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風の神話と星野道夫が綴るアンカレッジ時代のボブ・サム

『風はこうして家を見つけた - How wind found a home』

2019年夏、ボブ・サムさんが来日した際に語った物語のひとつです。

貝がらを耳にあてると、風の音が聴こえるのはなぜだろう・・・

子どもの頃、誰もが抱くこんな疑問や、自然への好奇心を思い出させてくれるこのお話は、先祖代々受け継がれる神話を語り続けてきたボブ・サムさんが、はじめて自分で創作した物語だそうです。

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(※この物語は、詩人・谷川俊太郎氏の訳で『かぜがおうちをみつけるまで』(スイッチ・パブリッシング刊)として日本国内で出版されています。映画『天鹿・渡鴉巡礼 - 森に還ったワタリガラス』の中では『風はこうして家を見つけた - How wind found a home』として紹介しています)

すべてのものには魂が宿る、風にも心があるという考え方や、語られる言葉の独特のリズムや抑揚など、ボブ・サムさんの中に脈打つクリンギット神話の世界観がそのまま息づいている作品です。

■『風はこうして家を見つけた - How wind found a home』

生まれたばかりの風は、まだ小さすぎて、誰も気が付かないささやきでした。やがてささやきは風となり、西へ東へ北へ南へ移動しました。北極の凍てつく寒さ投げ飛ばされた風は、どんどん勢いがつき、冷たい風になりました。

すると、氷河期が訪れました。動物や人間はみんな家の中に逃げ込み、風の目の前でぴしゃりと扉を閉めてしまいました。

「お願いだ 入れておくれ。とても寒いんだ」

風がいくら頼んでも 扉を開けてくれる人はいませんでした。

それどころか、「だめだ あっちへ行け」「どこかに行ってしまえ」「おまえなんかきらいだ」と、冷たい言葉を浴びせられます。

「お願いだ 入れておくれ もう死んでしまう…」

僕はこの物語を聞くたびに、『森と氷河と鯨―ワタリガラスの伝説を求めて』の中で星野道夫さんが触れた、ボブ・サムさんのアンカレッジ時代のエピソードを思い出します。

■『森と氷河と鯨―ワタリガラスの伝説を求めて』で星野道夫さんが綴ったアンカレッジ時代のボブ・サム

 「翌日、私たちはアンカレッジへ向かった。リペイトリエイションの話し合いに参加するためである。その夜、観光シーズンも終わったアンカレッジの人気のない通りを歩きながら、ボブがこの町で浮浪者だった時代の話に耳を傾けていた。何人もの人間が彼の腕の中に死んでいったと言った。無口な彼が時おりポツリ、ポツリと語る昔話に、ぼくはボブが過ごした闇の時代の深さを思い知った」星野道夫著『森と氷河と鯨―ワタリガラスの伝説を求めて』より

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 人々から冷たい言葉を浴びせられ、戸外で凍え死にそうになっていた風とは、もしかしたらボブ・サムさん自身のことではないだろうか。

 2019年来日の際に、ボブ・サムさんが風の神話を魂込めて語る姿を撮影をしながら、僕はあらためてそんな思いを巡らせていました。

 また、僕自身がかつて冷たい言葉を浴びせた人間だったかもしれない、いつかは僕が行き場のない風になるかもしれない。そんな思いにも襲われました。

■「だから私たちは皆同じ」

 風はやがて海岸の貝がらに優しく迎えられます。

「もちろんだとも。おはいり!貝殻で包んで、暖めてあげよう」
 貝がらを耳にあてると風の音が聴こえるのは、そこで風がくつろいでいるからだだそうです。僕はこんな貝がらなれるだろうか。

 そしてボブさんの神話はこう結びます。

 「私たちは皆 一人の例外なく
  あの大氷河時代を生き延びた
  僅かな人間たちの子孫
  だから私たちは皆同じ」

そう、私たちは皆同じ。人間であり風であり貝がらでもあるのです。

ボブ・サムさんの優しい声が心に響きます。

※下記の動画はDVD『ともしびの巡礼』(2012年)で語られた『風はこうして家を見つけた - How wind found a home』です。


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