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アルイルxハブ研究会 vol.5

2ヶ月に1回のペースで実施している神奈川県茅ヶ崎の「みんなの家・リトルハブホーム」と西新宿の「れもんハウス」の共同主催による、ゆるやかな学びあいの会「アルイル x ハブ研究会」。本5回目のゲストは、長年、足立区を中心に、地域の子どもたちの子育てをしている、「まなびやなかま実行会」の荻野悦子さんでした。
「私、こうやって自分の話をすることって滅多にないんですよ。だから今日は緊張しています。」そう仰りながら、語り始めてくれました。

荻野さんちの話です。
どうぞ。

今回も定番の豚汁とおむすび。

荻野さんちのお話

「おにく、ちょ〜うだい」

育ち盛りの子どもがいる若い家庭を自宅に招き、ご飯を一緒に食べたり、ご飯を届けたり、時には保育園のお迎えもしたりする荻野さん。かつては幼かった地域の子どもたちが親となり、荻野さんは、親とその子どもたちに関わり続けている。ライターとしてのお仕事をしながら、週2回ほど、相手のその時々のニーズに応える形で、子育てのサポートをするのが荻野さんのライフスタイル。

「自分の子どもでも孫でもないんだけれど、こういう付き合いの中で、子どもの中に残るもの。ある気がするの。」

なぜしているのか

荻野さんのこのような地域の子どもや親との付き合いは、今に始まったことではない。

ことの発端は、今から18年ほど前、荻野さんの次男さんが小学1年生の時に始まった不登校がきっかけ。5月末の運動会のあと学校に行き渋るようになり、いよいよ行かなくなってからは、荻野さんと夫さんで半年ずつ代わりばんこで休職し、子どもを家で見守る体制をつくった。そんな中、4年生の長男のお友達が荻野家に頻繁に来るようになったのだと言う。

「夫が家にいて、私が働く番になってですね、仕事から家に帰るでしょ。そしたら、玄関は靴だらけで、家の中には12、13人の子どもたちが居るわけ。来てるのを追い返すわけにはいかないじゃない。でもね、6時半頃になると大抵の子どもたちは、自分の家に帰るの。お家が安定していると自然と帰るのよね。でもね、8時半くらいに、ピンポーンと鳴って、戻ってくる子どもがいて。ご飯食べた?って聞くじゃない。そしたら、食べてない、って言うから、じゃあちょっと待ってて、って言って作って食べさせるでしょう。それで、お家まで送るとね、お母さんは居るけど、お父さんはいないっていうの。」

当時、荻野さんは「子どもの貧困」をテーマに取材をしていた。

「会社から、そのテーマをあてがわれた時、わざわざ書かなくたって、子どもの貧困が深刻なほどあることなんて、見れば分かるじゃん!と思った」と荻野さん。

「探さなくてもあるんですよ。足立区なんて、子どもの貧困について、その辺の人に聞くと、すぐ分かる。それでできた本がこれなんです。足立区だけじゃないですけど」

『誰かボクに、食べものちょうだい』新日本出版社、2010年

荻野さんの過去「記憶がない」

「私、子どもたちといると、すごい笑顔なんです。子どもが笑顔にさせてくれるの。」そんな笑顔な自分が嬉しいのだと言う。

実の所、荻野さんには、自身の子育て経験の中のある数年間は記憶がない。

激しい鬱。

次男が1歳から5歳くらいまでの4年間は、薬の影響もあって寝ていたのか、あまりよく覚えていないのだと言う。

「秋葉原の駅のプラットフォームから、電車に飛び込みたい衝動が毎日。これが3、4年と続いた。自分が生きることを否定する自分と闘っていたんですね。」

「薬の影響もあって、家に居る間はほとんど寝てたんです。だから、あの頃、子どもと遊んだ思い出の中で覚えているのは、お医者さんごっこだけ。あれは寝ながらできるから、よくしたんですよね。」

そのような経験から、自分が自分らしく生きられることが、どれだけ尊いかを知ったという荻野さん。その自分らしさは「ガーって突っ走る日もあれば、ゆるゆるでもいいよね」と語る。「どっちでもいいし、どっちだってある」のだから、人にもあれこれ求めなくなったとも言う。

「あの時どうしても楽しむことができなかった子育てを、今、こういう形で楽しませてもらっているのだとも思うんです。」

笑顔で語る荻野さん。


自分なりに何かをするということ

「だけど、よくできるね」と言われることも多いという荻野さん。でも、荻野さんにしてみれば、「とにかく、やってみる」の精神で、自分なりにやってみることを大切に在り続けているだけなのだと言う。「誰かが何かをやっているのを真似するのもいいけれど、結局、同じことはできないじゃない。だから、自分なりにやってみたり、撤退したり。その繰り返しですよね。」パートナーである夫さんにも相談することはあっても、地域の子どもとの関わり合いの中では、時として相談する間もなく、今、その場で判断を迫られることもしばしば。「夫にとって私は危険人物ですね(笑)説き伏せるしかない日だってしょっちゅうですよ(笑)」

自分が、自分なりに何が出来るかは、自分が置かれている状況や子どもによって変わってくる。だから、「正解」なんてものはなく、だからこそ荻野さんは、「とりあえず」が大の好きだと語る。「とりあえず」自分で決めて、決めたのなら、それに向かっていけばよくって、違ったのなら、またその時考えればいいのだから、と。

次世代に関しては、昔も今も、待ったなしの状況だと言う。当時荻野さんが関わっていた子どもたちの高校進学率は、半分くらいだった。「だからね、見捨てられないっちゅうか。そういう子は死と隣り合わせなの。だからとにかく生きてて欲しいと思う。生きてればいいのか、という問いもあるかもしれないけれど・・・。今の若い子たち大変。まともな仕事はなくって稼げない。きちんとした性に関する知識が足りず、子どもが次々と産まれ、生活が困難に。なんでそういう生きにくい社会になっちゃたのかを大人はもっと考えないといけないです。」

「私としては、そうね。去るものは追わず。されど来るもの拒まず。そして、去るような付き合い方はしない。とにかく、つながり続ける。近所のおじいちゃん、おばあちゃんでいられたら。」

一言メモ。

「(学校行かなくたって)いいじゃん。生きてるんだから。」

学校へ行けなくなった息子さんに向けたこの想い。

それを出発点に始まった荻野さんと足立区の子どもたちとのストーリーを、たっぷりと聴かせてくださった荻野さんに感謝です。溢れる笑顔の背景にある痛み。柔らかい口調から紡ぎ出された言葉には、いろんな色がありました。

昔、「おまえのかあちゃんってすごい先行ってるよね」「おまえのかあちゃん、なんかおかしい」そう長男の友人らから何度か言われていたそうです。荻野さんにとってはそれは「最高の褒め言葉」。

荻野さんは、「子どもたちをちゃんと見るってどういうことかを、苦労しながらも、考えさせられている」と仰っていて。迷いや悩みを日々抱きながら、子どもと親をよく見ながら共に生きる中、きっとその子どもたちは子どもたちで、そんな荻野さんのことをよーく見ていて、感じているんじゃないかとも思いました。「この人はなんか違うぞ」と。当時、学校に行かない息子さんに対して、「行きなさい」とは一言も言わず、みんなのかあちゃんとして、寄ってくる子どもたちを受け入れ続ける姿に、「この人はなんかおかしい」。そうあたたかく光るものを感じた、あの頃の子どもたちのように。

そんな「おかしな」大人で溢れる社会は楽しそう。

まずは自分から。

みなさんの感想

参加者のみなさんの感想も紹介します。

・ここに来るまでは、場づくりに関して、「あれもしないと」「これもしないと」とプレッシャーに感じていた自分がいた。でも、成り行き。目の前にあることを手を差し伸べるということでいいんだなって思った。
・「たまたまではなく必然。」つながりを大事にしていたことが伝わった。
・昔の経験が、無駄なことなく全部つながっていたことが分かった。自分も、今のこと、頑張りたいと思った。
・組織でなく、個として関わっていきたい。
・荻野さんは「痛み」を感じていたんだと思う。時を戻したら、昔は荻野さんみたいな方がたくさんいたのかもしれない。
・宙に浮いた言葉がなかった。ご自身の言葉がご自身と遊離していなかったのが理由だったのかな。
・荻野さんに、50年前くらいに出会いたかった。荻野さんちでお腹いっぱい食べたかった。なぜ荻野さんちのようなお家が減っちゃったのか。正解はない。でも、きっといろんなアプローチがある。
・役割として関わることの限界を感じている。個としてもっと関わりたい。
・地域の力がなくなったのは大きいのかな。江戸自体的なこと。できればいい。
・私も母が小さいとき鬱病。地域で拾い上げてくれる環境がもっとあったらよかった。ただ自分が出来ることをやるっていう感覚でいいのかも、と背中を押された感覚。
・私は自分の家には他人をいれたくないんです、実は。だからすごいなぁって思う。いつでも誰でも来れる場所を作りたい。知る機会がないことがまずないのが課題。個としての出会いを大切に関わっていきたい。

参加者の皆さんが述べられた感想

次回のアルイルxハブ研究会
次回は4月を予定しています。ゲストは湘南鎌倉総合病院のER(救急外来)で医師として活躍されている山田潤一さんをお迎えして、最前線の医療現場から見える子ども、また子どもを取り巻く社会の現状についてお話しくださる予定です。皆様のご参加を豚汁と共にお待ちしております。

「今日は夕飯を食べに来ました」と参加者のお一人。嬉しい一言でした。

文責:カナ