やめなければ自然に次の扉は開いている
料理を始めて約7ヶ月。
拙いながらも毎日休まず何かしら作り続けていたものの、なぜか和食には触れて来なかったのです。
唐揚げやお好み焼きが和食に含まれるのであれば前言撤回しますが、たぶん少し違うと思っています。
なぜか昨日の段階でピンと来ていたのです。
「明日は芋だな」と。
それも、まだやったことの無い事をしてみたいと。
肉じゃがは作ったことはあるものの、そうではない感じでした。
自分でも知らない間に新たな殻を破ろうとしているのが分かりました。
そういう時は直感だけを頼りにして、疑問をわざと抱いたり抵抗したりしてはいけません。
ギリギリの状態で失敗を怖れ追い詰められるのを避ける為に、馬鈴薯をたくさん買い込みました。
これで心にも在庫にも余裕ができ、より良い結果に繋がるでしょう。
選んだ献立は「煮っころがし」。
作り方はとてもシンプルです。
つまり分量が物を言うわけですね。
自分は「計る」という行為に対して、余りにも適当です。
そもそもそういう性分であり、しかも計らなくてもなんとかなってきた成功体験の積み重ねにより、よりそれを助長していたのです。
しかしシンプルな料理というのは壁でした。
備えあれば憂いなし、勝って兜の緒を締めよ、と言うように、こんな時こそ自分の弱点と向き合えば、新たな扉を開くことに繋がるのだと確信しました。
この「弱点と向き合う」という認識は、一見素晴らしいやら当たり前やら、成長への近道だと思われています。
僕は全く違うと思っています。
何も出来ない状態で、弱点などあるわけがないのです。
まずできること、好きなところを伸ばせるだけ伸ばさなければ、弱点など存在もしないのです。
ありもしない物を底上げする事がプロフェッショナルだと、指導の最適解だと、よく目にしますが、どう考えても大間違いです。
自分は、好きな事をずっと続けた結果、やっと足りない部分が「生まれた」のです。
だからそれに取り組むだけ、そして自然と壁は乗り越えられるのです。
誰かに無理矢理、乗り越えろと手とり足とり言われるわけではなく、勝手にいつの間にか乗り越えている、それが壁だっただけというのが自然な成長であると考えます。
なんの話だか分からなくなりましたが、煮っころがしは大成功でした。
とても美味しかったのでレギュラー入り確定です。
簡単だし。
分量の計測もばっちり。
何よりその重要性をしっかり身体で認識できました。
この自然なレベルアップを実感する時に、最も脳汁が垂れ流しになります。
競うのは過去の自分なので、そもそも負けるわけがない。