宿命中殺の人の生き方
青豆です、こんにちは。今日は宿命中殺を持っている人が、どんなふうに生きたら良いかをお話ししてみようと思います。
宿命中殺とは、陰占のなかに天中殺されている十二支がある場合を言います。
たとえば、申酉天中殺の方が、年支に申か酉があれば生年中殺、月支にあれば生月中殺となります。
生年中殺と生月中殺を二つ持っている方もいます。こちらは宿命二中殺となります。
また見方が異なりますが、年干支から見る生日中殺というものもあります。
そして、ごく稀にですが、全ての干支が中殺されている宿命全中殺という方もいます。また甲戌と乙亥だけは、日座中殺という特別な宿命中殺となります。
ちなみに、朱学院では日居中殺というものは学びません。ほかの流派の方から聞いたのですが、これは伝統的な算命学にはない天中殺らしく、違う流派では学ぶそうです。それ以外はだいたい同じようです。
このように色々な天中殺がありますが、どこに天中殺があるか、場所によって名前と意味合いが変わりますが、ぐるっとひとまとめにして「宿命中殺」となります。
本日は陰占のみ、生年中殺、生月中殺、生日中殺の解説を簡単にしてみたいと思います。
生年中殺
ここは親の場所であり、親が中殺されます。親縁が無い宿命で、親に頼ることができません。親元を離れて開運すると言われ、なるべく早い時期に独立すると良い人です。経済的、精神的に自立していれば、あとで親と同居しても大丈夫ですが、一緒に暮らすとどうしても親に頼る場面が出てきやすいので、できるだけ離れるほうが賢明です。
親縁がないため、親の家業は継げません。また親と同じ業界に入って活躍することができません。そのため、親とは違う世界に向かうと生年中殺は消化されます。
また、物理的に親に頼れないような状況がありがたく、親が破産していたり病弱だったり早く亡くなっていたりする場合は、「そのおかげで早く親から独立することができ、生年中殺が消化できた」と見ます。
親から離れて、援助を得ていなければ良いので、親に子どもから経済的援助をしたり、お世話してあげるのは問題ありません。
青豆は、生年中殺があります。基本的に親に頼れない家に生まれ、いわゆる親ガチャなるものを恨んだこともありました。でも、今思えば、そのおかげで宿命中殺を消化しやすかったので、ありがたいと思います。時間はかかりましたが、親に対する葛藤も克服して、今は両親どちらも仲良しです^_^
生月中殺
生月中殺は、家系と社会、子どもの場所が中殺されています。家系や子どもに頼れません。社会も頼れません。人生で頼れるものが少なく大変ですが、そのぶんそれを乗り越えられるだけの強い宿命であるとも言えます。
家系から離れるわけですから、たいていは親元を離れることになります。親が代々の家業を継いでいた場合、親の跡を継げません。親が家系と異なる世界(仕事)で生きている場合は、親の跡を継ぐことはできます。ただし、親の跡を継げるかどうかは、その他の要素も関係しますので、あくまでも生月中殺だけで見た場合です。
子どもに頼れないので、子どもが大きくなった時、子どもと同居してはなりません。子どもが早く独立して巣立っていけるように育てるべきで、子どもからの援助を期待してはいけません。子どもは天から預かった存在と思って、早く世に出すことが大切です。そうすれば問題は起きません。
社会に頼れないので、会社のメンバー(特に部下)が頼りになりません。頼りにならない人が周りに来るか、頼れない状況が作り出されることが多くなります。しかし本人が周りに頼っていなければ、助けられることもあります。
そして土壇場で全く予期せぬところから、奇跡的な救いの手がもたらされることもあります。しかしあくまでも、「頼っていない」からこそ助けられるというミラクルなのです。
生日中殺
生日中殺は、年干支(親の場所)から見た中殺で、生年中殺や生月中殺とはちょっと異なり、あまり中殺現象は出てきません。普段は変わらないと思います。しかし、結婚すると中殺現象が出てきやすいのです。それは配偶者の場所が中殺されているからです。
親が配偶者に対して中殺してくるので、結婚すると親からなるべく離れたほうが良いと言われます。
この方は、親縁が薄いことは生年中殺と同じなのですが、生年中殺が親に頼れなかったのとは違って親に頼っても良い人です。
逆に、生日中殺の方は、「親の役に立たない」ほうがよく、親孝行しなくて良いと言われます。親の役に立とうとすればするほど、中殺現象が出てきやすく、その代表的なことが、親にとって立派な人物になることです。
そのため、親の期待に応えないほうがよく、親から見て「理解できない子」になっていれば、生日中殺を消化しています。
この方も親元をなるべく早く出て、特に結婚後は同居してはいけません。同居していなければ、たまに親元に顔を出したりするのは問題ないです。親にとって良い子になろうとしないことが重要です。
無欲の勝利
今回は生年中殺、生月中殺、生日中殺を取り上げてみました。宿命に中殺が無い方からすると、全く意味不明なことが起きるのが宿命中殺者の人生です。波瀾万丈と言いますか、予期せぬ事件に巻き込まれたり、すごく上手くいっていたことが突然空中分解したり、かと思えば普通ならありえないような奇跡が起きて助けられたりすることもあります。
宿命中殺の大きな特徴は、「思い通りにならない」ことが普通の人より多いことです。これは、中殺を受けることで、異常となり、意図したことが空転する、意図しないことが起きる、という意味です。
宿命中殺の無い人は、後天運で天中殺が回る時にこれがおきますが、宿命中殺があるかたは、それが人生全般で起きやすいのです。
じゃあ、宿命中殺を持つ方は人生苦しいばかりなのかというと、そうではありません。
宿命中殺があるかたは、「無欲」に生きていると中殺現象が起きないか、起きても問題になりにくく、助けられることが多いのです。逆に、欲が少ないことで、普通の人よりも小さな幸せを感じられる瞬間が多いと思います。
具体的にどのようなことに中殺現象が出やすいのか、誰との関係に中殺が起きるのかは、もっと細かく星を見ないとわかりませんが、全体として無欲に生きる、が一番重要なことです。
中殺された星はブラックホールのようなものかもしれないなと青豆は思います。その部分への欲求が際限なくエスカレートしてしまったり、程よいところで止まることが難しくなったり、通常モードでいられなくなるのです。
人間だから、無欲でいることはとても難しいですし、完全に無になることは不可能です。その不可能にチャレンジする、一種の修行かもしれません(笑)青豆も日々、欲との戦いです。
青豆の父は、生年中殺と生月中殺を二つ持つ宿命二中殺です。そしてそれをうまく消化することができなくて、大変波乱に富んだ人生を生きました。(まだ存命ですがw)
正直、家族としては、色々と大変な人でした。
しかし、先日「死んだら遺体を大学病院に献体してほしい」と言われ、それは宿命二中殺として最高の最期だなと思ったので、快諾しました。遺体を医学のために寄付することを献体と言います。献体された遺体は、医学生の解剖実習に使われ、そのあとは大学病院で火葬して供養してくださるのです。
我が家にはもうお墓もありませんし、母とは離婚しています。姉も私も結婚して名前も違いますし、住んでいる地域もバラバラです。家族全員で顔を合わせることはもう二度とないでしょう。
家族仲良しの「良い家庭」ではありませんでしたが、献体という無欲の極みのような行為は、宿命中殺には良い最期だと思います。
私も、死んだら臓器提供しようと思っていますが、献体もいいなと思った(笑)
今日は、宿命中殺についてお伝えしました。また、星の中殺について、今度お話ししてみようと思います。
ご自分に宿命中殺があるかどうか知りたい方は、朱学院の無料サイトからご覧ください。(残念ながら生日中殺は出ません)