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「どこに行っても内地人と間違えられる」話

 奄美市名瀬の市街地に、永田町市場・末広市場という隣接する横丁がある。戦後のアメリカ統治時代の闇市が起源で、ひなびた佇まいが廃墟・横丁マニアを惹きつける。東京のハモニカ横丁が発刊している「横丁インタビューズ」で特集されていたので、仕事帰りに寄ってみた。横丁の実態については後ほどYoutubeにアップするVlogを参照されたい。

 問題は撮影を終えた後である。末広市場の入り口に立っていた私に、マスクをかけた物腰柔らかなオジイが話しかけてきた。横丁の管理人さんと見えて、店舗の空き時間などを丁寧に教えてくれたのち、オジイは言った。

「いや、あんたマスクしてるから、ヤマトンチュ(大和人)の旅行者かと思ったよ」

オジイ!!あんたもマスクしてるだろうが!!

本来ならば私が内地人に間違えられたところでそれがどうしたというところなのだが、コロナ禍の今、島の人間は内地人を異様なほど恐れており、それに間違えられるというのはひやひやものなのである。一歩間違えれば村八分の危険を感じる。

 加えて、Uターンしてきてこのかた、私はちょくちょく内地人に間違えられるのである。私はバツ1で元夫の姓を名乗っているのだが、名乗るたびに「(電脳)って島の苗字じゃないね」と言われる。そのたびにバツ1であることを説明する。もやもやする。はっきり言って生きづらい。

 ここでもう少し複雑な話をしよう。私自身は奄美大島北部、笠利町打田原集落出身であり、島では名乗るときに「マレジマ」(出身集落)をセットで伝える習慣があるため、「笠利の打田原です」と言う。これで高齢の取材相手とは話のきっかけになったりするので便利なツールである。

 ところが、私の両親は関東出身の移住者で、仮に私が旧姓に戻ったところで「島の苗字じゃないね」問題は解決されないのである。私は島で育ったから自分を島人だと思っているだけで、本当は内地人なのかもしれない。自分は猫だと思っていたのに本当はシベリアンハスキーだったとか、ハクチョウだと思っていたのに醜いアヒルの子だったとか、そういうことかもしれない。ちなみに、本土にいたころは内地人たちから「奄美大島の子」というラベル付きで認識されていた。

 そんな私を指して、島のことを研究しているある学芸員さんが「君はマージナル(境界的)な人だね」と言ってくれた。すとんと腑に落ちた。さりとて私のアイデンティティクライシスが解消されるわけではない。

 このクライシスは、実は思春期のころからずっと続いている。あのころからずっと、この島で、生きづらかった。今だってコロナ禍が過ぎて飛行機が動くようになり次第、いつでも出ていけるように転職・転居の準備をしている。一方で、ほかにもこんな子がいるはず、と思う。私よりずっと若く、かつての私のように生きづらく、私よりもずっと知的で自律的思考力を秘めた女の子が、今もこの島のどこかにいるかもしれない。居場所もなく、息を潜めているかもしれない。

 そんな女の子たちには私のように長い戦いを強いたくはない。彼女たちに可能性があることを、多様な生き方があることを示したい。この島からミスiDに挑戦する人間がいたっていいのである。

 そんなことを行動で主張したかったのも、ミスiDにエントリーした理由のひとつだ。他にも、ミスiDにジャーナリスト枠を提案したいとか、島に大学を作るために売名がしたいとか、ミスiDに参加する過程をルポルタージュにしたいとか、欲にまみれた下心はたくさんあるのだが。

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