歯を食いしばりなさい /ファシリテーション一日一話 8
亡くなった母はとても厳しい人で、彼女に「そこに座りなさい、歯を食いしばりなさい」と言われた時は覚悟を決めたものだった。正座して相対し静かな時が流れる。じっと睨まれて、「今、なぜ怒られているかわかるか」という問答があって、ことの核心までいたったところで、バチンと平手打ちが飛んでくる。今になってみると、当時小学生の自分が何をやらかして叱られたかのかは、さっぱり覚えてないのだが、そうやって平手打ちされた記憶はよく残っている。ちなみにこれは同級生たちもよく知っていて、ここは叱るべきタイミングと判断した時、母はそれが公道であろうがスーパーの駐車場であろうが、場所を問わずに堂々とこれをやった。(なので、翌朝、学校で話題になって僕はとても恥ずかしかった)。
そういう指導を受けたせいか、「歯を食いしばる」という行為は僕の心身に宿った。ファシリテーターとして仕事をしていると、歯を食いしばるべきタイミングがいくつもやってくる。
仕事場にいって意気揚々と会議を進行しはじめたら「あなたみたいなファシリテーターの出る幕じゃねえ」とすごまれて、その地域の参加者の方々から「すっこんでろ。私たちだけでやるから」といわれて会議室の後ろの方から指をくわえて眺めていたこともあった。ファシリテーター失格の烙印を押されて、悔しかった。
また別のタイミングでは、ある男性参加者がひどくご立腹で「こんな会議には意味がない!」と会議に招集されたこと自体に腹を立て、その矛先がファシリテーターである僕に向かってきたこともあった。
これらの時「歯を食いしばりなさい」という母の言葉が思い出される。文字通り、僕は歯を食いしばり、その場を耐え忍んで、なんとか乗り切り、今日に至る。
新型コロナウィルスという感染症が急拡大して、全員が「ステイホーム」となって会議ファシリテーターの仕事がゼロになったときも、いっとき絶望したのだが、「ここが歯を食いしばるタイミングだろう」と思い直し、苦手だったZoomなどのオンライン会議ツールと格闘し「オンライン会議ファシリテーター」として出直したこともあった。
ファシリテーションに限らず、世間でそれなりの仕事をしていたら、悔しいとき、耐え忍ぶき、苦難のときは必ずやってくる。そういう時に激高して怒鳴り散らすのではなく、やけ酒をあおるのでもなく、歯を食いしばって、次につなげる力を持てたことは、僕にとってはありがたいことだった。
母にそうされたからといって、僕が自分の子どもに、しつけの一環としての平手打ちをくらわすことは、していない。悪いことをしたとしても、それを言葉でかみ砕いて、子ども自身にわかるように伝える努力をしている。残念ながら、ちゃんと伝ってないなぁ、と思うこともある。が、それ以上に「歯を食いしばる」ことの意味や価値を、ちゃんと伝えられたらなぁ、と最近思っている。
この話には、ちょっとだけ後日談がある。
ここしばらく、歯茎が痛むので歯医者に通っていた。すると医者が「青木さん、ずっと歯を食いしばりすぎですよ。こんなに奥歯がすり減っている」とレントゲン写真を見せて言うのだ。「そんなに頑張って歯を食いしばらないように。いずれ歯茎が痛んだり、奥歯が割れちゃいますよ」と指導を受けてしまった。実際のところ、昨日をもって奥歯が割れ、抜歯治療中の今である。せっかくの花見の季節に、数日間の禁酒令が出た。
過ぎたるは及ばざるが如し。
これからはタイミングと歯の様子を見つつ、ほどほどに食いしばろうと思う。