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【短編小説】A rolling stone gathers no moss 最終話「nine」

(あらすじ)
36歳の崖っぷちボクサー井ノ坂いのさかは、休養のため訪れた故郷でスマホを落とす。
拾い主に電話が繋がり安堵する井ノ坂に、スマホの向こうの少年は、奇妙なことを語り始める──。

第1話を読む

 決戦当日は、3月にも関わらず各地で夏日が予報された。
 井ノ坂は、ジャージの下にじわり汗が滲むのを感じながら、試合会場の前に立っていた。

 『おかけになった電話は、現在電波の届かない場所にあるか――』

 耳元で機械的な音声ガイダンスが流れる。
 もうあの無邪気な甲高い声は聞けないのだと井ノ坂は悟った。
 スマホを握る右の拳を夏のような日差しが温めていた。目を細めて空を見上げると、飛行機雲が遠く伸びていくのが見えた。井ノ坂は、静かにそれを見送った。

 ――ありがとう、少年。

 「井ノ坂、そろそろ行くぞ」

 会長の呼ぶ声がする。

 「はい!」

 井ノ坂は、迷いのない足取りで歩き出した。

 リングの対角線上、因縁の相手と向かい合う。
 暴れ出しそうな心臓を押さえつけるように深呼吸をすると、カンッとゴングの音が響いた。
 
 ――あーぁ、試合観たかったなぁ――

 昨日聞いた電話の声か。それとも遠い記憶か。どこからか少年の声がした。

 井ノ坂は、右の拳を渾身の力で放つ。

 ――最期は、その目で確かめろ

 2つの拳がゆっくりと交差する。

 時が戻ると、場内が大歓声に包まれるのが聞こえた。

 ◇

 石ころが、つっかえつっかえ、跳ね回り、どこかへ転がっていく。
 少年が蹴った石だ。
 
 「あーぁ、試合観たかったなぁ」

 彼は電池マークが表示された黒い画面を見つめながら、つぶやいた。

 石ころは、そのつやつやした表面に夏の光をキラキラと反射させながら、誰かの足元へ転がっていった。

 「ねぇ、何してるの?」

 声のする方を向くと、公園の入り口に少女が立っている。

 少年は、急に耳が熱くなるのを感じた。きっと夏の日差しのせいだ。
 それから、どうにか一言だけ返事した。

 「――ボクシング。」


〈完〉


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