Lizette~オーダーケーキは食べないで~ 第二話 殺意の生クリーム
生クリームの女がいなくなり、葵は二人用のテーブル席でリゼットと向き合って座っていた。
透明度の高い紅茶を飴玉にしたような瞳に見つめられ、なにを話したらいいかわからない葵は気まずくなる。すると、騎士のような男性店員がショートケーキをワンカット出してくれた。金に縁どられた真っ白なお皿と、上品なホワイトゴールドのフォークはリゼットに相応しい食器だ。
「どうぞお召し上がり下さい」
「安心して。それは単なるケーキよ。オーダーケーキは出さないわ」
オーダーケーキとはさっき魔法の様にして作られた芸術品のようなケーキだろう。出されたケーキはいわゆるショートケーキで、芸術品というほどではない。本当に大丈夫か疑っていると、リゼットは平気な顔で一口食べた。とくに妙なところはなさそうで、葵も恐る恐る口に運んだ。
「うわ! 美味しい!」
口に含むと生クリームの甘い香りがいっぱいに広がって、スポンジは綿のようにふかふかで癒される。ケーキにこだわりのない葵でも、モブ同然のショートケーキとは違う逸品であることはわかった。注文したわけではないし値段すら聞いていないが、食べる手を止められず即座にワンカットを食べ終わってしまう。
「気に入ってくれたかしら」
「はい! こんなおいしいケーキ初めて! もうワンカット頂けますか?」
「もちろんよ。でも気を付けて。私のケーキは心を具現化させるから」
「はあ……?」
気を付けろとは、食べすぎるなという意味だろうか。あまりピンとこなかったけれど、リゼットは視線で騎士にもう一皿用意させた。ケーキを前にすると疑問など忘れてしまう。フォークを取ろうとしたが、騎士がガラスのカップとソーサーを出してくれた。ポッドを傾けると彼の髪とよくにたブラックコーヒーが注がれる。
「お召し上がりください。ショートケーキに合う豆を選んでおります」
「あ、ダメよ。ケーキには紅茶でしょ」
「いいえ、コーヒーがよろしいかと」
「リンの好みは聞いて無いわ」
「リゼの好みも聞いておりません」
二人は睨み合いバチバチと火花を飛ばした。リンと呼ばれた騎士は、葵を振り返って会釈するように少しだけ腰を曲げて囁いた。
「葵お嬢様はどちらがお好みですか?」
「……コーヒーがいいです……」
「承知致しました」
葵はその整った顔面の力に負け、あっさりコーヒーを受け取った。リゼットは不満げにぶうっと頬を膨らませて肘をついた。
「葵ちゃん、顔で選ばないでよね。リンのついでなんてコーヒーにも失礼よ」
「いえ、そんな事は――……え?」
図星を刺されて思わず目をそらしたけれど、はたと違和感に気が付いた。
葵は名乗っていない。先ほども向日葵という単語を口にしていたが、偶然ではなく意図的だったのだろうか。そういえば、招待状が届いたのならどこかで個人情報を手に入れているということだ。百貨店かなにかの系列かもしれないが、それにしても顔と名前が一致しているのは妙だ。名前だけでは顔までわからない。
不思議に感じてリゼットを見つめると、リゼットは席を立ちフィギュアスケート選手がリンクでするように優雅に膝をつき胸に手を当てた。
「ちゃんと挨拶してなかったわね。私はリゼット。リゼって呼んで。こっちはリンフォード。リンでいいわ。お飲物のおかわりはいかが? ミルクティがお勧めよ」
まだコーヒーは残っていたが、有無を言わさずガラスカップを交換された。事情がわからずにいたが、外でドサドサっと大きな音がした。窓を見ると真っ白に染まっている。白い何かがべっとりとくっついているようだ。
「雪、じゃない。生クリーム? 生クリームですよね、あれ」
「やだ。まさかもう? 思ってたより早いわね」
「二人共、壁を背に」
「え? あ、はい……?」
こっち、とリゼに手を引かれて窓のない壁にぺたりと背を付けた。リンはまったく表情を変えておらず、壁に立てかけてあった物を手に取った。リゼも表情を変えていないけれど、葵は驚き目を丸くした。なにしろリンが手にしたのは剣だったからだ。細身ですらりとしているけれど、鞘や柄は物語の騎士が持っていそうな繊細な装飾が施されている。黄金に輝く鞘から抜くと、リゼに鞘を預けて窓に向けて剣を構えた。
二人がなにをしようとしているのか分からずにいると、なにかが軋むような音が聞こえてきた。ミシミシという音が大きくなると、リゼに頭を抱え込まれる。
「顔上げちゃ駄目よ」
「は」
はい、と返事をする間もなくバリンと音を立てて窓が割れた。窓を見ると、割った犯人は想像もしていない物だった。
「なにあれ! 生クリームが動いてる!」
犯人は窓にへばりついていた生クリームだった。生クリームは意思があるかのように飛び跳ねて、割れたガラスを呑み込みながらにじり寄ってくる。おもちゃのスライムのようにどろどろしているわけではなく、高級なショートケーキの生クリームのようにトロリとしていた。
「ちょっとリン。さっさと追い返してちょうだい」
「わかっている」
リンは躊躇せず生クリームへ向かって行った。生クリームもリンに気付いたのか、一点に集まりぐにゅぐにゅと固まっていく。呑み込んでしまうつもりなのか、生クリームは飛び上がりリンを押しつぶすように落下した。
「リンさん!」
「大丈夫よ。ほら、リン。無駄な演出いらないからさっさとして」
「わかってると言ってるだろう」
リンは落ちてきた生クリームを切った。液体だから切っても意味はないと思ったけれど、葵の目に映ったのは真っ二つに分かれた生クリームだった。液体ではあるようなのだが、切られた通りに分裂している。リンがもう一度剣を振り上げると、恐れるように生クリームは窓から逃げて行った。
「なん、ですか……今の……」
「君を狙ってきたんだ」
「私⁉ 何で⁉ どうして⁉」
「それは犯人に聞かないと分からないわ。でも生クリームはオーダーケーキの材料よ」
「材料? オーダーケーキって普通のケーキと違うんですか?」
「オーダーケーキは心の闇。奥深くに眠る願望が具現化したものよ」
「願望? でもあれ、私を狙ってるんですよね」
「そうよ。あなたを殺したい人がいるの。死にたくないならオーダーを決めないとね」
「なんですかそれ。生クリームになにができるっていうんですか」
「葵ちゃんを殺せるのよ。口に飛び込んで窒息死。背後から突き飛ばして事故死。もしくは自ら死を選ばせるか」
「は⁉ なんでですか! 選ばないですよ!」
「選びたいと思うように仕向けてくるのよ。例えば、向日葵の求める太陽の笑顔で微笑みかけたりね」
向日葵と太陽。それは葵が翔に思ったことだ。
「……翔先輩が私を殺そうとしてるっていうんですか?」
「それは私には分からないわ。でも甘い誘惑には気を付けないとね」
リゼは穏やかにゆったり微笑むと、生クリームの女にしたように葵の頬を撫でた。その手はショートケーキのスポンジのようにふかふかだった。
「逃げられちゃったし、こっちも準備ができてないから様子をみましょう。もし家で襲われたらこれをかけて逃げていらっしゃい」
リゼはガラス製の棚からアンティーク風のガラス瓶を取り出した。二百五十ミリリットルのペットボトルほどあるが片手で握れる程度だ。形は雫型だが、底と蓋は黄金の装飾が施され直立するようになっている。栓には水晶のような透明の石がはめ込まれていて、抜けば開く簡単な物だ。瓶の中では柔らかそうなミルクティが揺らめいていて、水面には星屑が舞っている。
「これをかけるんですか?」
「ええ。生クリームは紅茶で溶けるのよ」
受け取って良いか迷ったが、強制的に持たされる。待っていたかのようにリンがエスコートの手を差し伸べてくれて、葵は導かれるように店を後にした。
夢のような空間から現実に戻ると、辺りは既に夜だった。生クリームが圧し掛かっているような重い足取りでベッドに入ると、リゼットから知らされた殺害予告をぼんやりと思い返していた。
「私を殺す? 先輩が?」
遠野翔は不思議な男だった。弟最優先で付き合いは悪いのに男女問わず好かれていた。いつだって太陽のような笑顔は人を惹きつけ求められ、手が届きそうだと思ったら弟の元へと帰って行く。弟以外を優先することはない――それはつまり、太陽のような眩しさは外面で、内面はそうではないのかもしれない。
逆恨みで殺そうとするなんてありえないと思う反面、モブでしかない葵は違うと言い切ることもできなかった。
「でもどうして私なんだろう。あの私信も、よく考えれば変よね。長いし文体も固いし」
スマートフォンを立ち上げ、わざわざ私信で届いたメッセージを見直した。メッセージ内容はこうだ。
『やっぱり行きます。場所が分からないので十五時に改札まで迎えに来てくれませんか。一人で来てほしいです』
もらった時は喜んだが、落ち着いて考えてみれば内容にはいろいろと違和感がある。
「……場所わかるわよね。神社なんて大学のすぐ傍じゃない。もしかして、お祭りに行く気はなかったんじゃない? 他に目的があって、それに私が必要だったとか」
なにかおかしい。そう思ったときだった。部屋の片隅でなにかが蠢いた。虫でも湧いたのかと目を細めると、いたのは真っ白い生クリームだった。どこからともなく生クリームが染み出ている。
「嘘っ!」
生クリームはぐぬぐぬと集まりなにかを形作っていく。少しずつ手になり足になり、上半身が完成するとついに顔が完成した。できればその顔にはならないで欲しいと願っていたけれど、現れたのは予想通りの顔だった。
「翔先輩……」
生クリームは翔の顔を作り出した。いつも太陽のような笑顔を見せていたのに、怒りを露わに歯ぎしりをしていた。まるで、葵を殺したいといっている姚だった。
(第二話 終了)
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