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自分を見つめ直す、親友を想う

完全に自分は恋愛不適合者だと確信し、私はこれまでの人生について考えました。
これまでの生き方、これまでの恋愛。

そこで自分の中で発見がありました。
私は誰かのためでないと生きられない。
誰かのために何かをするのが幸せであり、生きがいである、と。

正直、自分の人生に展望や目標がありません。
自分が生きることだけを考えれば、正社員として働かずとも一人生きていけるほどのお金を稼げれば十分なので、本屋でバイトしてみたり、やってみたいバイトをやると思います。なにせ全てを諦めたら無敵だからです。

ですがそれが私にとって最も幸せな選択だとは思いません。おそらく2番目に幸せになれる方法。

「私が最も幸せになれる方法」について考えました。
するとまず、今まで意識して自分の幸せを求めたことがないことに気づきます。
では次に、何が私にとって幸せなのかを考察しました。すると、「誰かのために何かをすること」が最も幸せを感じると気づきました。

元々、プレゼントやサプライズが好きな性格であることを思い出します。
そして、私がどういった人と相性がいいのかについて考えます。
今まで、「彼女」という存在にそれを見つけ出そうとしていました。
まず付き合ってみないと合うか合わないかはわからない。自分のタイプかどうかは排除し、チャンスがあれば彼女を作りました(そこで私の今までの恋愛観も狂っていることにも気づきました…)。
そしてそれがかなり遠回りをしていたことに気づきます。もっと簡単に答えは出せたのです。

私の唯一の親友について考えました。
今年で出会ってから7年来の親友。人生の中でこれまで長く途切れることのない人付き合いをした経験はありません。

彼が答えなのではないか。
彼がどういう人間か、もう一度出会った頃を思い出して真剣に考察しました。
すると見えてきた自分に相性のいい人間像。

「だらしないが軸のしっかりした常識人」

私の趣味は洗濯であると以前書きましたが、彼の家の洗濯も何度か引き受けたことがありますし、彼の引っ越しの際には部屋探しから仲介、引っ越し作業まで全て一緒に行いました。
どう書くのが正解なのか悩みどころで、これから書く表現一見すると上から目線で偉そうに見えると思いますが、考えるまま表現します。

人の世話をするのが好きなのです。
人のために何かをして、その人に喜んでもらいたい、その人の役に立ったと思いたいのです。それが自分の存在価値であり、生きる意味だと思う。

そう思うと、私は昔から人に何かをされるのが苦手です。
それは一見聞こえがいいかもしれませんが、人を信用できない、自分ルールが強いということを意味します。
段取りを組んでそれ通りに進める。途中の予定変更も自分が決めたことなら正しい。
かなり面倒な性格です。
以前付き合っていた彼女が私の家で皿洗いをしてくれた時も、なんかモヤモヤする。自分が洗った皿しか信用できない。洗い直したこともあります。最低な人間です。

でもそれを親友に対して考えたことがない。
親友がどれだけだらしなくても、どれだけ部屋が汚くても家に行きたくなる。
お世話をしたくなるし、それに感謝してくれる。
感謝をしてくれたとしても、見返りを求めず、無償の愛を捧げられる存在。
程よく信用せず、しかし絶対的に信頼できる存在。

そういった人が自分にとっての運命の人だということに気づきました。
そんな相手ならば、一緒にいれるかもしれない。
自分が完璧でないことを素直に認めつつ、それでも自分が持てる最大限の愛を捧げられる存在とだったら。

そして私は改めて気づくのです。
彼も片親であることを。

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