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漫画雑誌『セマナチェク』と『SAL』、そしてKのその後

韓国の特異な漫画雑誌『새만화책(セマナチェク)』『SAL(サル)』。前回の記事では雑誌そのものの紹介まで出来ず、出版社セマナチェクが誕生した2002年当時の韓国マンガ界について書いたのですが、

今回は実物の中身も一部お見せしながら、じっくりとご紹介いたします!

どうしても韓国マンガと言うと、「知ってる!アプリで読めるやつでしょ」、「ネトフリの新しい韓ドラ、ウェブトゥーン原作だって」、「最近はインスタトゥーンも勢いあるんだよね」等々、デジタルプラットフォームとセットで語られ、イメージされることが多いのですが(そして私のnoteでもwebtoonについて引き続き書いていくつもりですが)、
今回の記事は、そんな限定された韓国マンガ観が少し変わるような内容になると良いなーと願いつつ。

本題に入ります。

『セマナチェク』(2006年1月~2009年6月)

前回の記事で紹介した出版社セマナチェクが、その後の試行錯誤を経て、ついにこれぞというマンガ雑誌を2006年に創刊しました。
名前はその名も『セマナチェク(=新しい漫画本)*1』。
まずは創刊号の表紙をご覧ください。

『セマナチェク』創刊号 表紙
定価1万ウォン|セマナチェク(2006年1月)

左上の「새만화책(セマナチェク)」というハングルが読めなければマンガ雑誌とは思わないかもしれません。いや、ハングルが読めたとしてもぱっと見で「マンガだ!」と反応できるかどうか。
私はセマナチェクに関する知識がある状態でこの本を手にしましたが、それでも中にどんな漫画が載っているのか、全く想像がつきませんでした。

ページをめくり、最初に出てくる漫画に意表を突かれたのを覚えています。

『不幸な船乗り』サミー・ハーカム*2
セマナチェク 創刊号 P. 7

端正に並べられたコマと、『不幸な船乗り』という絵本風のタイトル。当時はこれがアメリカの漫画であることも知らず、ただ「自分が知っている漫画とは違う」という感触のまま読み進めました。

(前掲写真、次ページ)
山で素朴に、穏やかに暮らしている夫婦をある男が訪ねて来る、不穏な始まり

『不幸な船乗り』は三十数ページの作品ですが、その間セリフはほとんどなく、コマの大きさや配置もこのまま変わらず、そのまま最後のページまで進み完結を迎えます。
平板なマンガを想像されるかもしれませんが、さにあらず。
主人公の青年が船乗りの話にロマンを抱き、日常を退屈に感じ始め、妻を置いて海に旅立ち、事故で片腕を失い、海賊との壮絶な戦いで運良く生き延び、元の家に戻るが妻はもういない…。
そんな壮大なストーリーが、ハッとするような残虐な描写や、絵画のように美しいコマを交えて、あっという間に語られるのです。「えっ? えっ?」と読んでいたら、いつの間にとんでもなく遠い所まで連れて行かれたような、不思議な読後感でした。

そして次の作品は一転、韓国の女子高生を主人公にした漫画です。

『19歳』アンコ*3
セマナチェク 創刊号 P. 46

タイトルの『19歳』は数え年を前提にしたものなので、邦題では『18歳』がふさわしいでしょうか。夜の近所をうろつく女子高生の姿、その唐突な始まりから、見事なラストに唸らされる最後の1ページまで、先に言ってしまいますが『セマナチェク』全号を通して私にとってはベスト、絶品の作品でした。
学校での彼女たちの過ごし方、その逸脱した態度、言葉遣い、友人との距離感、家族との距離感、それらが描かれた場所の空気、匂いと一緒になって伝わってくるような透明さ、みずみずしさ。特に夜の雰囲気、暗さ、黒さには独特の魅力があり、日本の漫画で言えば、つげ忠男の『与太』や『無頼の街』で描かれるような夜を感じさせます(主人公は「女子高生」と「無頼漢」で全く違うのですが)。

大げさに感じられるかもしれませんが、ここまで読んだ頃には私はもう「セマナチェクすごい!」と興奮していました。ただでさえ好きな雑誌に出会えた時の嬉しさは格別だと思うのですが、それが韓国の漫画雑誌で起きたのですからなおさらです。

ここで少し脱線して

『セマナチェク』が良い例なので、日本以外の漫画に触れることで気づいた日本漫画の特徴について書いておきましょう(海外漫画の世界を知っている方には既知の話であることでしょう)。
『セマナチェク』は毎号、巻頭は欧米のマンガ作品なのですが、巻末は辰巳ヨシヒロ、つげ義春といった日本の漫画家の作品が掲載されるという構成を取っています。
いや、「巻末」と書きましたが、日本漫画は実は独特で、韓国を含む欧米のコミックスがすべて左から右に漫画が進行するのに対して(左開き)、日本漫画は右から左に進んでいくんですよね(右開き)。

『東京うばすて山』辰巳ヨシヒロ|セマナチェク 創刊号 P. 265
日本漫画におけるコマの進行は右上から左下が原則
『ねじ式』つげ義春|セマナチェク 第2号 P. 263
ここでも当然、コマの進行は右上から左下

日本の漫画読者として新鮮なのはこの点で、『セマナチェク』を日本の漫画雑誌の感覚で右開きで読めば、日本の作品が巻頭になっているとも言えるのです。この「左右両巻頭」とも呼びたいワザはセマナチェクが編み出したものではなく、もともと韓国の漫画雑誌で、日本漫画を掲載する際に使われていた一般的な方法でした。

そこに欧米の漫画を加えたところが、セマナチェクのユニークな点の一つでしょう。欧米漫画と日本漫画の間に、たい焼きのように韓国漫画が詰まっているという、この風変わりな構成、多国籍性。「目の前にある漫画が全てじゃないから!」という思いで設立されたセマナチェクの漫画観が伝わってきます。
ではその肝心の「あん」の部分はどうなのか?

本題に戻ります

先ほど『19歳』については触れましたが、雑誌の半分以上を占める韓国漫画は他にどんなものがあるのか。結論から言えば、セマナチェクの独自性はここにこそ最も色濃く現れていると言えるでしょう。

『私の母の物語』キム・ウンソン*4
セマナチェク 第3号 P. 83

『私の母の物語』はタイトル通り、作者が母から聞かされた、母の半生が漫画で描かれた作品。1927年生まれの母の半生とは、南北に分断される前の朝鮮半島の話でもあり、現在の北朝鮮に位置する土地から来た韓国人の故郷に関する記憶でもあります。

『青の涯てに立つ』コ・ヨンイル*5
セマナチェク 第5号 P. 199

『青の涯てに立つ』は、作者コ・ヨンイルが軍隊生活中に拘束、収監された実体験を漫画で克明に描き起こした作品。ある日主人公は学生時代の言動を理由に軍隊内の機務司令部(軍部の機密を保安監視を名目とする組織)に呼び出され、取り調べを受けるのですが、これが長期にわたる理不尽な営倉(懲罰房)生活の始まりとなります。
作者は本作に関するインタビュー*6 で、「自らの辛い記憶と向き合う機会になってくれた」、「自分が漫画を描くのではなく、漫画が自分を整理してくれる気分だった」と語っています。

この二作は読切の多い『セマナチェク』の中では数少ない連載作品だったのですが、どちらも身近な実話を元にしている点で共通していると言えるでしょう。

そしてこれは、『セマナチェク』に掲載された韓国漫画全般に共通する傾向でもありました。一見して、身近な誰かの話、あるいは、作者自身の話と感じられる漫画たち。文学にも私小説というジャンルがありますが、私漫画的と言えるような、ある傾向。

※筆者の論旨にあてはまらない例外もありますが…。

『猿たちの八公山』ペク・ジョンミン*7|セマナチェク 第5号 P. 91

もちろん、どんな漫画も「作者自身」の「ある事実」から出発するものでしょう。例えば私が少年時代に出会い、今もおそらくは私の血肉の一部となっている『週刊少年ジャンプ』。その内のどれを取ったって(孫悟空も桜木花道も前田太尊も)そのように生まれたのだと思います。
しかし『セマナチェク』を読んだ人がいれば、十人中十人が『ジャンプ』とは違う、と言うでしょう。明らかに『セマナチェク』には『ジャンプ』のような「面白さ」がないのです。出発は身近な誰かの話でも、それを多くの人に届くような大きなエンタメに、可能な限りの娯楽に持っていこうとする、そういう努力に『セマナチェク』は最初から背を向けているように見えます。

『ウラ漫』というYoutubeチャンネルをご存知でしょうか。小学館の漫画編集部の裏側が撮影された、一度見てしまうと魅力的な編集部の面々が気になって立て続けに見てしまう困ったチャンネルなのですが、そこでとりわけ個性的な編集者、千代田さんが彼らしい表現で、漫画編集者の仕事を次のように表現している回があります。

大きく分けると2つしかないと思っています。
それは、面白い漫画を作ること、もう1個はそれを売ることです。

東大卒・漫画編集者の仕事術【軽井沢合宿】
ウラ漫 ー漫画の裏側密着ー【小学館マンガワン】|Youtube

『セマナチェク』には、このように考える編集者はいなかったのでしょうか?

実は、『セマナチェク』を「私漫画的」と感じ、日本で紹介した方が2006年の時点でいらっしゃいました。当時のセマナチェクを日本の漫画雑誌『アックス』が特集した号があるのですが、そこには代表者キム・デジュン(前回の記事にも書いたセマナチェク設立者)へのインタビューが掲載されています。
アックス編集部からの、「多くの作家に私マンガ的なアプローチがあるようですが」という質問に対するキム・デジュンの回答を一部引用させていただきましょう(ちなみに、セマナチェクは創刊当初からグローバルを意識し、海外向けには「SAI COMICS(サイコミックス)」と表記していたことを予めお伝えしておきます)。

キム・デジュン インタビュー|アックス 第53号 P. 1
青林工藝舎(2006年10月)

マンガは言語だと思います。(中略)
意味のあるコミュニケーションは言葉が上手いことにあるのではなく、話し手の誠実さの中にあると思います。そしてその誠実であることの根源は自分自身から出てきます。(中略)
すべてのマンガがそのようになる必要はないですし、作家たちが一生自分のことを描いたマンガだけを発表する必要もないでしょう。(中略)
しかし真摯に自分自身と対峙するということは、以後マンガに関わる態度を決めると思いますし、また言語としてのマンガが持つ根源的な価値を確認することができるように思います。

前掲、アックス 第53号 P. 4

メールインタビューという特性や翻訳の文体のせいもあるとは思いますが、文面から伝わるこの生真面目さに鼻白む方もいらっしゃるのではないでしょうか。
しかし日本では(恐らくは韓国でも)「面白ければ何でも良い」、「面白くなければマンガじゃない」と語られがちなマンガについて、ここで語られる言葉は「誠実さ」であり、「良いマンガ(前掲写真、中段)」であることは印象的です。面白主義とは違う、誠実主義とでも呼びたいような頑固さを感じます。

そしてこの頑固さ、生真面目さが良くも悪くも『セマナチェク』という漫画雑誌を貫く最大の特徴になっています。率直に書けば、まともに付き合うとこちらが疲れてしまうようなところがあるのです。
創刊号を読んだ私が序盤の内に「この雑誌すごい!」と興奮したことは先に書きました。しかし『セマナチェク』の号が進むほどに、その興奮は鎮まっていきます。いまだに何度読んでもピンとこない、そもそもこれは掲載して良いレベルに到達しているのか、そんな風に(恐れ多くも)思ってしまう作品が一つや二つではないことも白状しなければなりません。

結局、『セマナチェク』は2009年6月に刊行された第6号を最後に休刊状態に入り、今日を迎えます。月日の経過を考えれば、実質廃刊と言えるでしょう。三年半の刊行中、「隔月刊誌」を名乗りながら、一度もそのペースは守られず遅れがちだったことも、『セマナチェク』の掲げた理想が現実と噛み合わなかった姿を想像させます。
第6号だけをまだ見つけられずにいる私としては、その内どこかで読む日が訪れ、こちらの勝手な想像を裏切るような最終号になっていることを期待しているのですが…。

さて、話がここで終わらないので、本稿は長引きます。

『セマナチェク』の始まりから終わりまでを先に書いてしまいましたが、『セマナチェク』の火が点いているその間に、火はまた別のもう一箇所にも運ばれ、点火されていたのです。つまり、それが『SAL』でした。
『セマナチェク』に参加した韓国の漫画家たち、自分のしたい話を漫画で描いた若者たちが、『セマナチェク』ではまだ語りきれなかったからと、もう少し話したい者同士で勝手に二次会に向かったような格好で、2007年に『SAL』という雑誌が始められます。

『SAL』に参加した漫画家たち
「肌寒いけど、肌(=살=SAL)を擦り合うような漫画を」記事内
|ハンギョレ21 691号(2007年12月28日)

この流れについて、思えば『セマナチェク』は最初から示唆的でした。冒頭でご紹介した『セマナチェク』創刊号の表紙はキム・デジュンが描いたものですが、これはただの表紙デザインではなく、本の折り返し、裏表紙へと続く、コマ漫画になっています。
表紙では男性が山を目指し、苦難があり、たどり着いた頂上で漫画(らしき本)を取り出し、何かを撒くところで終わっていました。その続きをあらためてご覧ください。

②表紙折り返し▶③裏表紙折り返し
④裏表紙

撒かれた種はやがて育ち、育った果実はつまり丸ごと世界であり、その世界が漫画を通じてまた誰かの元に…。いや、私の野暮な解説はここまでにして、『SAL』の話に移りましょう。

『SAL』(2007年4月~2014年5月)

『SAL』が『セマナチェク』の延長で始まったことはすでに書いた通りです。しかし、『SAL』については私が1号、2号をまだ入手できずにおり、その始まりについて書けることは多くありません。
それでも前掲写真の記事を読むと、第1号は200部だけ、2号も400部だけしか制作されなかったこと、それらが各漫画家のHPやブログを通じてのみ直接販売された(書店には流通させなかった)こと、商品の発送まで直接漫画家が行うので、購入者はどの漫画家から買おうか、漫画家側は発送の際にどんなオマケを付けて(描いて)あげようかといった感情が介在したことなどが書いてあり、小規模ながら作者と読者の間でやり取りされる新鮮な感動は、現在の私にも伝わってくるものがあります。同人誌経験のある方であれば、わがことのように想像していただけるかもしれません。

中身の漫画については、私が入手できた第3号から第7号まででしかお話できませんが、『セマナチェク』におけるキム・デジュンのような存在もいなかった『SAL』で、漫画家達は一段と自由奔放になったような印象を受けました。毎号の編集長は参加者同士の投票で決められたそうで、参加メンバー各自の「話したいこと」が、それぞれの無軌道な表現によって漫画にされています。
『セマナチェク』と『SAL』は参加メンバーが重複するので、ここまでで触れた漫画家については省略し、まだ触れることができなかった漫画家の作品をご紹介しましょう。

『1984年のギスン姉ちゃんの立場』キム・スバク*8
SAL 第7号 P. 54

作者のキム・スバクは『セマナチェク』からのメンバーで、比較的年上でした。他のメンバーより早く漫画活動を始めていたこともあり、両誌を通じて精神的支柱だった存在と思われます。
と、ここまでは私の想像を含んだ紹介ですが、彼の漫画が本作を含めその後の活動に至るまで、「自身の話を語る」ことに長けているのは疑いがありません。『SAL』に掲載された本作は後に『MADE IN 慶尚道』という、韓国の1980年代を濃厚に伝える、読み応え抜群の作品の中に収録されるのですが、ここではその一部だけ。
ある建物で体罰を食らった子供時代の作者。その復讐に父が殴り込み(!)をかけるシーンです。韓国映画やドラマで見る怖いおじさんとはまた違う、漫画ならではのリアリティがキム・スバクの漫画には感じられます。

『ボヨン's Best 第1集 』ソン・アラム*9
SAL 第3号 P. 42

日本でも広く知られる韓国の漫画家の一人、ソン・アラムが漫画家としてデビューしたのも、何とこの『SAL』でした。
彼女について私のnoteで言及するのは今回が初めてですが、日本で今もロングセラーを続ける『大邱の夜、ソウルの夜』 (ころから、2022年)は、私にとっても韓国漫画を強く意識するきっかけとなった重要な作品です。
前掲写真は2008年時点の作品ですが、ハードボイルドなシスターフッド、会話のリアリティはこの時から健在。本作は海外に留学した主人公が一時帰国して旧友に会う話なのですが、その旧友がかつて自分のために好きな曲を集めて作ってくれたカセットテープが、そのまま作品タイトルになっています。
『大邱の夜、ソウルの夜』とは登場人物の年齢も違いますし、淡い印象を残す作品ですが、ここでもやはり「自分の身近な誰かの話」に感じられるのは彼女の作家性であり、『セマナチェク』、『SAL』のメンバーに共通する作家性であるように思えて仕方ありません。

※論旨にあてはまらない例外作品があるのは『SAL』も同じです…。

『崩壊 』マ・ヨンシン*10
SAL 第7号 P. 9

しかし『セマナチェク』の傾向がより前景化したとも言える『SAL』では、読者と乖離したようにしか見えない作品がより目立ったということも正直に書いておきたいと思います。もちろん『セマナチェク』に対する記述と同様、これも私の主観的な意見にすぎません。ただ結果だけを言えば、『SAL』は2014年5月の第7号を最後に休刊となり、現在に至ります。
事実上の廃刊という終わり方も、この雑誌は『セマナチェク』の延長のようです。

そう言えば、2023年に完結した松本大洋の『東京ヒゴロ』で、主人公の編集者がついに完成させた漫画雑誌『dawn』はその後どうなったのでしょうか。理想の漫画を追求し、あちらこちらを歩き回り、悩める漫画家たちに「あなたの漫画が読みたい」と伝えに行く主人公の塩澤の姿は、日本の漫画ファンだけでなく、韓国の漫画ファンの間でも共感を呼びました*11。
しかし当然と言えば当然ですが、その塩澤が作った漫画雑誌がどんなものかは漫画の中で描かれません。読者にできることと言えば、塩澤が漫画とどう向き合ったかを見届け、その結果できた彼の雑誌がどんなものなのかを、その売れ行きとともに想像することくらいでしょう。

『東京ヒゴロ』第3巻 P. 26
松本大洋|小学館(2023年11月)

独立漫画、オルタナ、カウンター、非主流、実験アート、作家主義等々、『セマナチェク』と『SAL』は、刊行当時から現在まで、色々な呼ばれ方をしてきました。

しかし、日本でより広く韓国漫画を知ってもらいたい筆者としては、漫画を自身の言語として捉え、「自分がしたい話」を漫画で描き続けるこれらの漫画家たちを、このnoteで「セマナ派」と呼んで行きたいと思っています。そのように呼ぶに値するだけの魅力がセマナ派には存在し、日本に紹介したいセマナ派の作品が多数存在するからです。それらはひとまず、自身の話、あるいは身近な誰かの話、つまり誰か個人の話と感じさせる漫画と紹介できると思います。
もちろん、この勝手な呼称、括り方に深刻なクレームが入れば私も再考しなくてはならないでしょう。しかし、そんなクレームすら現状はありがたい反響と考えたい。

もう一度脱線して

ところでセマナ派について思う時、私が一緒に思い出すのは、かつて私が通っていた映画美学校の講義の中で、詩人の稲川方人さんが話されていた次の言葉です(また映画の話に脱線…)。

「インディーズ(Indies)とは、インディペンデント(Independent)であり、インディヴィジュアル(Individual)である」

インディーズ映画のことを大手資本から独立したインディペンデント映画とばかり思っていた私は、当時この言葉を聞いて驚いた記憶があるのですが(そして今検索してみても、いわゆるインディーズをインディヴィジュアルの意味で捉えたサイトは見つけられず、自分の記憶を不安に思わなくもないのですが)、しかし原義はどうであれ、一個人の話に企業が乗ることは実際に少ないわけで、結果として個人的な何かは、往々にしてインディペンデントの小さな資本にのみ支えられている気がします。

つまりセマナ派の話なのですが…。多数のための娯楽よりも、身近で個人的なものを目指そうとする彼らの漫画たちは、やはり小資本が宿命なのでしょうか。
2020年2月のアカデミー賞授賞式で、ポン・ジュノが受賞スピーチの中で引用したマーティン・スコセッシの次のような言葉は、セマナ派のような漫画を支持する言葉として考えてはいけないでしょうか。

「個人的なことこそが、最もクリエイティブなのだ*12」

ポン・ジュノとの名コンビで知られる通訳のシャロン・チェがすかさず英語で「The most personal is the most creative」と訳し、会場は拍手喝采に包まれましたが、実はこの言葉が原典からの正確な引用でない以上*13、この「個人的なこと」にはスコセッシの映画作品的な「individual」、「indies」が込められていると私は解釈したいと思っています。

最後に、Kについて

前回の記事から、欲張っていっぺんに色々なことを書きすぎてしまいました。それでもまだあと一つだけ、本稿で書くべきことが残っています。
前回の記事<韓国マンガ、応答せよ2002で登場してもらった人物、Kについてです。

ここまであえて伏せてきましたが、Kは『セマナチェク』に参加していました。『SAL』にも参加していました。『SAL』の始まりについて先ほど「二次会」の喩えを用いましたが、本当に『SAL』は酒席の盛り上がりの中で生まれた企画で、それは酔って交わされた仲間たちの言葉を記録したKのメモが何よりの発端だったことが、『SAL』第1号の冒頭に書いてあるそうです。

私にはセマナ派の核心に見えたKについて、noteでは少し特別な形で紹介したいとここまで引っ張ってしまいました。今も漫画家として活躍されている御本人にも無断で、勝手にKなどとイニシャルで表記し、大学時代の姿を想像で書くという、私にしては大それた試みを行って来ましたが、それももうここで終わりにしましょう。

Kの名前はクォン・ヨンドゥク。
この名前をもしかすると、カン・プルの漫画(あるいはドラマ版)『ムービング』で見たという方もいるかもしれません。

カン・プル『ムービング 』
第34話より|ピッコマ

漫画家カン・プルが自作のキャラクターに友人、知人の名前を使用するのは有名な話*14 なので、恐らくは『ムービング』に登場するこの人物の名前は、セマナ派のクォン・ヨンドゥクから取ったものでしょう(クォン・ヨンドゥクの著書にカン・プルが推薦コメントを書いていることも、この推測根拠として挙げておきます*15)。
作中のキャラクターは北朝鮮から来た特殊能力の持ち主なので、本当に名前だけを貸し借りしたというだけのことだとは思うのですが、それでも私は少し嬉しかった。

というのも、前回書いた<韓国マンガ、応答せよ2002>は、韓国漫画の分裂に関する記事でした。当時は一つの支流、亜流だったwebtoonにカン・プルが飛び込み、そのwebtoonが現在は完全な主流となり、そのwebtoonの中で今度は各プラットフォームが熾烈な人気競争を続け…、こういった流れについてもまた書く機会があるとは思いますが、カン・プルとクォン・ヨンドゥク、知名度や作品規模では全く別のところにいる二人の漫画家が、個人同士では(親しさの程度は分からないにしても)連帯しているということが、何となく韓国漫画ファンとして心強く思うのです。

クォン・ヨンドゥクは『セマナチェク』でも『SAL』においても、まず雑誌のページをざっと手繰って彼の作品を探したくなるような、読みやすさとユーモアがありました。
決して数多くはない彼のインタビュー*16*17 では、繰り返し「したい話をする」という彼の漫画観が語られており、その姿勢は『セマナチェク』でキム・デジュンが語った誠実さと相通ずるもののような気もします。彼の漫画に親密な感じがあるのは、彼が「誠実に」、「したい話」をしているからかもしれません。
『セマナチェク』、『SAL』のどちらにも参加した彼は、2012年にはついに一人で漫画雑誌を作り始めます。これも私は入手できていないのですが、『自由創作』という、雑誌よりは小冊子に近いシリーズだったようです。この『自由創作』で、ソン・アラムの『大邱の夜、ソウルの夜』の前半部である『ソウルの夜』が発表されたことも私が得た情報として共有しておきます。

クォン・ヨンドゥクの漫画については他にもご紹介したいので、またnoteに書く機会もあると思います。本稿は彼の漫画がどんなものか、その一部だけを紹介して終えることにします。

『終バス 』クォン・ヨンドゥク*18
SAL 第3号 P. 219


<以下、文中脚注まとめ>
*1. セマナチェクのハングル表記は「새만화책」。「만화」は漢字で書けば漫画、韓国語発音ではマナ(厳密に書けばマヌァに近い)
*2. 原題『Poor SailorSammy Harkham
*3. 原題『열아홉』앙꼬
*4. 原題『내 어머니 이야기』김은성
*5. 原題『푸른 끝에 서다』고영
*6. 参照元:「自分が漫画に整理されるような気分」時事IN 2009.8.12
*7. 原題『원숭이들의 팔공산』백종민
*8. 原題『84' 기순이 누나의 입장』김수박
*9. 原題『보영's Best 1집』송아람
*10. 原題『붕괴』마영신
*11.『東京ヒゴロ』は韓国でも文学トンネから刊行されている
*12. ポン・ジュノの韓国語では「가장 개인적인 것이 가장 창의적인 것이다.」
*13. 参照元:【ファクトチェック】ポン・ジュノが引用したスコセッシの名言の出典は?|聯合ニュース 2020.2.11
*14. 参照元:カン・プル「韓国型ヒーロー、なぜ誰も描かなかった?」|brunch story 2016.5.13
*15. クォン・ヨンドゥク著書『하나같이 다 제멋대로』のこと
*16. 参照元:クォン・ヨンドゥクインタビュー|만화규장각 2004.8.1
*17. 参照元:「やりたいようにやった結果は?」|時事IN 2016.9.12
*18. 原題『막차』권용득

<最上段、ヘッダーに使った画像について>
画像は『セマナチェク』第1~5号と、『セマナチェク』第3~7号に掲載された作品中、12作品の1コマずつを筆者が編集し、1枚にしたもの。
文中で触れることができなかった作品もあるため、画像に使用したコマの作品名と作者名を下記にまとめておきます。

1.『84' 기순이 누나의 입장』김수박
2.『王国の番兵』Tom Gauld
3.『不幸な船乗り』Sammy Harkham
4.『보영's Best 1집』송아람
5.『내 어머니 이야기』김은성
6.『대화』마영신
7.『빨치산 칠복이2(대포동 대남 공작대편)』이경석
8.『열아홉』앙꼬
9.『방관자』김한민
10.『赤い雪』勝又進
11.『막차』권용득
12.『이대로 팔려갈 수 없다』김성희


ソン・アラムさん来日(!)イベント情報

ちょうどまもなくですが、3月2日から3月9日まで、
『大邱の夜、ソウルの夜』の著者ソン・アラムさんが来日し、東京、大阪、高松、福岡でトークイベントが予定されているそうです。
今見ると3/2のイベントは満席の表示が…(2/20時点)。
貴重な機会、皆様お見逃しのないよう!
詳しくは、ころからさんのHP、SNSをご確認ください。http://korocolor.com/news/202501-post-766.html

3/5の梅田ラテラルのイベントでは、書肆喫茶moriの森崎さんと一緒に私も参加させていただきます!(配信チケットも有り)

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