人と獣の境界線 有翼人の服屋さん始めます 第一話
ここは蛍宮(けいきゅう)という国だ。人間と獣人、有翼人の三種族平等を掲げている珍しい国で、孤児難民の受け入れも積極的なので有翼人も多く集まっている。
しかし私にとっては生活しにくい土地でもある。蛍宮は年中温暖で、真冬になるまで長袖が必要になることはない。
今日は少し暑い。動けば汗をかき母に水浴びの手間をかけるだけだからじっとしているだけだ。
毎日天井を見つめるだけなんて何のために生きているのかを見失いそうになってくるけれど、ふいにばたばたと激しい足音がした。そして勢いよく扉が開き、駆け込んできたのは仕事に出ていたはずの母だった。
「朱莉(あかり)! 起きてるかい!」
「起きてるよ。どうしたの?」
「すごい話を聞いたよ! 羽は小さくできるんだって!」
「は?」
「立珂(りっか)様も歩けなかったらしい。でも羽を小さくして歩けるようになったって!」
「ちょっと落ち着いて。立珂様って誰?」
「殿下の御来賓よ! 治す方法があるのよ! 立珂様に聞いてくるわ。待ってなさい!」
母は泥に汚れた服を脱ぎ捨て綺麗なものに着替えると、私の回答など一つも聞かないうちにびゅんと家を飛び出て行ってしまった。
嵐のように帰宅し夢物語を語った母を見送ると、私はため息を吐いて寝台に転がった。
小さくなんて嘘よ。抜いたってすぐ生えてくるんだから。
有翼人は多くが引きこもっているが故にその生態は分からないことが多い――と言われている。
実際自分でも分からないことばかりで、その代表がこの羽だ。これは神経が通っていない。鳥のようななりをして飛ぶどころか動かすこともできない。一体何のために付いているかも分からないうえ、一枚抜いても数日すればすぐ元通りになってしまう。全部抜いていやろうと思ったこともあったが、抜きすぎると途端に具合が悪くなる。やりすぎて意識不明に陥った者もいるらしく、結局どうにもできないのだ。
仮にどうにかする方法があったとしても、それを教えてもらえるかは全くの別問題だろう。
殿下の来賓なんて高貴な方が、こんな汚い家に来るわけがないわ。
来賓といえば国の重要人物だ。それがこんな国の隅で埃まみれになってる家に来るわけがない。そんな眉唾に踊らされ、仕事を放り投げた母が雇い主に叱咤されるのは愚か――申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
私は大きなため息を吐いた。しかしそれは一転した。なんと母は二人の少年を連れて帰って来たのだ。
「朱莉(あかり)! 立珂様が来て下さったよ!」
全く信じていなかった。妙な宗教団体の罠にはまっていたらどうしようと思ったが、その少年を見て私は震えた。
そこにいたのは純白の羽根を持つ少年だった。ぷくぷくの頬に愛らしい笑顔、そして釘付けになってしまうお洒落な服。
「立珂様……!?」
それはかつて見た幻だった。幻想だと言い聞かせた、あの奇跡を体現している子だった。
この子が立珂様!?
どくんと心臓が跳ねた。私の本能が何かを察した。これで私の日常が変わると、そう確信できるほど立珂様の羽は美しかった。
私はあの時なんと声を掛けようとしたのだっただろうか。何を言いたかっただろうか。今なにを言えばいいだろうか。
どうしたら良いか分からずにいると、立珂様はくいくいっと一緒にやって来た黒髪の少年の袖を引いた。よく見ればあの時立珂様を抱いていた少年だった。
「薄珂(はっか)」
「うん。羽見せてもらってもいい?」
「は、はい……」
名前からして兄弟だろうか。薄珂と呼ばれた少年は私の背の後ろに座ると羽に手を突っ込んだようだった。髪の毛のようなものなので気持ちが悪いとは思わないが、無遠慮に掻き回されるのは良い気はしない。
母もそう思ったのか、いぶかしげな顔で薄珂様を覗き込んでいる。
「あの、何を」
「大丈夫だよ! 僕いつも薄珂にやってもらってるから!」
「そ、そうなんですか?」
立珂様はぴょんぴょんと飛び跳ねた。羽に呑み込まれる私にはできないことだ。
ふいに薄珂様の指先が私の背に触れた。さすがに驚いたが、薄珂様はばさりと私の羽を持ち上げ顔ごと入り、何かを確認しているようだった。
「ああ、立珂と同じだ」
「治りますか!?」
「うん。今やっていい?」
「ここでできるんですか!?」
「どこでもできるよ。でも何やるか見てもらった方がいいかな。立珂」
「はあい!」
何が判明したのか、何が起きているか分からなかった。
立珂様は薄珂様へくるりと背を向けた。すると薄珂様は私にしたのと同じように立珂様の羽に手を差し込み何かを探っている。
「あった。立珂、準備いいか?」
「どぞ!」
「二人とも見ててね」
立珂様はぎゅっと拳を握り、薄珂様は立珂様の羽の中で何かをぐっと掴んだようだった。
「せーの」
「んにゃー!」
薄珂様は声掛けと同時に、立珂様の羽の中から手を引き抜いた。その手には何かが握られていた。何か、ではない。羽だ。立珂様の羽を抜いたのだ。
しかし羽根というのは摘まめば抜ける。こんなに気合いを入れて抜くものではない。
それでも薄珂様は勢いよく引き抜き、同時に立珂様はぶるぶると身震いをしていた。そして私も身震いした。
何しろ立珂様の悲鳴と同時に、ばらばらと大量に羽根が抜け落ちたのだ。一斉に抜けたのか、立珂様の足元を羽根でいっぱいになった。
「こ、これ……」
「やはり立珂様もご病気で!?」
「ちがうよー。羽は間引くんだよ」
「ええと、病気ではなく?」
「違うよ。有翼人はみんな同じ。でも大元を引っ張ると一気に抜けるよ。触ってみて」
薄珂様は母の手を引っ張って私の羽の中を一緒に掻き回していた。するとつんっとまた薄珂様の指先が触れ、その指を追って母の指も辿り着いて来た。
「膨らんでますね」
「そう。ここの羽を一気に引っ張る」
「でも身体の中がにゅるーってするの。くすぐったいけど我慢ね」
「じゃあやってみて。二重になってるとこ抜けば見た目あんまり変わらないよ」
「分かりました。朱莉。抜きますよ」
「うん……」
母は少し怯えながらも、薄珂様が示してくれた場所の羽をぐっと握りしめた。
そしてすうっと息を吸い込むと、母はえいっと掛け声を上げて羽を引いた。
「ひゃあ!」
立珂様が言うようににゅるりとした気味の悪い感覚が体内に広がった。何かが勢いよく体内を通り抜けたような感覚だったが、足元を見てそんなことは吹き飛んだ。
羽根だ。薄汚れた私の羽根が足元に広がっている。大量に抜けたそれは間違いなく私の羽根だった。
「ぬ、抜けた!」
「軽くなった! もう、今、今もう軽いわ!」
「でしょー! 感動でしょー!」
「これはどれほど抜いて良いんですか!?」
「好きなだけ。とりあえず歩ける程度にして様子見るといいよ」
「分かりました! 朱莉!」
「うん!」
母はどんどん羽根を抜いてくれた。その度ににゅるりと気味の悪い感覚がしていたが、それすらも歓迎できた。
そのたびに背が軽くなっていく。羽根がばさばさと落ちどんどん積み重なっていく。
そしてこの数分で私の羽根の半分以上が床に落ち、私は壁に寄りかかりながらそっと足を起こした。そしてぐっと力を入れると、今までどれだけ頑張ってもできなかった直立があっさりと叶った。
「立てる! 歩けるわ!」
「朱莉!」
私は母に抱き着いた。自分から駆け寄ったなんていつ以来だろうか。
母は声を上げて泣いて喜び、つられて私もぼろぼろ涙がでてきた。何故か薄珂様も涙目になっていたけれど、立珂様だけはふんふんと鼻息を荒くしていた。
立珂様は一歩ずいっと前に出て来て、ぱっと両手を開いた。
「まだだよ! 次はお着替えの時間!」
「お着替え?」
立珂様は持って来ていた袋をごそごそと漁り、中から何かを取り出した。それを私の前にずらりと並べてくれる。
それは服だった。どれも色鮮やかで、初めて立珂様を見た時に目を奪われたお洒落な服とよく似ていた。
「何色が好き?」
「え? あ、えっと、朱色……」
「朱色ね! じゃあこれ着てみて!」
「は、はあ……」
立珂様はひと揃え私に与えて下さり、私はそれを持って隣の部屋へ着替えに向かった。
そしてそれを広げると、私は腰を抜かすほど驚いた。
「凄い! これ全部ばらばらになるんだわ!」
広げたのは確かに服だが、あちこちに釦が付いている。それを全て外すと数枚の生地に分割されていた。どこも縫い合わさっていないので被ったり羽織ったりする必要が無い。
「組み立てながら着るんだわ。羽を通すんじゃなくて服を置くんだ」
私は羽の下に後身頃を滑り込ませて飛び出ている両端を肩にかけた。それを前へ持ってくると鎖骨を隠した辺りに釦が付いている。そこの番である前身頃に釦を留めると、身体の前をすっかり隠してくれた。背中は首と羽付近の肌は露出している。
そこに登場したのが露出部分を隠すための付け布だ。布は露出部分を覆い隠せる形状になっていて、肩と身頃の釦に止めると全て肌が隠れるのだ。
これで着替えが完了したが、まだ何か部品が残っていた。それは中心が丸く繰り抜かれた布があり『羽の付け根を覆う布だよ! 自分に合った大きさに切ってつけてね! 立珂より』と書いていある。
布は服の生地よりもずっと柔らかくて、これなら個人差のある羽の付け根の凸凹にも対応できるだろう。ふにゃふにゃしているので傷みもなさそうだ。
「着る前に付けなきゃいけないんだ。じゃあとりあえずこれで完成……」
私は自分の身体をじっと見た。分割されていた布を組み立てただけなのにちゃんとした服になっている。着替えなどという大変な作業はしていない。釦を止めただけだ。汗などかく暇もなく着替えは完了した。
私は立ち尽くした。どうして自分がこんな簡単に着替えをできる日がくると想像できただろうか。
身体を包んでいた布を放り捨てて立珂様の待つ部屋へ戻ると、私の姿を見て母は膝から崩れ落ちた。
「なんてお洒落なの……!」
「……立珂様は神様なの?」
「う? 僕は有翼人だよ」
立珂様はこてんと首を傾げた。にこりと愛らしい微笑みで、それは今起きているのは何でも無い日常だと言っているようだった。
同じ有翼人とは思えない。幻だと否定することで悔しさを堪えていた。けれどその奇跡が私にも与えられた。ほんの数分で私は奇跡が日常になったのだ。
私は立珂様に駆け寄り膝を付き、思わず両手を握りしめた。
「お礼をさせて下さい! お金は無いですが、何か、何か」
「じゃあ羽根一枚ちょうだい。うちの店は一着羽根一枚と交換なんだ」
「そんな汚い羽根捨てるだけですよ!」
「うちは使い道あるから集めてるんだ。抜けたの貰うね」
「は、はあ……」
薄珂様は抜けたばかりの羽根を一枚広い、腰の鞄にぽいっと無造作に放り込んだ。
それは捨てるだけの羽根だ。立珂様のように美しいわけでもない。そこらの落ち葉と似たようなものだ。埃を舞散らすことを考えると落ち葉より質が悪い。
お母さんを見るとやっぱり不安そうにしていたけれど、そんな私たちの顔を見た立珂様はぴょんっと跳ねた。
「じゃあ今度おみせに来て! それでお洒落な姿見せて!」
「もちろん行きます! けどそれじゃあ私が幸せなだけです」
「しあわせになってくれたらそれが一番うれしいよ! 笑顔見せに来てね!」
じわりと胸が熱くなり、涙がこみあげてくるのが分かった。
奇跡を与えてくれただけでなく、幸せを喜んでくれる。会いに来てと言ってくれる。
薄珂様が何故あれほど愛おしそうに立珂様を見つめて微笑んでいたのか、私はようやく分かった。
美しいのは羽じゃない。心だ。立珂様は心が美しいんだ。
羽は心だとどこかで聞いた覚えがあった。それがどういう意味かは分からないし気にしたいことも無かったけれど、きっとそれは真実なのだと感じる。
私はもう一度強く立珂様の手を握りしめた。
「行きます! 絶対行きます!」
「うん! 約束だからね!」
立珂様はにこりと微笑み家を出た。外には迎えに来たのか、女性が一人立っていた。身なりの良いいかにもお嬢様といった風で、ぺこりとお辞儀をしてくれた。駆け寄る立珂様を抱きしめて、立珂様はばいばいと手を振ってくれた。
そうして私の二十二年間の苦しみは一瞬で全て消え去り、私の心は立珂様の眩しい笑顔で満たされていた。