ケニア滞在記
はじめに
私は高校三年生のときにケニアで井戸掘りをする日本人の井戸職人のテレビ番組を見て以来、アフリカの貧困削減に貢献したいと思っていました。のためには、教育の普及が重要だと思い、実際にアフリカに行った方やAPU、大分大学の先生に相談するとともに、情報を集めて、どのようにしたら教育を普及させることができるのかを模索していました。アフリカについて調べる中で、アフリカの多くの貧困層は農家であり、進学資金不足や農業を手伝うために、学校に通えない子供たちがいるということを知りました。農家が安定した収入を得ることができるならば、多くの子供たちが学校に行くことができるのではないかと考えました。あるCEOが「すべての人が公平にチャンスをつかめる社会づくりに貢献したい」という思いから、ケニアにある貧困問題解決に取り組む会社を立ち上げ、私もその考えに共感し、コンタクトを取りました。CFOとSkypeで話して、私も農家が安定的・継続的に収入を得られて、文化的な生活ができるための根本的な解決をするという事業に携わり、ケニアの貧困解決に微力ながら貢献したいと思い、無給インターンシップを志願しました。
インターンシップについて
私のインターンシップ先は、貧困農家が農業で儲かるような販路の提供を目指しています。小規模農家がいつ、どのくらい、どんな作物を作っても、販売先が確保されることを目的として、青果物をレストラン、学校、病院、ホテル等に配送する事業が2019年8月に始まりました。以下は私の仕事内容になります。
1.受け渡し表、請求書、価格表等の書類の準備、買い付け等に係るお金の準備
深夜0時半に起床して、当日に青果物を配送するレストランへの受け渡し表や請求書、マーケットでの青果物の時に必要な価格表をまとめます。また、誰にいくらお金を渡すかの確認、受け渡し表のシェア等を行います。2:00前に同僚に車で迎えに来てもらうかUberを呼んで、配送準備のため倉庫へ向かいます。こういった事務作業は私が行うことになっており、先輩インターンシップ生がルワンダに行くためここを去ることになっていて、5日間の引き継ぎ期間で覚えなければならず、とても不安でした。その後、一人ですることになってもケニア人同僚が助けてくれ、日に日にこなせるようになりました。
2.出荷準備
2:00過ぎに倉庫に到着後、買い付け担当と配送担当に書類やお金を渡し、なにかあれば配送先からのクレーム等の注意事項や説明をします。品質と数量のチェックや前日に準備できていない配送先への配送の準備、在庫と注文から市場で買い付ける作物の決定、直接市場へ向かう同僚に買い付ける作物のシェア等をします。商品の質は取引先によって違うので、それぞれの要望に応じて、サイズや色、熟度に気をつけて準備します。特に要望がない配送先には、需要があまりないサイズや質の商品を準備して、在庫にあるものを腐らせないように配慮します。目標出発時間の4時半か出荷準備が終わり次第、倉庫を出発します。その日の配送先や買い付ける作物の数、人員配置等の状況から判断して、配送か市場での買い付けを手伝います。
3.市場への買い付け
私は不当に高い金額を支払わされるので、ケニア人同僚が買い付け表をもとに青果物を購入します。私は、一緒に品質のチェック、それぞれの作物の市場価格の記録、買い付けが順調に行われているかの確認、買掛金支払い、購入したものを車に運ぶ等のサポートをします。利用する市場は二つあり、メインの市場は広く、迷子になります。同僚と別行動している場合には、電話で運搬や支払い、お釣りの受け取りを指示されるので、どこに何が売ってあるかを覚えなければなりません。数十キロの農作物を車まで運ぶので、疲れます。本当に無理なときは荷物持ちの仕事をしている人と交渉して運んでもらいます。市場の活気はすごく、アジア人の私はよくからかわれるか仕事をくれと頼まれます。重い物を運んでいるときに邪魔をされるのは結構しんどいです。市場は昼過ぎに閉まるので、それまでに終わります。
4.レストランなどへの配送
それぞれに配送時間が決まっているので、間に合うようにルートを決めて、朝市場で買い付けた青果物を配送します。注文された商品が全て揃ったレストランなどへ配送して、請求書を料理人に渡します。重い商品を運ぶので、結構な肉体労働になります。配送先から商品の不足や品質へのクレームが出たら、チームにシェアして市場の買い付け担当に新しく購入してもらいます。その後、市場で買い付け班と合流し、注文の全商品を揃えたら再び配送を行います。市場に買い付けた作物を受け取りにいかないといけないので、市場と配送先を何回か往復します。基本的に昼から昼過ぎに、遅ければ夕方に終わります。
5.会計
交通費、経費、買い付けでのお釣り、売掛金等を計算します。基本的に昼から昼過ぎに、遅ければ夕方に終わります。一番集中する作業になります。
6.在庫管理
何がどのくらいの数量あるかの記録や品質チェック、湿気や泥で腐った作物の処分、どのくらい処分されたのかの記録、作物のサイズによる仕分け等の作業を行います。在庫の数量チェックのために、100種類近くの作物がどこにあるのかを把握しなければなりません。また、雨季はほぼ毎日雨が降るので、作物が濡れて腐りやすいため、品質管理が大変です。カビが見つかると、すぐ周りの作物に移るので、すべて仕分けしなければならないので、この作業に一番時間がかかります。基本的に18時に終わります。
7.翌日の配送準備
事前に注文がわかっている配送先への商品の準備や曜日や今までの傾向から注文予測を立て、翌日の配送準備を行います。基本的に22時、忙しいと徹夜しますが、仕事が終わり次第就寝。
8.掃除
トイレや床、配送で使うかごの掃除。モノを使った場所に戻さない、片づけない、ごちゃごちゃに保管するなどの理由で、ケニア人同僚がものをよく無くすので、5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)の徹底をみんなにします。
9.その他
取引先からのイレギュラーな注文や毎週日曜日に誰に休養日を与えるかの決定、葉物野菜のパック詰め、問題が起こった時の話し合い、おつかい、料理、在庫にある野菜を購入したい来訪者の対応、新しく来たインターンシップ生に業務の引継ぎ等。今後、ケニア人社員だけで機能するように、オペレーションの改善も行いました。8月から休日なしでみんな働いていたので、注文が少ない毎日曜日をだれか一人の休養日としました。休養日は8人のケニア人同僚がローテーションで休みます。どこにどの作物があるのかを把握するために冷蔵庫や保管している箱にシールを貼って、みんながどこにあるかわかるようにしました。私一人ですべての業務を行っていましたが、新しく日本人インターンシップ生が来た後、昼夜二交代制で勤務するようにしましたので、早番は深夜から昼過ぎまで働き、遅番は朝から夜まで働きます。
インターンシップを通して
働く現場ではイレギュラーなことが起こるので、その場面に応じて、臨機応変に対応しなければいけないことを学びました。天気で作物が腐れたり、交通事故や渋滞で配送が遅れたり、国民性や商習慣による認識の違い等、不確定要素が多く、現場で論理的に行動する力が試される場面が多くありました。前回と同じ行動をしても違う結果になることは多く、なぜそうなったのか、どうすれば改善されるのかを考え、行動することが一番大切だと感じました。また、みんなの性格や考え方、立場がそれぞれ違います。お金を大まかに管理したり、品質チェックをおろそかにしたりするということがあり、それぞれの基準が違うので、それを同一基準に徹底することを繰り返し行いました。英語のコミュニケーションだったので、理解できないときがたびたびありましたが、お互いが共通認識を持つ必要があるので、煙たがられても粘り強く話し合いました。単純に、英語力の向上に努める必要性もとても感じました。積極的に、ケニア人同僚とコミュニケーションを取ることを心掛けて協力することができたと感じます。
私が意識しなければならなかったことは、報連相と質問することです。勤務中はそれぞれの場所で仕事を行うので、基本的にオンラインでのコミュニケーションになります。報連相を怠ると、今の状況やどこまで完了したかをみんな確認できず、不安になるうえ、ミスが起きて、効率が悪くなります。顧客に時間通りに配送することと顧客が満足する質の商品を配送する等をバランスよく行うことが大切なので、配送係と買い付け係の連携を意識したコミュニケーションを習慣づける必要がありました。また、CFOからは、淡々と仕事をするのではなく、疑問を持ちながら仕事をしなさい、質問をしなさいと、かなり注意を受けました。工程の無駄や悪い点に気づくことができなかったので、改善するために仕事の可視化をする必要がありました。このように、インターンシップを通して、成長できたこともあれば、自分に不足していたことを知る機会になりました。今後より成長するために良い習慣を身につけて行動します。
孤児院
帰国一ヶ月前にお金がほぼなくなったので、孤児院の面接を受けて、宿泊施設、三食のご飯を無料で提供してもらいながら、働くことになりました。私がお世話になったNGOのImani Rehabilitation Agencyは1992年にナイロビのSoweto Kayoleに設立され、今では、ケニアに七つの施設があります。設立者のMommy(本名不明)は、子供が好きという理由で24歳のときにモデルとデザイナーを辞めて、生涯独身で施設の発展に尽力しています。施設には、捨て子や受刑者の息子、迷子、強制結婚した子供、性暴力の被害を受けた子供たちが数百人住んでいます。弱い立場の子供たちを守り、ケアして、社会復帰に導く努力をしており、すべての子供たちが公平な機会を得る社会づくりに貢献しています。私がお世話になった施設は、Imani A、Imani Babies Unit、Imani B、Imani Malindiの四つの施設でした。みんなと一緒に生活する中で驚いたことは、年上の子供が年下の子供の面倒を当たり前に見ており、年齢を重ねるにつれとてもしっかりしていました。孤児院の子供たちは、過去に悲しくて、つらい出来事を経験したようですが、みんな明るく元気で幸せに過ごしています。大変とは言いながらもみんな毎日真面目に働いており、私よりもはるかに自立していました。
Imani A
この施設は1992年に設立され、7つの施設の中で一番大きいです。6~15歳の子供たちがいます。仕事内容は、子供と遊ぶことでした。
Imani Babies Unit
この施設は捨てられた赤ちゃんを保護するために1999年にImani Aの敷地内に設立されました。生後1日から3歳の子供たちがおり、養子や里子として出所します。仕事内容は、子供と遊ぶことでした。
Imani B
ナイロビのKayole Matopeniに1996年に設立されました。この施設で3歳から12歳の子供たちが孤児院を出所する準備をします。仕事内容は、掃除、土運搬、勉強のお手伝い、子供との遊ぶことでした。
Imani Malindi
Malindiという地域に2003年に設立されました。売春や強制結婚させられた女の子、受刑者の子供が保護されており、リハビリ後、彼らは社会復帰を果たします。仕事内容は、子供と遊ぶこと、料理の手伝い、送迎、バス掃除、牛の乳しぼり、本棚修理、倒木作業の手伝い、地下タンクの水運搬、勉強の手伝い、ドアの塗装、ココナッツ割り、農場清掃、肥料巻き、木くず運搬、穴掘り、穴埋め、学校での給仕等でした。
ナイロビの生活
ある時期、ケニア人同僚の家にホームステイしていました。彼のアパートの間取りは、二部屋とキッチンとトイレ兼シャワールームで、一人暮らしには十分な広さでした。一ヶ月の家賃は、水道代と電気代込みで約10,000円です。交通費や屋台のご飯は安いですが、給料の15,000円から家賃を引いた5,000円で生活するのは大変です。一ヶ月一万円で生活できるかなと高を括っていましたが、物価はそこまで安くないので、すぐに金欠になりました。ケニアのインフラはあまり整っておらず、ケニアの首都ナイロビでさえ、ほぼ毎日停電、断水しています。生活水として、タンクの水(一つ約30円)を配達してもらう生活が続いていました。ケニア人はスマートフォンを持っていますが、通信料を払っていないので、Wi-Fi環境がないと、インターネットを利用することができないです。タンクの水を洗濯や風呂、トイレ、料理に使用するので、水を買ってもすぐなくなりました。大きな道はコンクリートで整備されていますが、脇道は舗装されていません。廃墟をよく見かけましたが、建設途中に予算が足りなくなって、作業が中断しています。建設作業は、ほぼ手作業で行われていました。
ナイロビは治安が悪い世界三大都市の一つと現地で聞きましたが、実際のところそこまで凶悪ではないと思います。孤児院の周りもスラムなので、危険だと言われていましたが、特別危険とは思いません。腕をつかまれる、薬物中毒者に物乞いされるなど、少し怖いなと思いましたが、バスの乗り継ぎを教えてもらう、道案内、Uber代をくれる、家に泊めてくれる、孤児院に助けてもらう等多くのケニア人によく助けられました。
マサイ族の村
ケニア滞在中にマサイ族の村を訪れました。マサイ族の仕事内容は、性別によって異なりますが、女性の仕事は、薪や水を集める、川での洗濯、家事、家の建設等になります。男性の仕事は、家畜のお世話、村の周りのフェンスを建てる、ライオンやチーターなどの外敵から家族や家畜を守るための見回り等です。村の見回りは、男性二人が交代しながら行います。村の仕事だけではなく、学校の先生やなにかしらの仕事をして生計を立てています。また、男性の成人儀礼としてライオン狩りがあります。ライオン狩り後に勝利の踊りを踊りますが、それを私が訪問したときに披露してくれました。その踊りに参加させられた後、ライオンの皮や鬣でつくった被り物をかぶせてくれました。その後、家の中に案内してくれました。三世帯が一緒に、木と牛糞で造られた天井の低い家に屈んで生活しています。一応、ゲストルームもありますが、かなり狭いです。電気がなく、室内で火を起こしますが、壁に小さな穴が一つあるだけなので、かなり煙で息苦しくて、目が痛かったです。トイレや風呂は外で行います。訪問者を歓迎するために、大人は伝統的な衣服を着ていましたが、子供たちは洋服を着て過ごしています。基本的に、原始的な生活を送っていますが、みんな携帯電話を所有しています。村の中に一応電波塔がありますが、携帯電話は、ほぼ機能していないようです。ケニアには40以上の部族があり、マサイ族はほかの部族よりも長生きするそうです。
キベラスラムの生活
ナイロビの道はゴミだらけですが、キベラスラムの衛生面は、ナイロビ中心街と比べてかなり悪い状況で、沢山のゴミ山を見ました。ボランティアでつくられた溝があり、少しずつ衛生面は改善しています。キベラスラム内に線路があり、朝、昼、夕方と一日三回電車が通ります。キベラスラム内の住民は、トタン板や木と牛糞の家を借りて、生活しています。家賃は家のクオリティによりますが、あるエリアは一ヶ月約4,500円なので、安くはないです。キベラスラム内に病院や学校、職業訓練所など、様々な施設や店があります。キベラスラム在住の若者に現地ガイドをしてもらったのですが、彼らはキベラスラムよりナイロビ中心街の方が危ないと言っていました。以前のキベラスラムの治安は最悪だったようですが、今はかなり改善されているそうです。個人的にも、ナイロビ中心街には危険な雰囲気を持っている人が多い印象がありました。短期間の滞在なので、詳しいことはよくわかりませんが、お金持ちエリア以外のナイロビ内の治安はどこもそんなに変わらないのではないかと思います。
私が見聞きしたケニアについて
アフリカでは、人口の八割近くが農業従事者と言われ、農業が国の基幹産業として成り立っていますが、多くの人々がわずかな現金収入と自給自足で暮らす小規模農家で、子供たちの学費捻出にも苦しむほど困窮した生活を送っています。現金収入を安定的に手に入れることができていない理由は、換金作物を作っても売り先がわからない、買い取ってもらっても数か月後にやっと現金がもらえる、気まぐれな商売を行うブローカーたちに不当に買い叩かれるなどということが頻繁に起こるからです。また、労働力や資金の制限から圃場管理ができていない、種を買うお金が買えない、輸送手段に困り、上手く集荷・出荷をできず、農家だけでは生産から販売までを行うことができない状況です。
ケニアの首都ナイロビでは、農村部からの移住者が増加していますが、仕事に就くことができずに多くの人々がスラムで暮らしています。大学卒業者の就職難も毎年増加傾向で、コネがないと希望の仕事に就くことが難しく、高い失業率がいまだに解決されていません。街や市場では、荷物を運ぶ、靴を洗うなどといったインフォーマルセクターとされるような仕事をよく見かけます。砂ぼこりや降雨後のぬかるみなどで靴がよく汚れるのに加えて、ケニア人は見た目に気を使う国民性なので、靴を洗う仕事の需要はまあまああり、荷物を運ぶ仕事は市場では欠かせないものとなっていますが、インフォーマルセクターでは日銭で生活をやりくりする苦しい日々を送るのが現状です。また、ホームレスや物乞いもよく見かけます。
失業率が高いと犯罪の発生率も高くなり、ナイロビの治安はよくありません。2020年現在の外務省のホームページにケニアの危険情報データはありませんが、強盗やすり、ひったくりなどといった犯罪が頻発しています。特に、夜のナイロビは危険という認識があるので、ケニア人でさえも夜間外出は控えます。私の同僚が勤務中に刃物で刺される、強盗などの被害に遭いました。また、警察はあまり機能しておらず、緊急時に連絡をしようが、近くで事件が起きていようが現場に来るまでにかなり時間がかかります。同僚いわく、連絡してから警察が来るまでに平均二時間かかるそうです。警察は外国人をターゲットに言いがかりをつけて、不当にお金を取るということもあり、ケニアで知り合った日本人が被害に遭いました。
帰国後
新型コロナウイルス感染症が流行する前の2月に帰国しました。ケニアへ行く当初は、ケニア人と現場での就業体験を通じて、ソーシャルビジネスの理解を深め、途上国で働く人材になろうという思いでしたが、私のイメージと現実のギャップを感じ、進路選択で迷走しました。将来何をしたいかがわからなくなりましたが、周りの助言もあり、5月から8月は6次産業の会社の就業体験、9月は企業課題解決型リモートインターンシッププログラムに参加しました。
6次産業の会社では、主に加工から出荷の業務について学びました。売れていない商品を分析し、コストパフォーマンスの高い商品を集中して販売するようにしました。レシピから、容器、賞味期限、ラベル、値段、栄養分調整表示を決める作業をすべて行います。また、販路拡大ができるネット販売を優先的に行っています。スタッフの方々が初めてのことに対しても、チャレンジ精神を持って仕事をする姿が一番の学びでした。リモートインターンシップでは、ある企業から出されたコロナ禍での課題に対して、分析/調査を行い、解決策をプレゼンするグループワークでした。このプログラムを通して、価値観や方向性をする合わせることや相手の立場に立ち、データで話す重要性を実感しました。
現在はキャンプ場に住み込み、キャンプ経営についての卒業論文を書いています。紆余曲折ありましたが、自然という軸を見つけたので、自然に触れる仕事に就く予定です。
終わりに
同僚は、みんな色々お世話をしてくれて、ミス連発の私をカバーしてくれて、とても感謝しています。同僚のために少しでも役に立ちたいという気持ちがモチベーションで彼らと過ごす時間が楽しかったです。また、Imani Rehabilitation Agency設立者のMommyが私を受け入れてくれたことにも感謝しています。施設にそれほど貢献したわけではありませんが、Mommyによく褒めてもらい、優しくしてもらったことはとても嬉しかったです。皆さんが素晴らしい模範を示したように、私もより清い人間になります。
家族、最初に相談して背中を押してくれた先生、ケニア行きを許可してくれた講師、polca(やりたい企画を立て、友達等から支援してもらうフレンドファンディング)を教えてくれた先輩、polcaで支援してくれた方々、JIA大分の方々、ケニア出発までの一か月間雇っていただいたバイト先、本を売ってまで支援してくれた夫婦、出国前成田で泊めてくれた一家、応援してくれた友達等に感謝しております。新型コロナウイルスのために、直接会って話すことはできませんので、文章として報告させていただきました。誠にありがとうございました。
ケニア入国までの経費
予防接種
狂犬病(2回) 11,880×2=23,760円
髄膜炎 10,800円
A型肝炎(2回) 6,480×2=12,960円
B型肝炎(2回) 3,780×2=7,560円
破傷風 1,620円
黄熱病 17,380円
出発1か月前に購入した航空券(成田→アブダビ→ナイロビ):127,970円
VISA:51US$(約5,540円)
マラリア予防の薬(ビブラマイシン110日分):21,060円
合計:228,650円
ケニアまでEtihad航空での空路
成田空港からアブダビ国際空港:12時間30分
乗換:8時間10分
アブダビ国際空港からジョモ・ケニヤッタ国際空港:5時間10分
合計:25時間50分
一ヶ月の支出
食費:約7,500円
SIMカード:30US$(約3,270円)
交通費(Uber):約1,620円
合計:12,390円
スーパーマーケットでの値段
チョコレート:約10~3695円
ヨーグルト:約50~185円
食パン:約35~175円
シリアル:約35~700円
アイス:約30~120円
卵:6個で約96円、20個で約290円、高いと15個で約400円
トイレットペーパー:1個約25~35円、高いと12個で約540円
茶:約25~900円
コーヒー:約5~1,000円
新聞:約60円