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食えなんだら食うな~名僧は説く/関大徹【読書ノート・本要約・ガイド】(1991/01/01⇒2019/06/01復刻)

カバーを外して

曹洞宗大教師が語る人生の意味。
長らく復刻を望まれていた名著がオリジナルのままに復刊。
書店「読書のすすめ」店長・清水克衛氏、実業家で歌人として著作多数の執行草舟氏が推薦。執行草舟氏の愛読書であり座右の書、本人曰く「俺は、この本が死ぬほど好きなんだ!」

『対談 風の彼方へ』や、実際に執行草舟氏にお会いした時も大絶賛されていた、はだしの禅僧、関大徹氏の名著『食えなんだら食うな』は、長らく絶版になっていて、古書でもほとんど入手ができず、幻になっていたのですが……、この度、清水店長の声がけで、出版社「ごま書房新社」様に復刊していただくことになりました!
こちらの『食えなんだら食うな』は、執行草舟氏の「命を救った本」として知る人ぞ知る執行氏一番の愛読書なのです。執行氏の著書を愛読されている方からお問い合わせも沢山いただいたものの絶版のためお断りをしていましたが、40年前に初めて出版された当時の表現をそのままに、ここでしか読めない執行氏の〝魂の解説〟付きでの待望の復活です!(※執行氏の解説を読むだけでもシビれます!)

関大徹(せきだいてつ):プロフィール

明治36年、福井県に生まれる。大正5年、師の関頑牛に就き得度。
大正14年愛知県曹洞宗第3中学校卒業。この年より12年間福井県小浜市発心寺、富山市光厳寺にて禅修行に励む。
昭和18年1月15日印可許状を受ける。昭和31年福井県吉田郡の曹洞宗の名刹吉峰寺住職。
昭和51年岩手県盛岡市報恩寺住職となり現在に至る。曹洞宗大教師。
この間、常に天衣無縫のはだしの禅僧に徹し、そのすぐれた行道は、現代まれにみる「生きた禅」として多くの人々に感銘を与えている。
プロフィール詳細
明治36年6月15日:福井県丹生郡織田町にて出生。
大正4年8月10日:福井県大野市禅師峰寺関頑牛に就て得度。
大正14年3月:愛知県曹洞宗第3中学校卒。
大正14年~昭和4年:福井県小浜市発心寺師家原田祖岳老師に参禅。
昭和3年~昭和18年:富山県富山市光厳寺青年会(剣道)、処女会、幼年講観音会主任。
昭和5年~昭和18年:光厳寺専門僧堂、副寺、侍者、単頭として実参、実究。飯田老師臨済の正眠僧堂、小南老師の門に入り参禅弁道。
昭和11年:富山県富山市宝洞寺首先住職。
昭和12年:富山県立山町竜光寺住職。
昭和21年:富山県立山市竜光寺美徳会(女子青年)、池の坊生花、裏千家、琴、あんま、料理、珠算会、婦人会、老人会の会長、人権ようご委員、保護司10年間。
昭和24年:緋恩衣被着、特許せらる。
昭和25年:青少年愛育事業功労者として北日本新社より10傑表彰。
昭和27年:曹洞宗管長表彰「教化伝導功労者」。
昭和30年:富山県知事より「社会福祉事業功労者」表彰。
昭和32年6月:第1回吉峰寺地蔵流し会発足。
昭和40年:曹洞宗管長表彰「寺門興隆、教化伝導功労者」。
昭和44年:高志社会福祉協議会「たすけあい運動功労者」表彰。
昭和44年:保育事業功績者表彰、上志比村長。
昭和45年:社会教育功労者表彰、高志社会教育協議会等の数々の表彰を受く。
昭和45年:曹洞宗権大教師に補任、黄恩衣被着。
昭和50年5月20日:大教師補任、紫恩衣被着。上志比社会教育委員、公民館運営委員


食えなんだら食うな---p7

食えなくなったら死ぬまでよ
饅頭につられて禅門に入った私
娑婆で死ぬこともままならぬ
蝉に禅のなんたるかを教えられる
立場かわって身の程を知る
厳しくしごかれた他宗の門
食えなくても食えた

病いなんて死ねば治る---p55

ガンで死ぬのもまあいいじゃないか
衆生の恩恵によって私は生かされている
思いやりでいくつも病いを克服した

無報酬ほど大きな儲けはない---p73

出せるだけ出すのが寄付の心
無償の行為こそ「徳」である---p78

そういう次第だから、私は檀越(だんおち)から寄進を受けても、過分な感謝の言葉はかえさないようにしている。追従も世辞もいわない。いわんや阿諛(おべっか)をつかうぐらいなら、寄付してもらったものを返してもいいぐらいの気でいる。いまは風変わりな坊主で通っているからいいようなものの、最初はずいぶん戸惑われたかたもあったらしい。実際にそういう声も聞いた。
そうではないか。寄付というのは、まったく無償の行為である。無償の行為であってこそ、それは「徳」として完成する。人間、なかなか徳を積めるものではない。自分のためなら、死にもの狂いで働くこともできるが、他人様や仏様のために、一切を投げうつという真似は、天地がひっくりかえってもできないのが普通であろう。
考え違いをしてもらっては困る。会社のために、役所のために自分は誠心誠意つくしているという異論は、このさい受けつけることはできない。会社のため、役所のためとはいえ、所詮は自分のためであり、自分の保身、栄達のためであり、どだい、はじめから「無私」になれといったところで、できない相談なのである。
「徳」は無私でなければならない。無報酬でなければならない。そうしたなかで、おおやけごとやお寺のことに寄進できるというのは、せめてもの徳を積ませていただく得難い機会であり、無私な心境に自分を高めることができるのである。
それを大げさに感謝されると、どうであろう。大いに追従をいわれ、阿諛されたら、どうであろうか。人はいい気になるであろう。してやったという気分になるであろう。おれは、これほど善いことをしたのかと、あらためて、思い直すであろう。なぜかというと、ほかでもない。いい気になったとき、その人はすでに、この上もなく得意な気分という代償を得ていることであり、その「徳」は霧消するからである。
徳が無償のものであるかぎり、そういう気分という代償は、すべてを帳消しにするだけの魔力をもっているからである。徳を積もうという人のためにこそ、ここ一番、過分な感謝は、つつしんであげるべきではないか。
ただし、この場合、受ける側も「無私」でなければならない。「私」する、といっても、寄されたものを、私に横どりするという悪事を指すのではない。それは横領であり、おおやけを横領した人は、あの世での閻魔大王との出会いを待つまでもなく、この世で裁かれるであろう。そうではなく、これこれの寄付を俺が集めたという手柄顔である。それを自分の手柄にしようとしたとき、すでに「私」というものがしゃしゃり出、「無私」ではなくなる。
受ける側は、ただ、おおやけを代表し、仏になりかわって、無心に礼を述べるだけでいいのである。
もう一つ、大事なことがある。無心でないと、つい、寄進された金額や施物の額にこだわってしまうようである。そういう私にも、経験がある。吉峰寺(きっぽうじ)の下寺(したでら)が北海道の帯広にあって、檀越のタクシー会社の社長さんが、お寺によくつくしてくれる。まえも、自分の旧宅を寄進し、お釈迦さんの木像を寄進し、つい最近、わざわざ飛行機で飛んで京都へ行き、地蔵尊像を求めてこられて寄進された。そのかたが、吉峰寺へ見えた。
地蔵さんといっても、路傍の石仏ではない。光闌(こうだ)けた立派なお木像である。百万や二百万で買えるものではない。だから私はつい、その人に値段を聞いてしまっていた。不覚であった。
幸い、相手は笑って、こたえなかったから救われたようなものの、そうでなかったら、私は、相手の「徳」をふみにじるところであった。ここは、相手がいくらのものを求められたか、という事実関係よりも、地方のタクシー屋さんが、せい一ぱいの思いで地蔵尊をお寺に納められた徳を讃嘆すればよいのである。
考えてもみるがいい。極端な例でいうと、巨額の資産をなしている人が百万円を投じたのと、貯えらしい貯えもない人の千円と、どちらが尊いか。世の価値基準からすると、千円より百万円のほうが、はるかに価値があるに決まっている。千倍もネウチがあると、きっちり計算で出てくる。したがって、百万円には這いつくらわんばかりに会釈して、千円には軽い叩頭(こうとう)ですましてもいいという論法になる。
しかし、どうであろうか。これは「金」に頭を下げているのであって「徳」に頭を下げているのではない。「徳」の評価でいうと、百万円より千円が尊いことだってあり得る。事実、そうであろう。さらに極端な例でいえば、乏しい財布の中から千円札一枚を投じたのと、会社や高額所得者が、税金のがれに一千万円を割いたのと、どちらに徳の重さがあるか。残念ながら、お寺には該当しないが、おおやけの寄付には、そういう恩典があるそうな。

「無一物中、即、無尽蔵」という人生の秘密---p84

吉峰寺は、二十年つとめた。
入山した当時、お寺は清閑そのものだった。清閑という言葉は、いかにも禅刹らしくてよい。
が、裏返していえば、誰も寄りつかないのである。禅の修行には、いい環境かもしれないし、事実、吉峰寺は修行道場である。しかし、修行道場という機能を果たすだけなら、禅堂さえあればいい。諸堂がととのっているのはそれだけの意味があり、人が寄り集まってこそのお寺といえるだろう。一人でも多くの人に仏縁を結んでもらってこそのお寺なのである。
私は、そのための努力をした。たとえば、除夜の鐘から、元日詣でをすすめた。ただお参りしてもらうだけではない。参詣者全員に弁当を配り、雑煮はどんどんおかわりをしてもらい、酒は飲み放題という企てであった。
さすがに寺の者は、この企画には首をひねった。そんなことをしたら、吉峰寺の財政は破綻します、といった。「量入為出(りょうにゅういしゅつ)」という言葉がある。入るを量って出すを為す、現代語でいえば、計画経済であろう。お寺といえども、原則として経済というものを必要とするかぎり、この大原則は犯せない。しかし、私はあえてこの原則を無視した。
「なあに」といった。「出せばかならずかえってくる」といった。師の頑牛が、いつもいっていた言葉である。
「大徹、おまえはどこへ行っても小遣いには心配ないぞ。儂が施しているから、その施しがおまえにかえってくる」
というのである。この言葉、意味をとり違えてもらっては困る。師匠は、私が可愛さに、私に施しがかえってくるであろうという反対給付を期待しての施しをしているというのではないのである。
いまになってわかることだが、人から施しを受けたとき、当然と思ってはならぬという戒めにほかならなかった。これこれの施しを受けるについては、たとえば、そういう師匠の施しがあったということを肝に銘ぜよというのであろう。そうして、そのためにも、施しにはげまねばならぬことを教えているのであろう。私は、そう理解している。けれども、この場面では、そういう咀嚼をぬきにして、ただ「返ってくる」と予言的にいった。
予言は当たった。いまでは、除夜から元旦にかけて平均八百人の参詣者があり、福井県下だけでも二千人ほどの信者もできた。信者ができると、なにかと「志」を上げてくれる。自然、お寺の会計は忙しくなる。冒頭に触れたように、寄付をたのまれたときは、分不相応な支出もときにはできるようになった。
「仰せのとおりでした」と寺のものは、にこにこしていった。私はこのときこそいわねばならなかった。
「おまえの金ではない。儂の金でもない。何が嬉しいか」
さすがに寺のものは顔色をかえた。その通りではないか。お寺のお金は、あくまでもお寺のものであり、たまたま、私の名指しで、私にといって差し出されたお金も、それは、私のものではないのである。
私が吉峰寺に住し、法衣をまとっているからこそ包まれた志なのであるから、裸の「私」のものは、なにもないのである。「無私」とは、それでなければならぬ。自分を教え込むようにして、我慢して「私」をひっ込めるのではなく、本来「私」というものはないという事実にめざめさえすればいいのである。
だから、私はいつも素寒貧であり、死ぬまでそうであろうし、それに過ぎる幸せはないのである。七十歳を越えてから、私の体を気づかって、寺のものは私に托鉢をやめるようにすすめてくれた。思えば入山二十年、私は托鉢のために二千足からの草鞋を履きつぶしている。しかし、この辺でそろそろ、という気は毛頭ない。そうではないか。「食えなんだら食うな」であり、まだ五体の動くあいだに托鉢をやめよということは、食うなと命ぜられるに等しい。
私は、揮毫をたのまれると「本来無一物」と書くことにしている。
人間、本来無一物なのである。呱呱(ここ)の声をあげたときに、ものをもって生まれた赤ン坊があるか有りあまる金を、あの世までもっていった大富豪があるか。もっというなら、なまじっか、人間にものを付託したために、人を不幸にすることだってあり得る。
豊臣秀吉は、遺児の秀頼のために、東洋一といわれる金銀と城塞を残して死んだ。秀頼は、この金銀と城のために滅んだといっていい。金銀による軍事動員力を叩くために、徳川家康は大阪城を攻め、ついでに秀頼母子をほろぼした。もし秀吉に仏教的な思想があれば、金銀を天下のためにばらまき、秀頼を豊臣という新興公家として京都の片隅にでも置いたであろう。そういう裸の秀頼まで、いくらむごい家康でもひねり潰そうというはずはなく、かれの血筋を絶やすことはなかったであろう。豊臣家は末代までつづいたはずである。
豊臣秀吉父子だけではない。人間みんなそうなのである。持って死ねる金もなく、残して末代まで保証できる金もないのである。
人間、本来無一物である。みんなが赤ン坊の初心にかえればいい。すると、ずいぶん余計なものが身辺につきまとっていることに気づくであろう。余計な金があれば、施しなさい。その施しという無報酬の徳を通じて、
「無一物中、即、無尽蔵」
という人生の秘密がおわかりになるであろう。
「即」なのである。
赤ン坊が、なにも持たずに生まれてきたために、母や父や、多くの人から無尽蔵の愛を受けられるのである。
*
以前、静岡県浜松市の方広寺で、臨済宗の集まりがあり、伊深の正眼寺で修行した因縁で、私にもお招きがあった。行ってみると、早稲田大学の学生が、五十人ほど来ていて、六十年配の教授の指導でお寺の山に植林をしていた。もちろん、無報酬である。聞けば、方広寺へ来るまえも、山形県のお寺で同じ奉仕をしているという。そのかわり坐禅をさせていただきますと、表情は晴れやかだった。
三十年さき、五十年さき、お寺には、大した寺有林が育つであろう。
そしてお寺は、その青年たちの功徳を忘れないであろう。三十年先といえば、かれらが初老にさしかかった頃であり、五十年といえば完全な老境である。あるいはもう、鬼籍に入っている人がいるかもしれない。
おそらく、その時期において、青年期にそんな徳を積んだということを、忘れてしまっているに違いない。
ご本人たちは忘れていても、お寺は忘れてはいない。「徳」は残るのである。人生、これほど大きな儲けはない。
ためにする禅なんて嘘だ---p91
禅は勝利への方便にあらず
最近、禅が重宝がられている。
こと禅に関して、「重宝」という言葉をつかいたくないのだが、まさしくその通りなのだから仕方がない。もっというなら「実用禅」であろう。役に立つ禅である。禅をすれば、これこれの効用がありますよ、という禅である。
もちろん、禅が結果的に世間さまのお役に立つのは、結構至極である。異論をさしはさむ余地はない。無用より有用がいいに決まっている。しかし、それはあくまでも結果的に、であって、はじめから、結果を期待して坐るのは禅ではない。
ある有名な元プロ野球の監督が、伝統の球団の采配をあずかった年、その球団はさんざんな成績に終わった。批判は監督に集中した。そんな中で、彼は一時、球界から姿を消した。伊深の正眼寺へ独り、坐りに行ったのである。そこで彼は何か得るところがあったのだろう、翌年、周囲がなにをいおうが、自分をおしとおし、念願の優勝を遂げさせた。それだけではない。その球団は、その翌年も翌々年も、ずっと優勝し、監督は常勝将軍の異名をほしいままにした。
人は、将軍に驚嘆した。最初の年に、無残な記録を残した彼が、まるで別人のように栄光の人になったのである。その秘密は「禅」にあると、人は見たらしい。そのせいかどうか、その頃から一種の禅ブームという現象が起こり、禅刹は大いに忙しくなってきた。他人事みたいにいっているようだが、私が最近までお世話になっていた福井の吉峰寺も、御多分に洩れず、ぼつぼつ集団で参禅する人たちが増えてきた。
しかし、どうであろうか。話題のプロ野球の監督だけに限っていえば、禅によって奇跡的に優勝を遂げたという論法は、あまりに短絡である。彼が優勝したさの一心から、禅に頼ったとするなら、それは「野狐禅(やこぜん)」というものであり、もっといえば、その禅はニセモノであろう。
そうではないか。監督が禅さえすれば、かならず優勝できるという保証があるなら、十二球団の監督は全員、参禅をすればいい。全球団が優勝して、プレーオフも日本シリーズもやる必要がなくて、めでたしめでたしではないか。
ふざけた話だが、その通りであろう。簡明すぎるほど簡明な道理である。全球団の優勝というあり得ない事態が起こるなら、たちまちスポーツ新聞は売れなくなり、テレビの中継放送も見なくなり、肝腎の球場へ足を運ぶ人も居なくなって、プロ野球そのものの存続が問われる結果になるではないか。
これでは、禅という特効薬はプロ野球に寄与したのか、野球そのものを潰しにかかったのかわからなくなる。やはり野球は、勝つ者があれば敗ける者もおり、強い球団を弱い球団が苦しめたりしてこその面白みであろう。
*
たとえば古来「剣禅一如(けんぜんいちにょ)」といわれてきた。剣の極意は、禅境に通じるとし、武人たちの多くは、禅を参究した。しかし、彼等は決して、禅によって、殺人という手段の巧みさを磨いたのではない。剣という生死の巌頭に立ちながら、生死を超えた境地を求めたのである。
これを「定力(じょうりく)」という。字義どおり、定まった心であり「大禅定」のこころに通じる。平ったくいえば、静かなるこころであろう。あわただしい日常のなかに、静寂を求める。万有静寂のうちに、永遠に人間を力づけるこころであり、静止しながら限りない活動の源泉となる。それは、自分自身がどっしりと坐り、その坐りを見出す人のこころであり、呼吸をととのえ、背すじをのばし、静かに坐ることによって得られる。
これが、禅をすることによって得られる境地であり、結果的にいえば、今日を生き、明日を生きる力を湧き出させるであろう。「大禅定」の力であり、この大禅定の力があるかぎり、何物をもおそれなくなる。野球監督は、伊深で坐ったことによって、この大禅定の力を得たのであろうし、それによって、いままでの迷いもふっきれたに違いない。
もっといえば、野球というめまぐるしく変転する局面で、彼は常に「坐る」こころを忘れなかったのが勝利にみちびいたのかもしれないし、そういう動中静の定力が、采配を振る彼の決断をあやまらせなかったのであろう。
それは、勝負を超えた世界である。もちろん、野球の監督であるかぎり、つねに勝ちたいというのは本心であろうし、勝つためにこそ全精力を傾けている。けれども、ただ勝ちたい一心では、勝ちたいという気持ちにこりかたまっていたのでは、それこそ勝ち意識がわざわいすることだってあり得る。剣でいえば、生死を賭けた世界にも等しい場面である。そういう場面こそ、自分を凝視するもう一つの目が必要なのである。それを開かせるのが禅である。
そうして彼は勝った。結果的に勝った。しかし、敗けても本望だったであろう。それは、敗ければ口惜しいに違いない。けれども、彼は彼なりに、全知全能を傾けたのだから、敗けても本望という澄明さがなければ、勝負はできない。
いや、勝負だけでなく、人生全般、そうではないか。何物をもおそれないという心境がそれである。
自分の敗北すらおそれなくなってこその大禅定である。

あくまでも個人のさとりである---p96

ことわっておくが、ここで、禅の効用を述べようというのではない。彼のように、禅をすれば商売がうまくいきますよと、すすめているのではない。要は頑張りなのである。禅をすれば多少とも頑張りがきくということを申しあげたいのである。そこには、頑張って頑張って、頑張り抜いて、結果は問わないというさわやかさがなければならない。
金儲けのために阿修羅のようになるのは、誰だってできる。しかし、金儲けという旗手が鮮明であればあるほど、その目的を達せられなかったときの落胆は大きい。
ところが、金儲けではなくて、自分が自分にあたえられた、あるいは自分のえらんだ道を頑張り抜くこと自体、そのことが「徳」を積ましてもらうのだと思えば、落胆も悲観もすることはない。働けど働けどなお暮らしが楽にならなくても、それでもいいのである。
*
この項の冒頭で、私は不用意にも、禅は世間にとって、無用より有用のほうがいいに決まっている、と発言した。不用意というのは、ほかでもない。有用という言葉をとり違えてもらったら、大いに困るからである。
有用とはなにか。

たとえば、企業で有用な人間といえば、企業を大いに儲けさせてくれる人間であり、そういう陣頭に立って働く人でなくても、最低限、企業の管理に、きっちり当てはまる人であろう。もっと端的にいえば、社長を頂点として、上司の思い通りに動いてくれる人間であろう。

そういう人間になってくれることを、企業では、「人間形成」と称する。なんという傲慢であろうか。自分の思い通りになる人間が有用であり、思い通りにならぬ人間は無用と斥ける、そのために「人間形成」するという。そういう人間形成に禅が役立つとするならば、それは、企業にとっては「善」であろうが、形成されたナマの人間にとって、これほどの「悪」はない。

禅の有用とは、そんなちょこまかした、ちいさなちいさな世界に人間を閉じ込めることではないのである。禅は、あくまでも個人の「さとり」であり、全体の中での矮小化とは、本質的に違うのである。
だから、そうした、期待を込めての「人間形成」のための新入社員教育に、禅が利用されるなんて、真っ平である。これほど、禅を悪用することはないからである。

そのような野心、もしくは意図をもって来られた人に、私は、いつもつぎの言葉をのべて、返事にかえている。
達磨大師、梁の武帝に見ゆ。帝問う。朕、寺をたて僧を度す。何の功徳がある。達磨いわく、無功徳」(葛藤集)
※参考サイト
菩提達磨「不識」
達磨大師の教え「無功徳」とは?

ガキは大いに叩いてやれ---p105

子供のときこそ鍛えよ
「心」を与えるのが母親の役目
子供の問いかけをおろそかにするな

社長は便所掃除をせよ---p127

「行」が変える人間の運命

「陰徳」は人に見せるものではない---p134

まえにも触れた、福井県下で一、二をあらそう乾物屋へ行ったときのことであった。小用を足しに行くと、男用の便器の中に、マッチの軸が落ちている。私は、そのままにして出ようとしたら、若主人が入ってきて、自分も足そうと思ってその異物を見つけた。私が、手を洗いながら見ていると、彼はひょいと手でつまんでゴミ箱へ捨て、その手をごしごしと石鹸で洗い出したのである。

ごく自然な動作であった。そのとき私は、あぁ、できているな、と思った。彼は、ひそかに便所掃除をしているに違いないのである。それは、人のためにやっているのではなく、自分のために、させていただいているのである。そのよろこびを、よろこびとしているのである。

ここのところ、間違えないでほしい。

やはり、吉峰寺へ参禅に来ていた、ある中小企業の社長だった。私の話を聞いて、それはいいことを教えられた、といって喜んで帰っていった。二、三か月して、こんどは、得意満面でやって来て、便所掃除の効用」を、とくとくとして語りだした。

彼は、早速、便所掃除をはじめたそうである。昼休みになると、雑巾とバケツをもって、社内の便所を一つ一つ回りだした。はじめは、社員一同知らん顔をしていた。当世風というものであろう。暫くすると、社員に微妙な変化があらわれた。みんな、もじもじしだしたそうである。そうして、また暫くして、社員の総意でもって、便所掃除はみんなが交代でやるから、社長は、手を引いてほしいといってきたという。

そこで彼は言葉を継いで、便所掃除をするようになってから、社員たちの社長を見る目が変わってきたといい、なんだか、ビリビリするようになったといい、それもこれも方丈さん(私)のおかげであるという。私にとっては、はなはだ片腹いたい結果である。私は即座にいってやった。

「それならば、仕事をかえたらよかろう。いっそ、清掃会社にしてはどうか」
そうではないか。社員の月給というものが、会社の得る利益でもって支払われているものであるかぎり、商業主義社会下では、その拘束時間を利益追求に集中すべきであろう。社員があげて便所掃除という行為に熱中しだしたのなら、それは、会社の経営方針が清掃という一点に変わったというほかはなく、おのずから清掃会社に鞍替えしたというべきではないか。ここは、単純きわまりない道理である。

「そんな馬鹿な」
と彼はこたえた。
「馬鹿なことをしているのは、あんただ」
と私は言い返した。

おそらく、社長が便所掃除をはじめてから、社員たちは気もそぞろになり、やがて肚をくくってみんなで便所掃除をやろうと自発的にいいだしたとき、それが、唯一の社長に迎合する道であるという理解におちついたにちがいない。社員は、便所掃除をするという一点に緊張関係を置き、肝腎の仕事において緊張関係がゆるむのは、それはもう、物理的としかいってみようがない。それはみんな、あんたのせいである。あんたの虚喝(ハッタリ)罪であるあんたが、前後をわきまえず、「徳」ということの意味をとり違えて、当てつけがましく便所掃除という酔狂をはじめたために、会社は狂ってしまったのだ。

―しからば、徳とは何ぞ。

徳には「陽徳」と「陰徳」がある。平ったくいえば、お寺に寄進するように表むきの徳を積むのと、人知れず、おおやけの場所の塵を拾ったりして、陰でこっそりさせていただく徳である。便所掃除は、後者でなければならぬ。いや、便所掃除こそ、そうでなければならぬ。

私の師の頑牛は、伊深の僧堂時代から、ずっと便所掃除をしてきたが、なるべく人目につかないようにやるのがその工夫だった。できたら、人の来ない早朝とか夜がよい。しかし、禅堂の日課の関係で、やむを得ず昼間やらねばならぬときは、人の姿を見るとサッと隠れたという。

いうまでもない。「陰徳」はあくまでも人の陰でやってこその陰徳であり、人にかくれてやるべきであって、人に見られたら「徳」そのものが霧消するぐらいの心がけでなければならぬ。
人に見られることによって、人は、人情として、「おれはこんなにいいことをしている、どうだ」という、自己を誇るこころが生じるであろう。その慢心がすべてを帳消しにする。

不浄所の清掃という行は、いわば両刀の剣なのである。
いわんや、白昼堂々と、これ見よがしに便所掃除をするなど論外中の論外であり、会社の序列でいえば上級者の頂点たる社長が、下級者の社員のまえで便所掃除をしている風景など、これに過ぐる傲慢はあるまい。

「オレがやってやったのに」では何にもならぬ

自殺するなんて威張るな---p143

お節介でいろんな人を助けた
子を寺にあずける親の不可解な心
あらゆるものは「仏」になれる

家事嫌いの女など叩き出せ---p163

男が女々しくなった今日このごろ
人間鍛えられて強くなる
何が幸か不幸か

若者に未来などあるものか---p181

怒りの読経の意味を知れ
この世はすべて諸行無常

犬のように食え---p193

坐禅はいいが食事はかなわん
犬の食事と以心伝心
食事もまた修行である
何にために食うのか
精進料理の精神とは

地震ぐらいで驚くな---p217

死ぬには結局おのれ一人
神仏に背を向けた坊主の話
忘れることのできぬ戦争の体験

死ねなんだら死ぬな---p237

生きることは死ぬことである
死に様に学ぶ人の生き方
人間それぞれ宝を持てる

解題 ー 復刊に寄す 執行草舟---p255

「人はパンのみによって生くるにあらず」、そうキリストが言ったと伝え聞く。 私が最も仰ぎ見る思想の一つが、この言葉なのだ。なぜ、そう思うのか。それは、魂の糧を食らい続けることだけが、人間を本来の人間にするのだと述べているものだからだ。 人は魂の鍛練によってのみ、 人として生き切ることが出来る。そして魂の鍛練は、過去の偉大な魂を食らうことによって養われるのだ。そのためにのみ、読書がある。読書とは、そのことだけを言う。
私は死ぬほどに、その読書をして来た。それが、私の唯一の誇りである。他に誇るものは何も無い。 こと読書に関しては、 古今束西の名作で、読んでいないものは無い。 そう言い切れるほど読んだ。 私は人生で四度、死を宣告されたことがある。その日も、私は読んでいた。それらの書物は、すべて人間本来の、本当の「希望」を語る本であった。すべて覚えている。忘れることなど出来ようものか。 私は読書そのものに、 命を懸けているのだ。
その一冊が、本書である。この本は、私の命の「思人」なのだ。いや、それだけではない。私が事業を起こすときの、 その創業の決意をぅイ定してくれたのも本書なのだ。 本書によって助けられた私の命に関しては、 もう四十年前となり、事業の創業は三十五年ほど前になる。私は本書を、 四十年間に亘り書斎の正面に並べ、ずっと読み続けて来た。毎日、眺め、声をかけ、触り、そして読んで来た。私の人生哲学の重大ないくつかは、本書からもたらされて来たのだ。 私は、本書をまさに食らい続けて生きて来た。 そして、 その幸運をいま振り返っている。
本書は、それほどの本であった。 しかし、長らく絶版となっていたのだ。私は残念でならなかった。 古本もすでに尽きてしまっている。 その私の無念を、晴らしてくれたのが今回のこの復刊である。 何と言う喜びだろう。声に出すことも出来ない。復刊の運びを聞かされたとき、私はすぐに思つたことがある。それは、これでまた多くの人たちが立ち上がることが出来る。心の底から、私はそう思った。 そして、 その舞台を作ってくれた 「読書のすすめ」 店長の清水克衛氏と復刊を断行した 「ごま書房新社」 に対して黙礼を捧げたのである。
本書は、 そのような数少ない名著の中の名著の復刊なのだ。 手に取る読者の方々は、 ここから新しい人生が生まれるとってくれていい。 本書にはそれだけの力があるのだ。 著者の関大徹老師は、 禅の最高境地を生き切つた本物の大人物である。禅僧というだけではない。 人間として、最高の人間なのだ。私が知る最高の魂をすべて具現している。厳しく悲しい人である。温かく面白い人である。 そして、何よりも可愛らしい人だ。私はそう思う。
だからこの本は、死ぬ気で読んでほしいのだ。すべてを信じて読んでほしいのだ。つまり、本書自体を食らうのである。 自分の肉体に、 この本を打ち込んでほしい。 自分の精神に、 この本を食わせてほしいということに尽きる。 そうすれば、読む者の中に生(せい)の飛躍が起きるに違いない。 ひとつの革命が、読む者の人生に訪れて来るだろう。 それが読む者の運命を創り上げていく。本書を自己の座右に置けば、 必ず運命の回転が訪れて来る。
---中略---
「生きるとは死ぬことである」。大徹老師が、関大徹が、そう言ってくれなければ絶対に進むことの出来ない状態であった。 私にとって本書は、 それほどの本であったのだ。 一冊の本が持つ力には測り知れないものがある。私にとって、その一冊がこの『食えなんだら食うな』なのである。私の命の「恩人」 なのだ。 その本がいまここに復刊されたのである。 何と言ったらいいのか。 言葉は、 いま書いてきたように取り止めも無いものと成つてしまうのだ。 これは仕方がない。 この一冊は、私にとってそれほどのものであったのだ。
最後に私が言いたいことは、 この一冊は本物であり、 人間の一生を創り上げるだけの力がある本だということである。本当にひとりの人間の人生を築くだけの力が、本書にはあるのだ。私も人間の中の一人に過ぎない。 これから本書を手に取る人たちも人間の一人に過ぎないのだ。 そして、 同じ人間なら、私に起こったことは必ず読者にも起こるだろう。本書を、そのように見て、そのように扱つてくれれば、本書は必ず読者の人生に飛躍をもたらしてくれるに違いない。私は、固くそう信じている。
平成三十一年(2019年)四月吉日


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