ぼくとインターネット③
はじまり:ぼくとインターネット①
前回:ぼくとインターネット②
②では、パソコンゲームにドはまりする僕を紹介してきました。
昔からゲームは好きだったんですねぇと思いきや、ゲームを禁止されたことによる反発的なものもあったのかなぁとも感じますね。
参考:https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2001/20/news039.html
そんな中、ついに任天堂のゲームがやってきました。
…とその前に、実はゲームを密かに買ってプレイしていたので軽くご紹介。
密かに遊んでいたゲーム機達との出会い
①ゲームボーイカラー(クリア)
世の中ではSPが流行っていた時代、近所の友達から「これ使わんから貸したげる」と言われて密かに持っていたもの。
そのまま借りパクになった。
遊んでいたゲームは「ポケットモンスタークリスタル」。
世の中は「ファイアレッド」「リーフグリーン」が流行っていた時代だが。
②SP(パープルブルー)
世の中ではDSが流行っていた時代、さすがにゲームボーイに飽きた僕がゲオに買いに行った。
ようやくお年玉を自分で管理できるようになったことが大きかった。
遊んでいたゲームは「ファイアレッド」や「星のカービィ鏡の大迷宮」や「スタフィー」など。
そして何よりバックライトが付いたことで、夜、布団の中でもプレイができるようになり、目が悪くなったのは言うまでもなかった。
③ゲームキューブ(バイオレット)
携帯ゲーム機を親に隠れながらプレイするのは容易かったが、家庭用ゲーム機も実は買っていた。
これには理由があり、友達から「5000円でGC買わない?」と言われたのがきっかけだった。
当時「スマブラDX」に死ぬほどハマっていたのもあり、コソ練のためによく遊んでいた。
その他には「どうぶつの森」や「スーパーモンキーボール」も持っていた。
ちなみにGCはその後親に見つかり捨てられた。悲しい。
そんな当時非合法だったゲーム達だったが、ついに正式に任天堂のゲームがやってきた。
Wiiとの出会い
従来の「ゲーム機本体と有線接続して遊ぶTVゲーム」という概念を壊した「Wii」は素晴らしい。
何度も言っているが、「ゲーム禁止の家だったのになぜWiiが許されたのか?」は、この従来の遊び方から脱出したことが大きかったのだと思う。
「ゲームはオタクがするもの」といった凝り固まった親には「Wii Sports」や「Wii Fit」は非常に良いゲームのように見えたようだ。
何ともアホらしい話だが、これが現実。
最初にやってきたゲームはこの2本。
「はじめてのWii」
https://www.nintendo.co.jp/wii/rhaj/index.html
神ゲーだ。
Wiiの特性を最大限生かしたゲーム内容の数々によくもまぁ飽きずに遊んでいたなと今でも思う。
中でも「タンク」というゲームが際立ち過ぎており、最後の方になると敵が透明になったりもするというカオス仕様。
結局全クリできなかったような気がする。
ちなみにこれのおかげでビリヤードのルールを覚えた。
「Wii Sports」
https://www.nintendo.co.jp/wii/rspj/
これも神ゲー。
熟練度という、CPU相手に勝ちまくっていくと上がっていくシステムは、やり応えがあった。
中でもテニスとボーリングとゴルフはやりこみまくった。
ちなみにこのゲームのおかげで、ゴルフのルールを覚えることができた。
任天堂のゲーム、その後の人生で役立つことばかりじゃないか?
最初の頃、親も一緒に遊んでいたが、結局遊ぶのは僕だけだった。
もちろんこれらのゲームも飽きてくる。
そうすると泥沼だ。
結局、次から次へとゲームソフトが増えていったのだが、それはまた別のお話。
そんな中、人生を変える一本のソフトに出会う。
ポケモンだ。
ポケモンバトルレボリューションとの出会い
https://www.nintendo.co.jp/wii/rpbj/index.html
そもそもポケモンは、友達の家で遊ばせてもらった「銀」や「ルビサファ」、そしてこっそり遊んでいた「クリスタル」「ファイアレッド」などがあった。
しかし、やはり当時最新作だった「ダイアモンド・パール」が遊びたすぎた。
通称バトレボのこのゲームは、「ダイヤモンド・パール」からポケモンのデータをコピーして、そのデータをもとに、数々のコロシアムリーダーという敵を倒していくのだ。
つまり、友達の「ダイアモンド・パール」のデータをコピーさせてもらい、このゲームを遊んでいたのだ。
コピー。
つまり、ポケモンを育てたり、覚える技を変えさせたり、普通のポケモンでできることは全くできない。
ただ、このゲームに死ぬほどハマった。
ポケモンが3Dで動いているということ、大迫力の技の数々、実況のセリフがすきなどが要因だろう。
ただ、進めていくとどうしてもコロシアムリーダーが倒せないことが出てきた。
ちょうどそのころ、Wi-Fi対戦にも興味が出てきていた。
「怖いけどインターネットしてみるか」
そこで再び、インターネットと向き合うこととなるのだった。
チャットとの出会い
バトレボの攻略掲示板に出会った。
http://pokemonbr.jugem.jp/
昔過ぎてどのサイトだったのか何となくしか覚えていないのだが、たぶんこれ。
確証がないのは、サイトのデザインが違うのと掲示板を見ても文字化けしてて分からないからだ。
ここでフレンド交換やフレンド対戦などを何回かしていた。
そんな時、掲示板に書き込んだ人から「チャットに来ませんか?」と誘われたことがあった。
恐る恐るながらも「雑談交流チャット」に行った。
これがJetCHATとの出会いだった。
引用元:http://jetchat.client.jp/menu/game.html
恐る恐る入ったが、中はとてもフレンドリーだった。
ポケモンのことだけ話すのかと思いきや、想像以上に自分のことを話す場所だった。
そう、この既視感は「たまごっちサークル」と全く同じだったのだ。
やれ勉強が大変だ、やれこのゲームが欲しいだ、愚痴を言いながらちょくちょくポケモンで遊んでいたりなど、楽しすぎる毎日だった。
おかげで、チャットに入り浸るようになっていた。
話を聞いていくとAくんとBくんは同じ年。
Cさんは少し上のお兄さんだった(らしい)。
そして、たまーに顔を出すDさんとほぼ毎日チャットをしていた。
Twitterか?
そのうちのCさんはブログを書いていた。
ポケモンに関する攻略をいろいろ載せており、勉強になった。
そんな時、AくんとBくんから「僕たちもブログ始めようと思うけど、君もやらない?」と言われた。
そして、ブログを始めるのだった。
ブログとの出会い
僕が始めたのはteacupブログ。
今でもあるらしい。
使い勝手がよく分からなかったが、「たまごっちサークル」の経験を活かし、日常の投稿をし始めるのだった。
今見返してるのだが、面白すぎて笑う。
皆さんにはお見せはできませんが。
令和2年にもなって再度流行っているバトンリレー。
当たり前のように当時の僕もやっていた。楽しかった。
あと初期のあべちゃんを猛烈に批判していた。
なんで?
色々あったがなんだかんだブログは細々と続けていくことになる。
そんなある日、チャットにてDさんから「バトレボのプレイ動画を上げるから見て欲しい」と言われる。
これこそが奴との出会いだった。
ニコニコ動画(γ)との出会い
この時のニコニコ動画は(γ)だった。
当時のニコニコ動画はID取得が必要で、後から登録した人は時間規制がされており、私の場合は19時までしか見れなかった。
参考文献:https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%8B%E3%82%B3%E5%8B%95%E7%94%BB%28%CE%B3%29
当時学生だった僕はこの時間に間に合うことはかなり少なかった。
そんな中、なんとかバトレボのプレイ動画を見ることができた。
ただ、バトレボのプレイ動画が流れるだけで、別に実況動画でもない。
見終わり、何の感想を言ったのか、もはやよく覚えてない。
だからこそ、ほかにどんな動画があるのかと調べることは全くなかった。
あくまでバトレボが見れる動画サイト、そんなイメージすら僕にはあった。
ちなみにYouTubeもそんな見ておらず、僕の中心はあくまでバトレボとチャット、そしてブログが全てだった。
そう、ニコニコ動画とはここで一度離れていたのだった。
しかし、バトレボも飽きは来る。
ここでWii最強ゲームがやってくるのだった。
スマブラXとの出会い
Wiiの特性を全く活かさないのは突っ込むべきなのか。
しかし、これは最強ゲームと言わざるおえなかった。
上の方でも紹介したが、DXは友達とよく遊び、こっそり家でも練習していた。
ちなみにDX時代は、アイスクライマー、子どもリンク、ファルコをよく使っていた。
そんな遊びまくったDXの続編なのだから、遊ばないわけがなかった。
この頃になると親も「結局WiiはTVゲームなんやな…」と半ばあきらめモードで容認されることとなった。遅すぎるアホ。
GCコントローラーをWiiに差し、とにかくやりまくった。
この時よく使っていたのはソニック。
最終的な記録は記憶でしかないが、4000時間は超えていたと思う。
頭おかしい。
この時もチャットやブログはしていたが、イン率はかなり低くなっていた。
そんな時、僕はあることを知ることとなる。
そう、プリン巨大バグだ。
プロアクションリプレイで楽しんでいたあの頃とはうって変わり、しばらくバグというバグを見ていなかったのでとても楽しかった。
ちなみにこの巨大バグを教えてくれたのはチャット仲間だったような気がする。
そのURL先がニコニコ動画だった。
そして私は思った。
「スマブラXの他のバグを見たい!」
そして貼られたニコニコ動画で他にバグ動画がないか検索し始めた。
この時のニコニコ動画は(RC)
既に24時間いつでもアクセスできるようになっていた。
そして、私はついにインターネットに出会ってしまうのだった。
次回:ぼくとインターネット④
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