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ガン・エヴォリューション・アンド・モーニング

  誰か身近な人が亡くなってしまったら、身近な人を失くした人にはケアが必要だ。それは、臨床心理士や認定心理士でなくても構わない。寄り添う心を持ってくれる人がいれば良い。それは、遠くにいる人でもいい。心がそばにいてくれれば、今の時代はコミュニケーション手段は沢山ある。適当なその手段を安価や無料で利用すればいいのだ。

  母が逝ってしまってから三年が過ぎた。寝ぼけていても、何か物音がしたけど母がやるだろうとは考えないし、そっくりな服装や風貌をしている人がいても、他人だと切り分けられるようになった。[おふくろがいない]という事実が飲み込めたのだろう。
 喪の処理が私の心の中で進んだのだろう。
[喪の処理]と書いたがそれは古い言い方で、今はモーニングワーク(Mourning Wok)と日本ではいうらしい。英語では[Grief Work]になるようだ。とはいっても英語の意味からすると、まさに悲嘆にくれる時期がGrief といえ、その心の苦しみという蓋(ふた)を開けられるようになったことをMourningというので、呼び方は時系列のどこに比重をおくのかで変わるだけだ。だが、昔の喪の処理といった頃と、喪の段階とケアの段階が見知った内容なので基本は変わらないようだ。

  先日に、音声配信アプリの中で私の真意を掴みそこねて私にイジメられたと主張している男の若者が癌だと知った。
 真意を掴みそこねてしまっているので、私のことは嫌っているようだ。だが、原発箇所は違っても癌は癌。私の母の仇である。それに私と疎遠になったといっても彼は彼で好かれているし、身近に大事な人もいるようだし、ネットの繋がりの友も多い。
 しかし、彼のネットの周りの人々は、ある人はあたり触らずいて、ある人は彼が亡くなった時の遺品に彼からもらったものを残(遺)しておきたいといい、ある人は彼を格別に取り扱ったりしている。
 ちょっと待って欲しい。もう彼はステージⅣの浸潤が高いものなのか。

  亡き母は、非小細胞肺がんを循環器内科医に長らく見落とされて癌を発見した段階でステージⅢの後期だった。そして、ステージⅣにまで進行して、抗がん剤の苦しさよりは穏やかな死を選択して在宅ホスピス型介護を受けることを選んだ。
 おふくろの死期が近くなってきてからと死後に知ったとだが、おふくろはケアマネージャーと専門医に私を「あまり、外に出たがらない息子なんです」と伝えていたようだった。寂しかったのだろう。洗濯は私がやっていたのだが、母の下着などがいっこうに見当たらないので訊いたら、恥ずかしいからと言っていた。母は腰が悪かったがそれ以外はピンシャンしていて、家事をなかなか私に代わらなかったのだが、そういう可愛さをいつまでも持っていた。死後に母と縁があった方々とは、買い物先や調剤薬局など生活の一部となっていた出先で、最初に母の死を伝えた時は、みんなが涙し、やさしくてかわいい人だったのにと悔やんで下さった。Grief Workが進んでいなかった私も涙を流していた。

  さて、音声配信アプリの中で私の真意を掴みそこねて私にイジメられたと主張している男の若者が癌だと知った。
 彼は生きているのだ。癌と闘っているのだ。
彼に、遠くで寄り添う心を持ってくれてる人達よ。心かそばにいてくれれば、今の時代はコミュニケーション手段は沢山ある。彼は生きているのだ。まだまだ、治療は長く続くだろうが癌は治る時代だ。
 もしかしたら、私の母の様に終末期医療を受けるかもしれない。でも、彼は生きているのだ。
 終末期医療に入れば、その後のことに病床から心をくだくだろうが、彼はまだ生きているのだ。終末期医療に入ってしまうまでは、彼は生き、日々を進化している。周りの者が死後を考えるには早い。
 癌が身近な病になり、癌になった人々を知る機会も増えた。でも、終末期医療に入ってしまうまでは、癌患者は生き、日々を進化している。癌医療も進化している。癌患者の周りの人々は癌の発見が遅すぎたり、終末期医療に入るまでは、死後や終末期のことを考えずに、遠隔からでも時間を共有してあけて欲しい。癌に勝とう。癌に侵されても繋がり方も進化している。みんなで、癌と癌患者や癌医療を進化させていこう。

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