MUCCを見くびっていたのかもしれない

ついにきてしまった。
2月から始まったツアーの、途中に延期を重ねて重ねて約8ヶ月。
ツアーファイナルなだけでなく「SATOちがいるMUCC」の最終日。

正直ライブが延期になるたびにホッとしていた。
無事に見送った、脱退したあとの今だから言える。
脱退いやだって、子どもがおもちゃやおかしを欲しがるみたいに、本当は泣きわめきたかった。
こうやって文字にしてみると言うくらいはタダだったのかもしれない。けれどそれをして何になるっていうんだろう。傷つけるだけ、困らせてしまうくらいなら言わない。そっちの気持ちの方が勝った。
脱退やだって泣きわめいて脱退取りやめてくれるならいくらでも泣きわめく。でもそうじゃない。人の人生は縛れない。そんな権利はどこにもない。
だからこの延期になった5ヶ月間はSATOちに「いってらっしゃい」と餞を送るためのきっと必要な猶予期間だったんだ。

正直に書くと、配信で見た昨年末の武道館はまるでMUCCの解散ライブのように見えた。
みんな、メディアまでもが口を揃えて「楽しかった」と言っていたけど、自分には解散ライブのようにしか映らなかった。だから武道館の映像はしんどくていまだに見れていない。

「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のジョバンニのこのセリフが武道館を見てから頭の中をしばらくぐるぐるとかけ回っていた。

だからしみったれた、じめじめしたライブになるくらいなら見たくないと、ツアー日程が発表された時点ですでにそう思っていた。
延期が何度も繰り返されたことでSATOちのメンタルを心配するファンの声も聞かれたけど、自分は4人全員のメンタルが心配だった。実はミヤが一番心配だった。ああいうタイプの人が実は一番、そのときがきたら壊れてしまうのではないかと。
その姿を想像するだけで怖かった。延期が続いたことで、もうやらなくていいのではないかなんて思ったしまったこともある。
でもある日ふと気づいた。それは自分が逃げるための口実だったことに。
メンバーが人生をかけてきたものに失礼だったことに。
そしてその心配は全くの杞憂で終わることになる。


2021年10月3日 17:30、ニコ生での配信が始まる。まるで下される審判を待つみたいな陰鬱な気持ちだった。
場内暗転。メンバーが登場し、「惡-JUSTICE-」で運命の開演。
やはり緊張からかメンバーの動きに若干硬さが見られた。しかし逹瑯の歌が出たしからキレッキレでいつも以上に情感がこもってて驚いた。この直前までニコ生で密着配信やってたので喉へのダメージを心配したが必要なさそうだ。配信やってたとは思えないほど声出てるし歌キレッキレ。明日以降の余力とか、明日声が出なくなったらどうしようなんてそんなこと全く気にしてなさそう。
「刻むぞ今を!」と「CRACK」。
逹瑯につられるかのようにミヤもキレッキレに。コーラスでかすぎて鼓膜がやぶけるかと思った(笑)。

と、ここで『惡』からの曲ではなく、初期の人気曲「娼婦」を挟む意外な選曲。
この惡ツアー序盤の衣装で初期曲演ってるけど何のミスマッチさも感じない。この4人でのラスト、ということを意識してか、YUKKEが前髪を初期の頃のようにぱっつん気味にセットしてるのにここで気づいた。
しかし素人でも気になってしまうくらいSATOちのドラムが出だしからリズムが走っていたり動きが硬かったりと安定しない。それでなのかはわからないが、「G.G.」ラストにミヤがワウペダルを長めに踏む。SATOちに「落ちつけ」と言わんばかりにリズムをあわせにいったように映った。それにあわせてSATOちのドラムの音もあわさっていく。
この2人のリズムが重なる瞬間が、15周年の幕張ライブDVDで見たリズムセッション的なものを見たときからたまらなく好きだ。あのときのミヤの楽しそうな爽快な笑顔と、パン!と乾いた小気味いい音がいまだに脳裏に焼きついて離れない。

「海月」でふと気づくと逹瑯の二の腕があらわに。二の腕出しただけなのに途端に逹瑯の色香が増すのはなぜ。えっちい。ツアー序盤のそれと比べると明らかに腕周りが少し太くたくましくなった気がするなんて薄ぼんやりしながら、本当にくらげみたいなゆらゆらした動きとその色香にやられて吐血しそう。スカートサルエルパンツはこの人のためにあると言っても過言じゃないと思うくらい似合う。女神を見てるのかな?(落ちついてください)

しかし本当に今日の逹瑯は序盤から歌がキレッキレ。余力を残すとかそういうこと一切考えてないように映った。
なんか今日のライブ「音楽」やってる感じなんだよなあ。ふとそんなことを思った。
いつものみんなで騒いで暴れてといったライブのお約束とか定番を排除したその分、「ライブ」よりも純の高い「音楽」をやってるように映った。もしかしたら自分が求めてる「ライブ」はこっちなのかもしれないなんて、そんなことが過った。

「アイリス」が終わり、しばし静寂の空間が訪れる。ややあって拍手や鈴の音などがホールに響き出す。
MUCCのライブで無音、静寂の一瞬が訪れるなんて考えもしなかった。
声を出せない制約なんてなくたって観客が声を出せない、そんな迫力あるライブ。

今日はじめてのMCで逹瑯は「感情がいきなり出すぎてしまった」みたいに話してたと思う。やはり今日という日がそうさせるのか。「でも今日は楽しもうと思ってる」と「楽しむ」を強調していた。
そして「今日はSATOちを何回も泣かして帰ろうと思います」から、曲は「スイミン」へ。

「スイミン」これも初期の人気曲。YUKKEが間奏でうつむいて涙こらえてそうに見えた。こみあげるものがあったのだろうか。
しかしだからってそこまで悲壮感あふれる空気というわけじゃない。
これまでのMUCCを全身全霊全力で昇華してる感じ。
どうやら自分はMUCCを見くびってたみたいだ。

それがはっきりしたのが「SANDMAN」だった。
逹瑯はただ真正面を見て歌ってる。これまでの逹瑯からは感じたことのない畏怖。怖い。例えるなら櫻井敦司さんみたい。まるで何かが憑依してるみたいだ。
このあたりからYUKKEだけでなくミヤも終始うつむきがちでこらえてる感じ。

そのまま「パノラマ」。
この曲の歌詞がそうさせたのか、今日はじめて逹瑯の声が少し上ずる。やはりこみあげるものがあるんだろうか。ミヤもそれにつられるかのようにコーラスが上ずる。
「落陽」では逹瑯が真正面を向いてどこか遠くを見て歌ってるように映った。目の前の客席ではないどこか。
こんなにもライブ中動かない逹瑯を見たのは初めてな気がする。

《終わりを願う 明日を夢見て》〈落陽〉

ここでの逹瑯とミヤのユニゾンがすごくて歌詞も込みで胸に迫った。
いつのまにかSATOちもうつむきがちで叩くことが多くなっていた。

《はじまりの アルファ》〈アルファ〉

「はじまり」という意味を持つ「アルファ」。
この歌詞にもある通り、そう、これはムックのおわりじゃなく、ここからまた新たなはじまりなんだ。そう感じさせてくれた。
100の言葉よりそれを音楽で説明してくれた方が信用できる。

「ありがとうございます」
今日その言葉が聞けたのは、この2度目のMCのときが初めてだったかもしれない。
「SATOちの人柄がにじみ出るようなライブになってますね。不器用な人間が素直になるさまを最後まで見ていってください。
いける?焼きつけてちょうだいよその目に」

どうやらこのライブをただいつも通りのように楽しむことは観念したらしい。
このときの逹瑯の表情は少なくとも自分の目にはそう映った。


……このMCを聞いてから全身の震えが止まらなくなってしまって激しく動揺した。その感情が感動なのか何かは正直いまだにわからない。自分のことなのにわからない。
いや、自分のことだからこそ逆にわからないのかもしれない。
前が見れない。鼻の奥がつんとする。
ライブを見ててこんな感情になったのは初めてでどうしたらいいかわからなかった。


「スーパーヒーロー」が終わって観客から温かい鈴の音。
前半までは意図してかどうかはともかく観客を突き放すようなライブをしていたけど、やはりそうはなりきれないのがMUCCらしい。
「DEAD or ALIVE」 で逹瑯がいつものように動き出す。楽器陣も顔が上向いた。ミヤもYUKKEも定位置から動き出す。
世の中には観客から突き放したようなライブをするバンドもいるらしいけど、けれどMUCCのライブはそれじゃ成立しない。観客がいて、一緒に騒いで躍って、それで初めてMUCCのライブは成立する。
「パノラマ」あたりからメンバーが観客に包み込まれ、観客の助けを借りながらライブしてるように映った。そしていつもの調子を取り戻していくメンバー。
いつもと違うことをしようとしてみても人間やはりそんなにすぐ変われるものじゃない。そんなところが本当にMUCCらしいと思った。

「ゲストなしでいきたいと思います」と逹瑯が告げた「目眩」。
「踊れるかぁ水戸!!」ミヤが激しく観客を煽る。『惡』ではlynch.の葉月が担当してるパートを昨日と今日はゲストなしで演るために、ひょっとしてミヤはデスボを練習して取得したのかもしれない。
「騒げよぉぉぉ!!」とミヤが再び激しく煽る。

《このクソみてぇな世界の終わり 早く目を覚ませ》〈目眩〉

この部分がなぜかすごく響いた。

逹瑯「(目眩の)スモークすげぇよな!?見えた?」からの「前へ」。
ニコ生画面では名物いぬちモッシュがすごいことになってる。いぬちモッシュというより、もはやいぬち山積み状態(笑)。
前へと、本当にムックは前へ前へと向かっていると改めて思った。
そしてあの体躯で片足を軸にして躍りながらステージ上をブルースハープ吹きながら縦横無尽に移動できる逹瑯の体幹一体どうなってんの。

逹瑯「行こうか!俺たちの世界へ!」からの「My WORLD」。
ニコ生ではいぬちだけでなく逹瑯画のひらめも次々ふってくる。いぬちモッシュに次ぐ名物と化しそうなひらめモッシュ(笑)。
逹瑯にされるがまま、木魚のごとくスティックで頭をぽくぽくされるSATOち。でも嫌がる素振りがない。逹瑯に顔をのぞきこまれ思わず涙がこぼれ落ちそうになる。
そこにすかさずミヤが「こいよぉ!!」と煽る。
そんなミヤもラスサビで感極まる。
間違いなくこれまででベストアクトの「My WORLD」だった。


本編ラスト「スピカ」。
間違いなく今日一番歌キレッキレの逹瑯。
MUCC一番のベストアクトと感じた、ひとつ前の中野のときよりさらにキレッキレ。

《いいよ 今は涙枯れるまで ずっと 泣いても いいよ おかえり》〈スピカ〉

……きっと、この曲ができた当時は、今のバンドのこの状況を予想していた人はいないだろう。
ラスサビ前、逹瑯の「おかえり」が今日一番、音源のそれよりも、ずっとずっと優しい歌い方で泣いた。
こんなに希望に満ちあふれた「スピカ」を、この場面で、このライブで聞かせてくれるなんて。
「スピカ」が今日、本当に希望の歌になった。


メンバーよりも先に自分が泣いてるまさかの展開に自分自身驚きが隠せなかった。
感動して胸が震えるってこういうことをいうんだろうか。初めてのことだからわからない。


アンコール、早々に出てきてくれた逹瑯とSATOち。ドラム台に腰かけ、本編からしつこく「泣け」とSATOちに迫る逹瑯。
逹瑯「じゃあ1回泣いたら1しっぺな! 1えーん1しっぺな!」
幼稚園児の会話ですか(笑)。何ですか1えーん1しっぺとは(笑)。

逹瑯「(ステージ袖を指さし)ねぇ待って! なんかローソク見えるんだけど!」

逹瑯のBDケーキを運んでくるYUKKE。あえて空気を読まないサイコパスYUKKEさんナイス……なんて思ってたら、ミヤが「SATOち24年間ありがとう」ってネームプレートの付いたケーキ運んできた!

あのミヤが! 人の顔面にぶつけないためのケーキを! 運んできた!

ケーキを誰も遠慮なくつまみ食いしたり、鼓を持ってきてる人はいないかと話題にしたり。
スーパーヒーローの《会いたくなったらいつ来てもいいんだぜ》で打ち合わせしてないのに3人そろってSATOちの方見てた、とミヤ。
アンコールのMCの感じはいつも通りのMUCCで和んだ。

その空気を一変させた「九日」。

《いつまでも一緒にいられると 信じてました》
《楽しみにしてた記念日に 貴方を見送って》
《貴方をよろしくねと》

……泣く。こんなん聞かされたら悲しくなってしまう……もうやだ泣く。悲しいのは嫌だ。
悲しくて、後ろ髪引かれる思いで、メンバーからもそれが伝わってきて、頭痛がした。きっと悲しいせいだ。

逹瑯「地元って特別だよね。今日この場所でこの日をむかえられて良かったです。ありがとうございます」からの「家路」。
今日一番っていうくらいメンバー全員演奏がキレッキレだった。
「家路」っていうタイトルなんだけど、今日の「家路」は家には帰らずに、前に進んでいく。そんな印象を受けた。

「優しい歌」。
逹瑯もミヤも感極まる。泣きそうなのを必死でこらえる4人。
観客からは涙声のハミング。
「きれいだな」
思わずこぼしたようにそう言ったのはミヤだったろうか?
しかしそんな感動をYUKKEとトオルさんのハミングがふき飛ばす(笑)。
SATOちハミングうまい! そして涙声で歌う「ラララ」

途中、逹瑯が珍しくぶっちゃけた内容のMCをした。
「ぶっちゃけバンドって楽しいことばかりじゃないんですよ。やってて嫌なこともいっぱいあって。君らもそうだと思うけど。やってて楽しいことばかりじゃなくて」
「今日のライブを楽しいものにしたいんで」
「(少しふっと笑って)まぁ俺らはもうちょっとその楽しくないことが続くんで」

「ラララ」とミヤが消え入りそうな声で歌う

「まじでムックに入れて本当に良かったです!」SATOちが叫んだ。
こらえきれず泣き出すYUKKE。

ミヤがギターネックを大きく揺らし、ガッ!と演奏を一斉に止めた。
そこから「ハイデ」。元々優しい曲だけど、今日がこれまで見たなかで一番優しくて演奏キレッキレだった。
ミヤの「飛ぼうぜ!」で観客が懸命に飛んでる、飛ぼうとしてるのを見て泣く。
悲しみと希望が混在する、混在した今日のライブ。


アンコールはここで終了した。けれど自分はもの足りなかった。このまましんみりしたまま終わるのか、だってまだあの曲演ってないじゃないか!

すると暗転したホール内に響き渡る「ホムラウタ」。

ミヤ「茨城の歌で!ハッピーに終わりたいと思います!!」
からの、超久々の「1997」!!
これライブで超聞きたかった!
するとミヤ「おいSATOち!こんなスピードじゃ終われねーよな!!」と、まさかの「1997」2回まわし!!
逹瑯が「いや早い早い早い笑」と突っ込む(笑)。
いや本当にめっちゃドラムテンポ早かった(笑)。Xかと思うくらい早かった(笑)。SATOち結構大変そうだった…

ミヤ「終わりは終わりなんだよ!終わりだけど、始まりでもあるんだよ!受け入れて、俺たちを次へいかせてくれよ!」

ミヤの切実な思いにも聞こえた叫び。
ここでYUKKEが珍しくベースを乱暴にバーンとやったのが印象的だった。

そこから「蘭鋳」のイントロになだれ込む。

SATOち
「最後の(蘭鋳の煽りを)まかされました
俺ムッカー好きだから死刑にしたくねーよ
でも未来に向かうために、お前らを1回コロします
とりあえず最後の死刑宣告です☆
未来に向かって、死刑ーー!☆」

口調はわりといつも通り穏やかなのに言ってることは物騒なSATOち

大ラスは「明星」。
しかしこの時点ですでに燃えつき症候群なんですが、自分が。

ドラム台の周りに3人が集まる
ミヤが必死に歯をくいしばって涙こらえてる…!
しかし誰からともなくいつの間にか涙を流していた
涙で顔がぐしゃぐしゃになってしまってるメンバーもいた
それでも必死に、嗚咽して歌えない、なんてならないように、すんでのところでこらえてた逹瑯。
自分の目にはそう映った。

《誰だって夢の終わりに泣いて》

ここの歌詞が今日はやけに胸に響いた。

《謡え 笑え》

ラスサビで、コーラスするのが難しくなるくらい嗚咽するミヤ。
最後の最後の「笑え」。もはや声にならない絶叫に近いコーラス。
映像で見ると最後の「笑え」の絶叫とも咆哮とも慟哭ともつかない声は逹瑯とミヤ2人ともだろうか?

「謡え 笑え」はファンだけでなく自分たち自身にも言い聞かせていた言葉だったんだと思った。

最後、ひとりステージに残ったSATOち。
「これからは俺、ムッカーになるんで(聞き取れなかったため中略)よろしくお願いします!」


緞帳が下りた。
カーテンコールのように鳴り止まない拍手。
ここでライブは終わりだと思っていた。
しかし客電はつかない。
瞬間、いやな予感がした。
このまま新体制の発表や告知をされたらどうしよう
それだけはいやだ。そんなことされたらMUCCのこと嫌いになる。
心臓がバクバクする。不安で体は震えだした。

しかし、そんな予感は、いやこのあとの展開を、誰が予想しただろうか


再び緞帳が上がる。
そこにいたのは、小豆色ジャージとボーリングのピンに着替えたMUCCのメンバーと、茨城の仲間や後輩だった。

♪《ムッカーのみなさん おはようございます ムック体操の時間です》

瞬間、それまでの涙も不安もどこかに吹っ飛んで、気づいたらテレビの子供向け番組に夢中になってる子どものように、PC画面にくぎづけになってる自分がいた。

さっきまでカッコつけながら、ベソベソになりながらライブやってた人たちが、小豆色ジャージとSATOちだけなぜかボーリングのピンに着替えてムック体操してる。
そこには茨城の仲間とか後輩の姿もある。
「明星」で涙で顔ぐしゃぐしゃだったSATOちがこのとき、笑顔を見せてくれたのが救いになった。


っていうか、誰がムック体操で終わるライブを想像しただろうか(笑)


ライブが最後ムック体操で終わるとは誰も思わないじゃん!(笑)
歌詞も音楽もちょっと変わってたからムック体操 ver.2 なのかな?
(YUKKE:ブログ→Twitter)(ミヤ:魔界をさまよう→スイーツ)(逹瑯:畑→釣り)
(SATOちはほとんど変更なかったような…)

めちゃくちゃに動き回るところでミヤが派手にすっ転んでた(笑)。
でもみんなあれだけのライブやったあとによくあんなに体動くなあ。MUCC全員みんな結構足ちゃんと上がってたし。
自分は普段からだってあんなに足上がらない(いやそれはそれでどうだろう)

なんか、24年間続いた、そしてこれからも続いていくMUCCという舞台のカーテンコールみたい。
そんなことをムック体操を見ながら薄ぼんやりと思った。

そうしてボーリングのピン、いやSATOちをひとり置き去りにして緞帳が下りる。
気づいたSATOち、あわてて緞帳をまくって中に入ろうとするが、下りきってしまったのかまくれない。
今日の主役とも言えるSATOちをひとり置き去りにするMUCC。
いや容赦ねぇな!(笑)
困り顔のSATOち、マイクを持たされてしゃべり出す。
「これからは俺もムッカーなんで、街とか歩いてたら飲みに誘ってもいい」みたいなことを言ってたかと思いますが、誘う方が緊張しそう……なんて複雑な心境で聞いてたんで内容が頭に入ってこなかった……。(コミュ力0人間の発言)
そして花道から去っていくSATOち。

メンバー脱退という節目のライブを無理矢理にでも笑いに変えるバンド、MUCC。

こうして3時間半近くの長丁場のライブが終わった。


今日のライブを見て、自分はMUCCをずいぶんと甘く見て、見くびっていたんだと思った。
どうしても各メンバーのキャラクターが取り沙汰されがちだったけど、ちゃんと「音楽」をやっているバンドなんだと。
ファンでありながら、MUCCをずいぶんと過小評価していたんだと思った。


以前、cali≠galiの桜井青さんが雑誌でこんなことを話していた。

ドラマーがいなくなるんじゃないんですよ? SATOちがいなくなるんですよ?
(PHY Vol.18より引用)

MUCCという飛行機の、4つあったエンジンがひとつなくなった。
それでもMUCCは3つのエンジンで飛び立つことを選んだ。どうしたって急降下は避けられない。それをわかっていて、それでも飛び立つ。

MUCCは続く。MUCCの音楽はこれからも続く。



(※1 メンバー名は基本的に敬称略)
(※2 『九日』の歌詞表記が正式のものと違いますが、この日聞こえたものに沿いました。)
(※3 『蘭鋳』の煽りを検索避け対策で一部表現を変えています。)


この後アーカイブ見たあとに書いたセルフツッコミ記事:


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