歌詞を書くということ
約2週間更新が止まっておりました。
体調不良、ノートPCの不調、出張等々。
型落ちのiPad proを購入し、今noteを書いております。
前回ソフトテニス部での思い出を記しましたが、私の中学時代は音楽に彩られたものでした。
小学6年生の頃にthe pillowsにハマり、そこからロック一色だったのですが、中でも衝撃を受けたのは中学2年生の頃。
ソフトテニス部の同級生に誘われて、漫画もアニメも観たことがなかったナルトの劇場版を観に行った時のことです。
正直本編の内容は全くわかりませんでした。しょうがありません。登場人物についてもわからなければ彼らの関係性や背景等も知りませんから、どういう話なのかも全く覚えていませんが、エンディングテーマに全てを持っていかれました。
ASIAN KUNG−FU GENERATIONの「それでは、また明日」
イントロのベースから全てを持っていかれ、歌詞の内容の濃さについても衝撃を受けました。ここではあえて曲についての考察は深くは書きませんが、その時私は思ったのです。
これだ!
小説は長くて集中力が持たない。だったらメロディーに乗せた歌詞ならどうだ。
歌詞なら短い中で深く言葉を配置できる、歌詞なら文章力も問わない。
でも、どうしたら歌詞が書けるのだろう。
当時はAKB全盛期で、特に作詞家のイメージは秋元康先生でしたが、経歴は放送作家を経て作詞家、プロデューサーになった方ですが、中学2年生の私にはまだ無縁です。
となると、自分で音楽を作れば歌詞が書ける。でもDTMも中学2年生の私には無縁でした。
これは困った、と思っていた時、ソフトテニス部で一緒だった友達が声をかけてくれました。
「一緒にギターやらない?」
今思えば、当時の私は充分にロックというジャンルが無意識に好きだったと思います。
ただ、ギターを始める、バンドをやるということに結び付かなかった当時、音楽を始めるきっかけとしてギターは一番手軽なのではないか。調べたら安いエレキギターは1万円を切ります。作詞をする上で自分の曲を作るきっかけに充分なり得るのではないか。
そこで、私はその友達の声にまんまと乗ることになります。
ちなみに、私は「それでは、また明日」のイントロにまんまとやられてますので、本当はベースをやりたかったのですが、当時の私は、「ベースは歌わないだろう、ということは、歌詞が書けないだろう」と狭い世界でものを考えていましたので、あっさり却下しました。ベースボーカルのバンドはこの世に数えきれないほどいますが…
今でもギターを弾くことが好きではありません。心のどこかではバンドに属している中で弾かなくてもいいのであれば弾きたくはないと考えています。私の目的はあくまで作詞。ギターはそのための手段に他なりません。
でもボーカルギターであればメンバーは3人でも成り立つ。マイク1本で声を鳴らす、フロントマン然としたルックスも無ければ歌唱力も無いのですから。