思いますが、それだけで「邪魔だ」と言われ頭を頭を思い切り叩かれた記憶があります。
あと、この記憶は本当に正しいのか今になると疑わしいですが、1階の職員室と運動場を繋ぐ勝手口で昼休みにタバコを吸ってらっしゃいました。
これは本当に定かではない記憶なのであてにはなりませんが、その情景とタバコの匂いははっきりと浮かびますが、真相は闇の中です。
ですが、そんなエピソードもO先生なら可能性あるかも、と思わせるほどの先生が担任となりました。
当然、私の小学2年生は地獄のような1年間だった覚えがあります。
軽くいじめられるわ、モンスターティーチャーが担任だわ、喘息だわ、いくら竹内まりやでもその頃の私には迂闊に「笑顔をみせて」とは言えないくらい、踏んだり蹴ったりの1年間でした。
約25年半生きてきた経験を踏まえて、この頃は確実に「鬱」だったんじゃないかと思います。
当然、物心がついたばかりの幼い私にはそんな認識はありませんが、社会人である今、そんな上司のもとで同僚にもいじめられるような職場にいたとして且つ守るものがない状況ならば、すぐに退職すればいいことです。
ですが小学2年生は違います。義務教育の渦の中に飲まれ、転校が伴う引っ越しは簡単にはできない。選択肢は、ただ辛い日々が過ぎ去るのを待つ以外にない。今思うと、あの頃の私はよく耐えた、よく頑張った、と、我ながら心から尊敬します。
そんな1年間を終え、2年間同じ担任になる恐怖に怯えクラス替えを迎えましたが、なんとか回避することができ、無事に3年生に進級しました。
PTAからの評判も当然悪かったO先生は、それからすぐに自分のクラスを持てなくなったように記憶しています。
どの時代でも小学校の敷地内はさすがに禁煙だわ。
そこからの4年間は覚えていませんが、小学5年生のときに、初めて「夢」を持ちました。
「記憶がほぼない」と言う割には意外に覚えてるじゃないかって思ったでしょ。
それこそが、このnoteの目的です。