赤い花の満開の下
今回は完全に自己満足、夜中にふと文を書きたくなったので書き殴ってみようかと思う。
赤い花の満開の下
戸川純、ヤプーズのこの曲を初めて聴いた頃、17歳の私にこの曲はインパクトのあるものではなかった。
22歳になる今年、久しぶりに聴いて衝撃的だった。
戸川純のあの特徴的な声、というよりは本当に若い女性が軽く歌っているようなイメージ。だけど、そこからリアルを感じる。
戸川純全歌詞解説集、イタリアまで持って来てて正解だったなあ。
私の最初のブログタイトルはこの本のタイトル - 疾風怒濤ときどき晴れ - から頂いたんだもんね。疾風怒濤って響きが好きで。
すぐさまアルバム、HYSのページを開く。
HYSの中で最初、私が一番衝撃だったのは本能の少女。これぞ戸川純、という声色で歌い上げられ、後ろでは特徴的でまるで急かされるみたいなリズムが刻まれる、蝶々がテーマの一曲。
この曲が衝撃だったのは、その強い生命力。
彼女の曲にはよく「虫」が出て来る。虫から感じられる圧倒的な本能に惹かれるからだと彼女の解説集に書かれていた。
生命力に水を差す知性のベール脱ぎ捨てて、尊重すべきは本能
この歌詞を聴いて思い出した話がふたつある。
ひとつは、アマゾンだったかな?熱帯に大量の群れで生息する蟻の話。この蟻達は群れが川を渡る時、自分達自身を橋にして渡るらしい。つまり橋の役を担う蟻達は溺れて死んでしまうが、その犠牲のおかげで他の群れの仲間は川を渡ることが出来て、自分たちの子孫を残すことが出来る。ここに感情なんかは存在しない、基本の生存本能のみが存在している。
ふたつめは、人間は自ら息を止めて自殺はできないって話。どれだけ頑張って息を止めても人の身体は息をするようにできているらしい。本能を邪魔する知性があっても元から備わった本能には逆らえないシステムが人の身体には搭載されているらしい。
「生きる意味を探す」よりも「本能に従って生きる」、そこに意味が付いてくる。という考えが強いリズムにのって、春の風に吹かれた蝶々らと共に押し寄せる。
もう、もう、これ以上は上がれない、と思った彼女の声は蝶々の歌詞を歌う時、天井を破るように強く綺麗に突き抜けた。
そして、赤い花の満開の下。
本能の少女とは全く違った雰囲気。明るく始まる曲、そして続く台詞。
久しぶりに真っ白い雲をみた。空を見ること自体久しぶりだった。
すごく寂しい台詞、青い空じゃなくて白い雲ってとこも。
そして歌い出す。1秒前の寂しさを押しのけるような明るく純な歌声。歌詞にも音楽にも、やっぱりいなくなってしまった人を想う寂しさが残るが、ちゃんと晴れた空を見上げて自分の丈夫さに気付く。
人ってふとした時に自分の丈夫さ、能天気さに気づいたりするからね。私も悲しくて悲しくて仕方がなかった時でもトイレットペーパーの残量を気にしている自分がいて、ああ、大丈夫だと思ったことがあるから。
彼女の歌詞解説を読んで「言霊」の文字を見つけた。
あれは赤い花、赤い花。孤独じゃない。
赤い花に囲まれて、自分に言い聞かせる。無理やり前を向かせる感じ。
いざとなった時は神様もいるし
家族も友達も、皆んないなくなったって、神様はいるし、大丈夫。
畳み掛けて自分に言い聞かせる。それが自己暗示であっても、口に出すことで本当になったりする。
ここでの神様ってのは別に宗教どうこうじゃなくて、拠り所ってイメージ。
言霊は本当に存在してて、すごく良い働きをしてくれることが多い。すっごく他人に対して怒ってても「怒ってないよ」って口にするだけで落ち着くこともあるからね。
この曲、明るく感じる一方で不気味にも感じるほどの純な、ピュアな歌声、明るい曲に走って付いていく、今にも泣き出しそうな声。
そして明るく繰り返される
何日君再来 (ホーリー ツゥエン ツァイ ライ)
...
本能の少女から、赤い花の満開の下
本能にのみ従い生きる虫たち、本能の邪魔をする知性によって傷つき、立ち直り、また本能に従い生きる人間。
そもそも好きな音楽をじっくり分析するのってあまり好きじゃなくて、これいいな、好きだな、って感覚を大事にしたいんだけど、戸川純の曲は音楽を通して色んな感情を感じさせてくれるからじっくり向き合いたくなっちゃう。
彼女の歌は、時間が経つことによって、自分が成長して得た感情をさらに彩ってくれる、次の日前に進めるパワーをくれる、そんな存在。
17歳の私に、この成長と時間の経過を伝えたくなった。
長くなっちゃったなぁ、朝になっちゃったよ。
読み直してみたらすごい病んでるみたいだけど、全然元気だし彼氏と別れてもないです。
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