6月最後の土曜の初夏の晩、「ろうそくの夜」をしました。
ためになる話を聴くわけでも、自分や他の誰かのために役に立つことをすることをするわけでもない、ただただ目の前にゆらゆらと揺れ動く和蝋燭の灯を、そっと見つめるだけの時間。
そんな一見「ムダ」にしか見えないかもしれないことを「やってみたい」と思ったきっかけは、先月5月のGWにれもんハウスで実施した、文化人類学者の辻信一さんとの「ムダのてつがく」について考えるお話会。「ろうそくの夜」は、辻さんからアイデアを頂き、実施に至りました。初開催です。
過ごし方。見えたこと、聞こえたこと、感じたこと。
ひとこと感想
西新宿のど真ん中で、ありのままの自分としてアルこと、そして他者と共にイルことを大事にする、れもんハウス。れもんに来るきっかけや理由は十人十色だけれど、「こんな場だからこそ得られる繋がりがきっとある。」来る人の心のうちには、そんな期待と願いが何処となくある気がします。
だからこそ、いつもなら、そんなれもんに人が集まれば、人々の会話の声や人が動く音、そして、ゲラゲラとそれはそれは楽しそうに笑う、れもんハウス代表の琴子ちゃんの声が、その西新宿の一軒家から聞こえるのだけれど、今回はいつもの音が聞こえてきませんでした。
人々が一つ所にいるのに、あれだけ静かだった場は、あの晩、新宿では、唯一れもんハウスくらいだったかもしれません。
静まること。
灯火が・・・そっと消える、その瞬間まで、
ただただ灯りを見つめ、灯に照らされる自分を心の目で見つめること。
現代社会に生きる私たちは、静まることや「ムダ」なことに、どれだけ価値を置いているでしょうか。静まるという感覚や「ムダ」なことに時間を使うことが、一体どういう感覚か分からなくなるほどに、常に何かに追われ、また、何かを追い、気がついたら自分が置いてけぼりになっていることさえある。そんな日々を繰り返しな気がします。
それでもいい。
それでいいから、そんな自分のまま、灯りを灯して自分の隣に座ろう。共に。
今、そんな風に、自分に、また、そんな言葉を必要としていそうな誰かに伝えたくなりました。
次回の「ろうそくの夜」は涼しくなった頃に開催予定です。
お楽しみに。
文責:カナ
*舞台裏*
琴子ちゃんの「やってみたい」に、「私も一緒にやりたいです」と手を挙げたのが、百詠子(もえこ)さん。キャンドルホルダーを調べ、実物の菜の花ろうそくを立てて、それが倒れないように固定する方法を何回も試して、「過ごし方ガイド」まで作ってくださいました。百詠子さんの「やりたい」と、たくさんの試行錯誤とあたたかな細やかさあっての「ろうそくの夜」でした。百詠子さん、ありがとうございました。