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【掌編小説】君と恨めし屋

 ぼくの学校では、6年生の思い出づくりに「学校でお泊り」がある。
 夏休みに学校へ来て、みんなで体育館に泊まるのだ。
 仲の良い友だちと布団を並べて、夜な夜なおしゃべりをする。考えただけでわくわくするでしょ?
 けど、それだけじゃないんだ。
 この行事の最大の魅力は、なんと言っても校舎全域を使った肝試し。
 子どもたちは4人ひと組になり、夜の学校を探検する。チームに許されたアイテムは懐中電灯1つだけ。
 夏休みの映画みたいな体験を本当にできるというのだから、ぼくはずっと楽しみにしていた。
 そう、組み分けが発表されるまでは ── 。

 「じゃあなー! 頑張れよー!」

 肝試しが始まる直前。ぼくの肩をバシッと叩いて、笑顔で走り去っていったのは、健太郎だった。
 薄情なやつめ。一番仲が良いぼくを差し置いて、うきうきしちゃってさ。他の連中の方へ走っていく健太郎の姿を恨めしく見つめながら、ぼくは決心した。
 絶対おどかしてやる ── 。

 組み分けが発表されたのは、終業式の日だった。
 配られたプリントを見て、ぼくは愕然とした。みんなの名前は4人ひと組で並んでいるのに、ぼくの名前がどこにも見当たらない。
 帰りの会の後、ぼくを含め数名が先生に呼び出された。何でもぼくらは、肝試しをする側ではなく、おどかす側に選ばれたということだった。つまり、おばけ役をやれ、ってことだ。
 「やったな、特別な役割だぞ」と先生がウインクした時から、ぼくの中で負の感情が膨らんでいったのだ。

 恨めしい。恨めしい。どいつもこいつもおどかしてやる ── 。

 いよいよ肝試しが始まる。
 ぼくは、暗い教室でみんなが来るのを待った。生徒たちが廊下を歩いてきたら、引き戸を開けて現れる、というのがぼくの役割なのだ。
 戸のガラスに白い着物に身を包んだぼくが映った。頭には三角の布。なんだか本当におばけになった気分だ。

 「来ないな...」

 夜の学校は、想像以上に暗かった。白いカーテンから、月明かりがほんの少し漏れてるだけ。慣れない空間にいるせいか、時間がとても長く感じる。
 おばけは、こういう所にいて怖くないのかな...
 教室を見渡しながら、そんなことを考えた時、首すじに冷たいものがぴたりと触れた。

 「うわぁ!」

 思わず前に倒れ込んだ。
 慌てて振り返ると、閉まっていたはずの引き戸が少しだけ開いている。
 そこから白い腕がにょきっと伸びていた。
 生気が感じられないその腕は、手をひろげてぼくの方へ向かってくる。

 「で、で、で、でたぁーーー!」

 腰が抜けて立ち上がれない。ぼくは、尻もちをついたまま、後ずさりする。
 ぼくは、偽物だ。本物のおばけには、敵いっこないんだ。 
 引き戸がゆっくりと開かれていく。
 ぼくは、ぎゅっと目を閉じた。

 「森川くん」

 聞き覚えのある澄んだ声がぼくの名前を呼んだ。

 「...へ?」

 ぼんやりとした視界の先に、立っていたのは ──

 「片瀬...さん...」

 クラスメートの女の子だった。

 「おどろいた?」
 「そりゃ...おどろくよ! やめてよ、急に!」

 ぼくが文句を言うと、片瀬さんは「おばけ失格だね」と言ってけらけら笑った。
 よく見れば、彼女はTシャツにショートパンツという軽装で、しかも裸足だった。
 月明かりに照らされた白い手脚にドキッとしたぼくは、思わず目をそらした。

 むむむ。とてもカッコ悪いところを見られてしまったぞ。耳が急に熱くなるのを感じる。ここが暗かったのがせめてもの救いだ。
 それにしても、彼女は一体どうしたのだろう。他のメンバーとはぐれたのかな。

 「1人?」
 「何言ってるの。森川くんと一緒でしょ」
 「ぼくと?」

 首をかしげたぼくに、片瀬さんは「私もおばけ役だよ」と言った。

◇ ◆ ◇ ◆

 片瀬さんとは、5年生の時に初めてクラスが一緒になった。2年ごとにクラス替えがあるから、今年も同じ教室で授業を受けている。
 でも、こんな風に話をしたことはなかった。
 そもそもまともに名前を呼んだことがないので、「片瀬さん」と呼ぶのもなんだか慣れない。「森川くん」なんて呼ばれたのも初めてだ。

 「私がこっちから手を出しておどろかすから、森川くんは、そっちをよろしくね」

 彼女がぼくの名前を呼ぶ度、なんだかくすぐったい感じがする。

 「聞いてる?」
 「あぁ...うん。わかった」

 作戦は、カンタンだ。
 肝試し連中が廊下を歩いてきたら、まず片瀬さんが教室の後ろ側の戸から手を出して、生徒の誰かに触れる。
 次に、黒板側にいるぼくが戸を開けて、逃げてきたやつらの前に現れる、というわけだ。
 やられた側からすると、おばけが黒板側へ瞬間移動したように感じるはずだ。
 ただおばけが出てくるより、この方がずっと怖い。
 ふひひひひひ。

 「楽しそうだね」

 はうっ。
 片瀬さんに怪しげな笑みを浮かべているところを見られてしまった。

 「ま、まぁね...」
 「私も」

 彼女は、にこっとする。

 「...それより、片瀬さんは、おばけの格好しないの?」
 「私? 大丈夫、大丈夫。手を出すだけなんだから」
 「そ、そっか...」
 「あ、森川くん。きたよ...!」

 片瀬さんが声をひそめて言った。

 廊下側の壁に背中を押し当てると、話し声が聞こえてきた。
 引き戸のガラスから懐中電灯の明かりがゆらゆらするのも見える。
 ぼくは、片瀬さんを見て頷いた。
 「今だ」の合図。
 彼女は笑うのをこらえるような顔で頷いて、次の瞬間、戸の隙間に手を入れた。

 「うっ、わあああああああ!」

 1人の叫び声があがると、遅れて他の叫び声もあがった。
 男女の悲鳴だ。
 ドタドタと慌てた足音がこっちへ向かってくる。
 ぼくは、黒板側の戸を開け、ゆらりと教室の入り口に立った。
 自分たちだけ楽しもうとした罰だ。
 恨めしい。恨めしい。

「恨めしやぁ〜」

 両手を胸の前でだらりと垂らしてみせる。
 走ってきた男女は、ぼくを見るなりパニックに陥った。

 「「「「ぎぃやああああああああぁ ぁ ぁ ぁ ぁ......!」」」」

 ぼくを避けて、走り去っていく顔の中に、健太郎の顔もあった。
 あいつったら、ぼくだと気づく様子もなく、一目散に逃げていきやがった。

 片瀬さんと顔を見合わせる。
 一呼吸おいて、彼女はプッと吹き出した。
 ぼくもつられて吹き出す。

 「「あははははは」」

 しばらく2人してお腹を抱えて笑った。

 片瀬さんは手の甲で目をこすりながら「はー、苦しい。すっごい驚いてたね。森川くん、迫真の演技だったよ」と興奮ぎみに言った。
 ぼくは頭をかきながら「片瀬さんのアシストがあったからだよ」と返事した。

 「あ、またきたよ」
 「ようし」

 おばけ役なんかやりたくなかったはずなのに、いつの間にか楽しくなって、ひと組、またひと組とおどろかせていった。
 何度かやっていくと、おどろかせ方も上達していった。
 片瀬さんは「こっちの方が怖がりそう」と言って、壁の下の低い引き戸から手を出すようになったし、ぼくも逃げ惑う子たちを追いかけたりした。「恨めしやぁ〜」って言いながらね。

 おどろかすのと、笑うのを、全力でやりすぎて、気づけば2人とも息を切らしていた。

 「はぁはぁ...大分さばいたね。ぼくたち、良い仕事したよね?」

 いつの間にか、おどろかしたい気持ちの中に、みんなを楽しませたい気持ちが混ざっていた。

 「そうだね。森川くんのおかげだよ」

 片瀬さんが両手の平を広げたので、ぼくもそれに応じて、パチンとハイタッチをした。
 同時に、彼女の手が相変わらずとても冷たいのに気づいた。

 「寒いの?」

 ぼくは心配になって聞いたけど、片瀬さんは「ううん。へーき」と言って笑った。なんだか夢みたいな笑顔だと思った。

 それから、しばらく肝試しの子たちは来なかった。
 おかしいな、と思いかけたその時、ドタバタと走ってくる音が聞こえた。
 慌てて、ぼくは戸を開ける。

 「恨めしやぁ〜」

 教室を出た瞬間、ぼくは思わず目を細めた。
 懐中電灯の明かりだ。
 目の前の人物は、驚く様子もなく、やがてその光を床へ向けた。 

 「森川、まだいたのかぁ。肝試し、とっくに終わってるぞ」

 先生の声だ。

 「へ? 終わった?」

 ぼくらが知らぬ間に、全チーム周り終わっていたらしい。

 「戻ってこないから、心配したんだぞ」

 先生は、呆れたように言う。
 先生の言い草に、僕は、少しムッとしたけど、楽しかったから良いかと思い直した。

 「もう肝試し終わったって」

 ぼくは、教室にいるはずの片瀬さんに声をかけた。
 けれど、彼女からの返事はない。
 どこに行ってしまったのか。姿も見えなかった。

 「お前、誰と話してんだ?」

 先生が教室の中を伺うようにして聞いてきた。 

 「片瀬さんです。一緒におばけ役だったので」

 なんでそんなことを聞くのか分からず、僕は言い返すように言った。

 「片瀬? 森川、寝ぼけてるのか。今日、あいつ休みだよ」

 夜風がカーテンをなびかせる。
 誰もいない教室を月明かりがひっそりと照らしていた。

◇ ◆ ◇ ◆

 あの後、先生から聞いた話では、片瀬さんは40度を超える高熱を出してお休みしていたらしい。
 僕は、信じられなくて、肝試しの後、「冷たい手で触られなかったか」って体育館を聞いて回った。
 すると、何人かは、確かに触られたって答えたんだ。
 でも、片瀬さんの姿を見たという人は、誰もいなかった。
 必死で聞き出そうとする僕をみんなは怖がってるように見えた。

 長い夏休みが終わって、今日から新学期だ。
 「ちゃんと宿題やったか?」なんて健太郎が能天気に聞いてくる。
 僕は適当に返事しながら、窓際を眺めていた。

 カーテンがふんわりとなびいた。

 僕の視線の先を茶色のランドセルを背負った子が横切っていく。
 片瀬さんだ。
 彼女は、まっすぐと自分の席へ向かって、机に荷物を下ろした。
 周りの女子たちが集まってくる。
 「心配したよ〜」とか「大丈夫だった?」とかの質問攻めに、彼女は「へーき。へーき」と笑っていた。
 あの日ぼくが会った片瀬さんそのものだった。

◇ ◆ ◇ ◆

 結局、一日片瀬さんと話すことなく帰りの会を迎えてしまった。
 チャイムが鳴って、みんなが足早に帰っていく。
 彼女も教室を出て行ってしまった。

 あんなに沢山話したはずなのに、どうして僕は話しかけられないんだろう。
 健太郎が「帰らないのか?」ときょとんとしている。
 一体、僕は何がしたいんだ。
 どうしたいんだ。僕は ── 。

 僕は ── もう一度、あの日みたいに彼女と話したい!
 ランドセルを慌てて背負って、走り出した。
 「お、おい!」健太郎の声が後ろから聞こえた。

 階段を2段飛ばしで降りて、昇降口に出ると、片瀬さんは靴を履き終えたところだった。

 「片瀬さん!」

 思ったより、大きな声が出てしまった。
 周りの子たちが怪しむような目を向けてくる。

  「何?」

 片瀬さんは、目を丸くして僕を見つめていた。

 「あの...」

 彼女を目の前にすると、言葉がうまく出てこなかった。
 やっと絞り出した言葉は「熱出したって...大丈夫だったの...?」だった。
 今日1日散々聞かれただろうことをまた聞いてしまった。

 彼女は、みんなに言ったように「へーき、へーき」と返事した。
 それから「私も行きたかったなぁ、肝試し」と残念そうに言った。

 やっぱりあの日の出来事は僕の妄想なんだろうか。
 沢山話したかったはずなのに、僕は「そっか...」としか返せず、うつむいてしまった。

 「でもね」

 彼女が続けたので、僕は顔をあげた。

 「熱でうなされながら、夢を見てたんだぁ」
 「え...?」
 「私ね、あの日学校に行きたすぎて、肝試しの夢を見たんだよ。しかもおどかす側なの。どうせやるなら、おばけ役やってみたいと思ってたからかな。誰かと一生懸命みんなをおどかしてね...」

 「 ── すごく楽しかったよ」と片瀬さんは笑った。

 僕が何も言えず突っ立ってると、彼女は「また明日ね、森川くん」と手を振った。

 昇降口を出ていく背中を見つめながら、僕は自分の心臓がとくんと鳴るのを聞いた。

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