家族を失うこと
1年のはじめの日をお祝いする、元旦。
日本で1番、おめでとうを言い合うこの日に、今年「能登半島地震」が起きた。
何十億年と生きている地球にとっては、お正月なんて関係ないかもしれないが、それでも、あんまりだと思った。
発生して時間が経つほどに、増えていく犠牲者。
正直、いたたまれない気持ちが大きく、被害のニュースを深追いすることはできなかった。
でも、ふと見たテレビニュースで、家族全員を失ったお父さんが映っていた。
妻と子ども3人を、地震で亡くしたとのこと。
言葉が重い、頭から離れない。
どんなに辛かろう。どんなに家族と会いたかろう。
私が、もし同じ立場になったら。・・・足がすくむような感覚に落ちる。
自分もそっちに行きたいと、願ってしまうと思う。
結婚して子どもが生まれて、今幸せだと思う。
この時代願っても叶うとは限らないし、運だって大きい。
でも、その幸せは同時に、「失う恐怖」もセットで持ってくる。
何か事故があるたびに、何か事件があるたびに、ああ我が子だったらどうしようと怖くなる。
昔、とあるミャンマー人の先輩に、「大切な人が死んでしまうことを想像してしまうことがある。不謹慎だと思うが」と話したことがある。独身の頃だったので、そのとき何を思ったのか我ながらわからないのだが。
そしたらその人は、「いや、そういう想像をすることで、その人の大切さを改めて感じることができる。時々はそんな想像も必要だ」と言った。
その言葉を、今もときどき思い出す。
心を軽くする、素敵な言葉だと思った。
少なくとも、今子供たちは生きている。
今後もし、悲しいことになってしまっても、「幸せだった」と思ってほしい。耐えられる自信なんか今ひとつもないけど。
事件や事故があるたびに、心臓を掴まれるような感覚。幸せとともにその重みも、感じ続けなければならないのだろうと思う。
地震で、火災で、家族を失ってしまった方々に対して、何か言えることなんてなくて、ただただ辛かろう…と思う。家族を失う前まで、ずっとこのささやかな幸せが続くと漠然と思っている、自分と同じだったと思う。
亡くなった方々のご冥福を、お祈りしたい。
そして残された家族がいつか寿命を迎えたら、天国で会ってほしい。
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