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空は紫色 第二章

 ー新しい悪夢の始まりー

ここからは、小学生時代の話を書いていきます

私は小学校に行くのが楽しみだった、一日の殆どを家で過ごさなくていいから…
家事も減るし、新しい友達ができるのも楽しみにしていたの
通っていた小学校は古い木造の校舎で翌年には取り壊しが決まっていた、なので2年生からは新校舎に通う事になっていたから、一年生の一年間だけを、歩くと床がギシギシ鳴る古い校舎で過ごした
私はこの古い校舎が好きだった、掃除の時間、床や廊下を雑巾がけすると飴色にピカピカ光るのが好きだったから
木の匂いも好きだったなあ
校庭は今考えると、それほど広くはなかったと思う、まだ一年生だった私にはとても広く感じたけど
トーテンポールに、二宮金次郎の銅像は昭和の学校には当たり前にあった
トーテンポールなんて、今の子達は知らないだろうなあ…
まぁ、それは良しとして…私には全てが新しくて新鮮に見えていた
新しい友達もできて学校にいる時間は楽しくて幸せだったの
家に帰れば現実が待っているからね、学校では楽しめるだけ楽しんだ
私にとっては学校が逃げ場所になっていたのだと思う
小学生になっても私は長男と一緒にお風呂に入っていたし
逃げられなかったから…
お父ちゃんは相変わらず朝から酔っ払っているし、夜になれば私は必ず誰かに殴られ怒鳴られた
いつからか、私は殴られても泣かなくなっていたの、痛みに慣れてしまったのかもしれない
でも、これは逆効果で泣くまで殴られるだけ…
そんな私を見て、涙を流すおばあちゃんを見るのは子供ながらに胸が締めつけられたな…
それからは、少し大袈裟に泣くようになった…自分を守るために少しずつズル賢くなっていった

学校に行くのは楽しかった、新しい友達とも仲良しだったし、いつも私の事を可愛がってくれた6年生の男の子もいた、何故だか分からないけど彼はいつも私と遊んでくれたの
嬉しかったなぁ~
彼の右手の甲に大きな火傷のアザがあったのを覚えている

私は、学校行事でも色々やらせてもらえた、音楽家会の指揮者に県の絵の展覧会にも出品させてもらえたり、学校での毎日は家での出来事を忘れさせてくれた
この一年間だけが、私の小学校生活の唯一の幸せな時間だった

2年生にあがると、あの男の子は卒業して居なくなってしまった
サヨナラも言えていないと思う
いつの間にか…って感じかな

新校舎は真っ白で真新しい匂いがして、机も椅子も全てが新しかった、校庭も旧校舎より何倍も広くて遊具も沢山あったの
しかも3階建てで階段の登り降りさえ楽しかった
Cちゃんとは相変わらす仲良しだったから登下校はもちろん、毎日一緒に過ごしていた
でも、ある出来事で全てが変わってしまう事になる
私の家の隣に住んでいたOちゃんから始まった
彼女の家は集落の中でも裕福な家で、大きな家と私の家 よりも広い敷地の畑を持っていた、私よりも一つ年上で時々一緒に遊んだような記憶もある、ハッキリと覚えてはいないけどね
そのOちゃんが長年に渡って私を苦しめるなんて、思ってもいなかった
きっかけは何だったんだろう…
いまだにわからない、覚えているのはOちゃんが私をすごく嫌っていたこと…
私の行動全てが気に入らなかったようで、集落対抗のイベントで運動会があったときにリレーの最終走に私が選ばれた、Oちゃんは自分が選ばれなかったことに怒っていたの
私は小さい頃から運動神経が良かった、男兄弟に囲まれて毎日のように逃げ回っていたのだから足も早くなるよね!
身体は小さかったけれど力も強かったの、毎日のように殴られ蹴られるんだから強くもなるでしょう?時には殴り返すこともあったから…結局は私が血だらけになるんだけど
だからスポーツは、ひと通り何でも出来たの、Oちゃんはそれも気に入らなかったみたいだった
小さな集落でも、取り合えずはお嬢様だったからなあ
自分が注目されないと嫌だったのかもしれない…
気も強かった、とにかく自分が一番じゃないと気が済まないタイプで、タチが悪いよね…ホントに

私はYちゃんと一緒にいるとき、よくYちゃんに冷たくあたっていた、先に書いたようにアニィをイジメるYちゃんが許せなかったから!
そんな場面をOちゃんは見ていたらしく、私の噂はあっ!という間にYちゃんの家族の耳に入ったの
ある日の学校からの帰り道、数人で歩いているとYちゃんの母親が軽トラで通りかかり「○○ちゃん!ウチの子を虐めないでね!」と言ってきた
私は驚いたのと同時に腹が立って「だったらアニィをイジメないでよ!」と言ってしまった……やってしまった
その日から私は集落の問題児になったの
家にかえったら、まぁ大変!地獄が待っていたわ
話が広まるのが早い!早い!
家の玄関に入る前に身体が宙を飛んだもん
まるで交通事故にあったみたいにスローモーションで「あぁぁぁ~ははは始まったぁ~」って感じでしたね…その後の記憶はありません、ただ次の日は身体中が痛くて、アゴから頬にかけて腫れてないて、さすがにやり過ぎたのかと思ったのか家からだいぶ離れた病院に連れていかれたの
今だったら、そんな怪我をした子供をお医者さんはほおってはおかないだろうけど、時代は昭和ですから…家族の問題には、病院も警察も介入しないのが普通
もっと驚くのは診察の結果!
「あぁ~これは、おたふく風邪ですねぇ」だって!
ヤブ医者もいいとこ!どこから、誰が見ても殴られた跡でしょう!?って子供ながらに考えていた…
そのおかげて一週間ほど学校を休む事になって…最悪
家事が待っているから家で休めるはずもないし…もう諦めて働いてた

一週間ぐらい経って、学校に戻ると空気が変わっていたの
教室に入ると、みんなの私を見る目が何だか冷たく感じた
「おはよう!」「…..」返事は返ってこなかった、みんな私から目をそらしたの…Cちゃんでさえ私を見なかった、何が起きているのか分からなくて混乱していたらCちゃんが寄ってきて「もう○○ちゃんとは話さないから…」と言われた「どうして?」もちろん誰も返事は返してくれない…
この日から私の孤独で苦しい9年間が始まる事になる…

小学2年生…普通なら友達と楽しく学校生活を送っている年齢だと思う、でも私にはそうではなかった…
Cちゃんに私とはもう話さない…といわれてからは、誰も私には話しかけてこなくなった…
私から話しかけても相手にしてくれない集団無視が始まった…
それからは、何をするのもひとりだった…休み時間も一緒に過ごす友達もいない、給食を食べても話してくれる友達もいない、体育の時間や何かの行事で二人一組になるときは、相手の子は露骨に嫌がった、はじめのうちは無視ですんだけど次は言葉の暴力、イジメはエスカレートするのが早く次から次へと酷くなっていく、いままで仲良しだった子達が「汚い!」「臭い!」「バイ菌が移るからくるな!」「それ、○○ちゃんが触ったから汚いよー!」「○○菌がうつるー!」一日中そんな言葉を浴びせられ続けられる、家に帰れば家族からも嫌がらせされて、気の休まる場所なんかなかった…
何よりも気になったのは、何故そんなことになったのか?何故友達も達は急に態度を変えたのか?私には理解できなかった…
担任の先生に話してみた、すると今度は「アイツは先生に告げ口した!」と言われて、物を投げつけられるようになった、それなのに担任の先生は何もしてくれない、してくれないどころか「○○ちやん何かしなかった?かんがえてみて!」などと言ってくる、担任の先生には原因は私にあると考えたようだった
「もっとみんなと仲良くしないとね!」って…おまえバカか!みんなが私から逃げるんだよ!声には出さずに叫んでみた…
ある日の休み時間、いつものようにひとりでボーッとしていたとき、クラスの目立ちたがり男子3人組がサッカーボールを蹴りながら私に「おまえ家でへんなことしてるんだってなー!」「気持ちワリー!」と言ってきた、もちろんサッカーボールを私に向けて蹴ってくる、サッカーボールってあたると以外に痛いのよね…
すると続けて「俺らにもやらせろよ!見せろよ!」と…何を言われているのか分からなかった「じゃあ明日みせろよ!」と言い残して離れていった、全く何を言われているのか分からないまま次の日学校に行くと3人組が「今日のお昼の休み時間な!」と、ニヤニヤしながら言ってきた
給食後の昼休みは時間が長かった、ほとんどの子達は校庭で遊んでいるなか私は3人組に校舎の裏に連れて行かれた、ちょうど校舎の影で日の当たらない死角になる場所があった「早くみせろよ!」「何を?」「おまえが家でしてることだよ!早くやれよ!」「???」私が分からないでいると、3人組の一番下になる(強さの順番)男の子が私のはいていたパンツと下着を下ろした!私はビックリして逃げようとしたけど2番目の男の子に殴られて押さえられた(2番目は暴力担当)、私は泣きながら立ち上がって薄暗い冷たい校舎の壁に背中をくっつけたまま動けずにいた…
3人組は下着が足首まで下ろされたままの私の足の間を、指 で広げてみたり、入れてみたり好き放題していた、声を出したり逃げようとすると2番目が殴ってくる、私は泣きながら恥ずかしさと痛さに泣いて我慢した…
どうして?早く終わってほしい!としか考えられなかった…
休み時間の終わりのチャイムが鳴ったと同時に、3人組は走って教室に入っていったけど私は入れなくて、泣きながら下着と服を整えてその場に立ったままでいた…
どれくらい時間がたったのかは覚えていないけど、先生たち数人で私を探しに来た「教室に戻ってこないで何をしてる!早く戻りなさい!」何があったのかは聞かれなかった、もし聞かれても私は言えなかったと思う
午後の授業中はバツとして廊下に立たされた、どうして?なんで私が怒られるの?そう思っても、先生に話すことはできなかった…
その日から毎日、私は学校日本行くのが怖くなってしまった…

皆さんは子供達の性についてどのようにお考えですか?
これを読んで下さっている方の中にもお子さんをお持ちの方もいらっしゃるかと思いますが、小学2年生にそんな事出来るわけがない!と、お考えでしょうか?
答えは…出来ます!出来るんです!
子供達の性への興味は幼いこらから持ち合わせています
よくよく考えてみれば、ご自分はどうでしたか?ある日突然大人になったわけではありませんよね…
自分達も振り返って考えてみれば簡単な事です
具体的な事は分からなくても、興味は幼くても持つことができますから、行動に移すかどうかは別の話しとしても、幼いからと行って「性教育なんてまだ早い!」は、大間違いだと私は思います
幼くて未熟だからこそ正しい情報を与えてあげることが親、そして大人の役目だと考えますが、いかがでしょうか?
私は女性なので男性側の性には詳しくはありませんが、女性側からの意見としては、小学低学年からでもオルガスムスを感じることができらと言うこと
それが性的な感覚なのかどうか、本人は具体的な事は理解できなくても、体は反応しますよ
実際に私がマスターベーションを始めたのは小学2年生のこの頃からですから
それが何なのかは分からなくても、何だか気持ちがいい…と言う感覚はありました
なので、もう少し子供達の性についても注意して見てあげて下さいね
だからと言って3人組からされているときに、気持ちがいいと感じたことはありません!誤解のないように!
屈辱と恥ずかしさと痛み…それだけでした

話しは戻りますね…
あの日から3人組は暇さえあれば私のところに来るようになりました
私が大人しく何をされても我慢していれば、教室で3人組からイジメられる事は少なくなりましたが、他の子達からの嫌がらせは続いていました
どうしても嫌で断ったときは、教室でのイジメもエスカレートしていき、教室の一番後ろに立たされ、クラスの子達全員がひとりずつ順番にならんで私の顔や体をぶっていきます
ぶたれている私を見て、並んで順番を待っている子達は笑いながら見ていて、私が泣くのを楽しんでいましたね
私の顔が赤く腫れ、泣いていても担任は理由を聞こうとはしませんでした…私がイジメを受けていたのは知っているはずなのに、助けてはくれなかった…
聞かれても具体的内容を言えるはずもなく、何をされているか知ってほしくもありませんでした
3人組からの行為は4年生になるまで続いていましたね…
では、なぜ3人組が「家でやってることをやってみせろよ!」と言ったのか…私は不思議でした
誰も知らないはずなのに、どうして3人組が私の家の事情を知っているのか…
理由はCちゃんがこっそり教えてくれました「Oちゃんがね…Oちゃんのお父さんとお母さんが話してるのを聞いたみたいだよ…」と、そこで私は全て理解出来ました、私が家で長男からされていたことは近所では有名な話だったようで、みんなが知っていたんですね
だからといって、他人の家の事情に介入するわけもなく、噂話で楽しんでいたようでした…
そしてOちゃんの家でも話をしていたのでしょう、でももうひとつ不思議なのは何故Oちゃんが3人組に話したのか…
3人組は学校でも有名な悪ガキで、特殊学級のクラスの子達をイジメの対象にしていたからです
特殊学級にはOちゃんの弟がいました、Oちゃんにしてみればイジメの対象が別に向けば、弟がイジメられる事はないと思っていたのかも知れませんね
Oちゃんにとって私の存在は都合が良かったのでしょう
見事に成功したんですからね
でも、Oちゃんでさえ私があのような事をされているとは知らなかったと思います
Cちゃんとは、Oちゃんにバレないようにコッソリ遊んでいました
「ごめんね…」いつの間にかCちゃんの口癖になっていましたね…

      ―事実は突然に―

家の中での生活は相変わらずで、私はクタクタに疲れていた、夜寝るときも自分の部屋などないので
リビング近くのスペースに布団を敷いておばあちゃんと一緒に寝ていた、みんながトイレに行く度に目が覚めてしまう
熟睡なんて出来たもんじゃない…
早起きして家事を済ませ登校する、集団登校だったからCちゃん、Yちゃん、Oちゃん他数名と一緒に集合場所で落ち合い登校した、登校時間も苦痛でしかない
みんな楽しそうに話しながら歩いていても、私だけ一番後ろで無言で歩く…
学校に着くと、今度は朝礼の前に朝のマラソンが始まる、今とは違い当時は真冬でも半袖にブルマ(ほとんど下着のようなパンツ)で、凍えながら校舎の回りを走らなければ行けない
子供は風の子だから…ね
このときも私はひとり、完全に仲間外れになっていたの
話す相手も遊ぶ相手もいなかった

唯一私に声をかけてきた人がいた、元体操選手だったと言うS先生だった、S先生は高学年の担任だったのに何故か私に「後で体育館においで!」と言ってきた
放課後、私は体育館を除いてみたの、するとS先生は私を見つけてすぐに「○○ちゃんは身体が柔らかいよね!器械体操をやってみない?」と…そんなのいつの間に見られていたんだろう?
まぁ、とにかく私にとっては家に帰る時間が遅くなる理由が欲しかったからちょうど良かったなあ
放課後に先生と器械体操の練習をするのは楽しかった、思っていた以上に私は運動神経が良かったらしい、走るのは早かったけど、ここまで色々出来るとは思わなかった、鉄棒に平均台、バック転まで簡単に出来るようになっていった
上手に出来れば先生は褒めてくれるし、楽しかったし嬉しかった!
そのうち、朝礼の時間に柔軟体操をすることになった、全生徒の前に立ちS先生の指示通りに私がお手本をしてみせる、嫌な気持ちはしなかった
私がイジメられていると知らない上級生達が私に話しかけてくれらようになってきた
ちょっとした優越感?を感じていたのかもしれないなあ
そんな中、ズーッと私を睨む視線には気づいていた…もちろん、Oちゃんだ
私が注目されるのを喜ぶハズがない
いつも通り、放課後に体育館で練習をしていると数名の上級生達が私のところに来て「今日から私達も一緒に器械体操やるの!」と、嬉しかった!新しい友達が上級生なんて2年生の私には夢のようだ
そして、みんな優しかった
でも、幸せは続かない…
次の日、体育館に行くとOちゃんがいた…
まるで寄生虫のように私にくっついて離れてくれない
あっというまに上級生達を取り込んでいく、あれは彼女の才能なんだろうなあ…
言葉巧みに、皆の注目を自分に集めようとする
体育会系のS先生には通用しなかったけどね「何しにきてる!話ばかりして!練習する気がないなら帰れ!」と、良く怒られていたっけ、仕方ないよね…Oちゃんは私の邪魔をしたいだけで器械体操なんて興味が無いのだから
さすがのOちゃんも思い通りにならない事にイライラしてきたのかもしれない、とんでもない事をブチ込んできた!
私と上級生が一緒に休憩していると、Oちゃんは突然「○○ちゃんには親がいないから、練習が終わっても迎えに来てくれる人は居ないんだよね!だから毎日先生に送ってもらってるんだよね!」と…
確かに先生は、練習後私を車で家へと送ってくれていた、でもそれは帰りが遅くなるからだと思っていた
私に親がいないって?どういう事?家にはお父ちゃんもお母ちゃん(記憶無し)もいるけど?
「違うよー!あの二人は○○ちゃんのおじいちゃんと、おばあちゃんだよ!知らないのー!かわいそー!笑」
何言ってんだコイツ?私には、おばあちゃんだっているし!
でも、この言葉がどんな意味を持つのか、すぐに分かるようになる
家に帰ってもOちゃんの言葉が気になった、だからと言って聞くのも怖かった…また殴られるかもしれないし、このまま聞かなかったことにしようかとも考えた
結局その日は、黙ったままでいた
モヤモヤしながら何日かが過ぎて、私はまた3人組に校舎裏に呼ばれた…まただ、すると暴力担当の二番目が「おまえ親いないんだってな!もらいっ子なんだろー!笑」そんなことより、早く終わらせて欲しかった
しかし早いわ…もうコイツらまで知っている、と言う事はクラスの全員が知っていると言うことで…
Oちゃんの対応の早さには本当に驚かされる
どうせまた両親の噂話を聞いたんだろう…と思っていた
気にはしないようにはしていたけど、親の事を言われれば、いくら子供でも不安になる
私は毎日不安だった、みんなからのイジメは酷くなる一方だし、さらに「親無し!」「もらいっ子!」が、イジメのレパートリーに入ったから
自分でも理解出来ないことで傷つけられるのは、殴られるよりも辛かったし苦しかった…

悪いタイミングって重なるのよね…
クラスの朝礼の時間に担当の先生が「今週末、予防接種があるから母子手帳を持ってくるように!お家の人に連絡して!」と言った、母子手帳の意味は分からなかったけど…

私の時代は予防接種は、集団接種が当たり前で、今のように個人で病院に行くことはなかった
学校に病院からお医者さんが派遣されて、保健室でみんな順番に注射を打たれていく、注射器も一人一人変えたりはしない、1本の注射器を使い回していた
とんでもない時代だわ…

とにかく私は、その母子手帳とやらをおばあちゃんに聞くことにした、だって持ってくるように言われているから…
「おばあちゃん!私の母子手帳?ってある?先生がもってきなさいって!」
???聞こえてないのかな?
もう一度言おうといたとき「ないよ!なくしたって先生に言いなさい!」
そうなんだ、なくしたんだ…
「わかった…」深くは考えなかったなぁ
次の日先生に伝えると「○○ちゃんは大丈夫だから」と…何が?大丈夫?無くしたのに?
それ以上聞くこともなかったし、言われることもなく無事に予防接種は終わった
が…この後、担任の先生は大失態をおかすことになる
数日後、みんなに母子手帳が返却された、ひとりひとり名前を呼ばれて取りに行く「○○さちゃん!」???
みんなが辺りを見回した、聞いたことのない名前が呼ばれたから
すると担任の目線が私を見た、クラスの全員が気づいていた
きっと慌てたんだと思う、そのまま間違えたと言って渡さなければいいものを「ごめんね!○○ちゃん!」と、私を呼んだ…
先生…やってくれたね
クラスがざわついていた、そして私も、おばあちゃんからは無くした…と聞いていたから、みんなの好奇の視線の中、私は母子手帳を受け取り、そして先生に言ったの
「先生?これ名前が違うよ!?あっ!でも…」と、母子手帳に書いてあった名字は私の名字ではなかった…が、下の名前は私の名前だった、私のだ…
でも良く見ると回りの子達と何かが違う、お分かりでしょうか?
表紙です…表紙が私の母子手帳だけみんなとは違っていたの、しかも「東京都」?と書いてある
でと、ここは東京じゃない
一通り私が混乱していると先生は、私から母子手帳を取り上げて「ごめんね!ちがうのよ!間違えたの!」子供の目から見てもウソをついているのはバレバレで、みんなが笑いだした
3人組のリーダーが言った「ほーら!やっぱり、もらわれっ子だろ!おまえだけちがうしなー!」
クラスのあちらこちらから、笑い声が聞こえた…

おばあちゃんは、私に内緒で母子手帳を学校に届けに来たらしい、そして私には渡さないように先生に伝えたらしいが、先生がミスってしまった
不思議とショックはなかったかと思う、それより家に帰ってどんな顔をしたらいいのか考えていた
先生はきっと私に見せてしまったことを伝えるだろうし、知らんぷりはでいないなあ…と、余計な仕事を増やしてくれたもんです

家に帰ると、おばあちゃんがすぐに聞いてきた「見たんだね…じゃあ、教えてあげないとね」
今でも、あの時のおばあちゃんの顔は覚えている、今にも泣きそうで悲しそうな目で私を見ていたっけ…

突然ですが第二章はここまでとさせて頂きます
近々、第三章を公開させて頂きますので引き続き、宜しくお願い致します!
ありがとうございました🙏
































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