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迷える子羊を救うネットワーカー 黒岩淳さんの訃報に接し

人を知っている=武器

若い頃、世話になった方というのは一生の恩人だ。その一人、黒岩淳さんが亡くなった。僕より一回り上の世代なので、還暦を過ぎたころだ。まだまだお若いのに、残念なことだ。黒岩さんは当時珍しい「ネットワーカー」のような人だった。まだインターネットやSNSがそれほど普及していなかった時代、「人を知っている」というのは強大な武器だったのだ。黒岩さんに「こういう人知らないですか?」ときくと、たいてい知り合いだったり、つながるツテを紹介してくれたものだ。

特に、当時動き始めていた企業の社会貢献活動やメセナ、CSRなどの動きを担当している人については一通り顔見知りだったりして、舌を巻いたことがある。また、市民活動やボランティアの世界にも顔が広く、全国各地で活動している志士をよくご存じであった。

黒岩さんと出会った当時、僕はまだ学生あがりの生意気な若造だった。学生の頃ちょっとならした腕に自信を持って仲間と団体を立ち上げたものの、うまく仕事がとれずにくすぶっていた僕の話をきいて「それならマーキー、うちにこないか、代表の藁谷を紹介するよ」と助け船を出してくれた。そこで僕はワークショップ・ミューという企画集団に参画することができ、様々なプロジェクトに立ち会う貴重な経験を得た。

トヨタ自動車や電通、博報堂、凸版印刷に小学館、環境省や林野庁といった国の機関などと、環境・市民社会・参加型社会などのテーマで、実に多様な仕事をお任せ頂いた。その幾つもの仕事で、黒岩さんと組むこともあったのだが、正直言って、仕事人としてはあまり褒められたものじゃない反面教師みたいな側面があった。


反面教師でもあった黒岩さん

仕事は貯めるし、机の上は書類の山で片付いていない。風呂に入るのが好きじゃないらしく夏場は汗臭い。タバコは吸うし、吸いがらは絶対片づけないで灰皿がいつも山盛りだし、飲み会や夜更かしも大好きで、深酒をしては誰かの愚痴をきくのが好物で、色んな人の苦労話を知っていた。そのせいか、朝の勤務開始時間になっても出社しない。打合せに遅れることは多いし、ひどいときは連絡がつかなくなって失踪し、数日後にもそもそ会社に来て小さな声で「すみません」と言うか言わないかして、どっかりと自席に腰を落ち着けて不機嫌そうに、タバコを吸い始める。僕から見えていた黒岩さんは、そんな姿だった。

オフィスの同僚達も、半ば諦め気味で「また黒岩さんの悪いクセが出たな」という感じでいたのだが、なぜか一目置かれている存在だった。不思議なことに「前の打合せのあの書類ありませんか?いろんな人に聞いても持っていなくて、、」と聞くと地層のような書類の山から見事にそれを見つけ出すし、「前に話していた××会社の担当者のお名前、何さんでしたっけ?」ときくと山のように積んである名刺のなかから発掘して「この人はこういうことは得意だけど、あういうのは嫌いなタイプだから、こうアプローチするといい。ちなみに上司のΔΔさんは細かいことをいう性格だから書類をつくるときはこういう点に注意して」と、スラスラと出てきて驚いたりしていた。

体が大きく、人柄はおおらかで、笑顔がかわいく、とくにワカモノに対しては優しいところがあった。将来に不安があるワカモノがたずねてくると、貯まっている仕事をわきにおいて(これがマジで困る)親身になって話を聞いて、その場でいろんな人の携帯に電話して、適切な師匠筋につないだり、仕事先をみつけてやったりした。人呼んで「歩く人事部長」と呼ばれることもあり「あの事務所が若手を雇いたがっている」とか「あそこの企業の○○ポジションには空きがある」という情報は常に複数、頭に入っていて、沢山の迷える子羊たちが、黒岩さんの世話になって、次の人生を見いだしていった。まぁ、僕もその恩恵にあずかって今の立ち位置がある。黒岩さんがいなかったら、いまの結婚生活も、仕事状況も生まれていない。感謝、感謝。

得意技はバーター

若造の僕から見て、黒岩さんは決して「高いスキルの持ち主」には見えなかった。しかし、妙な政治力がある。得意技はバーターで「あそこには、あれをしてやった恩があるから話が通じやすい」「おたくの××という事情をくんで、こちらはここを譲歩しますので、ひとつこの点はお願いしますよ」みたいな交渉は、とても上手だった。僕が先方に正面から要求してしまって、けんもほろろに断られた案件を、黒岩さんの寝技で何度もひっくり返していただいた記憶がある。そういう姿を見て「こちらの事情や要求だけをぶつけていても、先に進まない」ということを僕は教わった。僕はそれまで環境NGOでの活動経験もあり「自分たちの主張は正しい。正しいことを社会にぶつける」みたいな思考回路が強かった。「相手の立場に立ってものごとを考える」という社会人にとって、ものすごく大切なことを、黒岩さんの背中を見て僕は学んだ。

黒岩さんのことを思い出すと、色々な思い出話が出てくるが、願わくばまた、僕の人生相談に乗ってほしいなと思う。黒岩さん、年月を重ねてもなお、僕はいまだ迷える羊です。

せめてもの恩返しと思い、北九州と東京で「偲ぶ会」の開催をしようと思い、それぞれの土地でご縁のあった方々と開催予定です。

以下、2つの日程で参加可能な方は、ぜひおいでください。日程の都合がつかない方は「メッセージのみ寄せる」も可能ですのでフォームに記入下されば幸いです。偲ぶ会に集った仲間と共有させていただきます。

北九州 9/22 →無事に閉会しました

東京 恵比寿 10/24 →若干名、参加枠あります

次々と恩人がこの世を去って行きます。なんだか物思いにふける秋になりそうです。みなさまどうぞ、ご安全にお過ごし下さい。

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