自由に湧き出てくる、まとまらない断片的な感覚のようなもの
珍しく大人とのやり取りが多い一日だった。
朝、妹から電話がかかってきて小一時間話す。
夕方からはママ友と久々のお茶。
また別のママ友とも、子育てのあれこれをLINEでやり取り。
なんか濃密!
というのも、最近大人とほとんど話してないからだなとふと思った。
最近話す大人って、夫かせいぜい学校の先生とかくらいだ。
夫とはよく話すし、娘や学校の子供たちともたくさん話すので、寂しさは全然ないけれど、大人と話すのってなんか新鮮だなぁ、久々のシャバの空気、みたいな気持ちになった。
一方で、大人の話は人間関係の悩みの話が多くて、いやいやそうだよなぁ、最近大人に会ってないから人間関係の悩み自体なかったけれど、そういえば悩みって大体そういうもんだったよなぁと思い出した。
フリーで占いやヨガやコンサルのような事をしている友達が、一時期少しだけ派遣か何かで、人生で初めて週5で会社勤めをした時、いや〜これはなかなかすごいことだよね〜と遠い目をして話してたのを思い出す。
正確な表現は忘れたけれど、人の関係が濃すぎてお腹いっぱいみたいな話をしていて、いや本当にそうだなぁとしみじみ感じた。
特に今日は、お茶していても、人の想念というか、存在というか、言葉の裏側の気持ちみたいなものがドバーッと流れ込んできて、なんだかちょっと溺れそうな気持ちになった。
仕事をしている時は、ストレスはありつつも、刺激もあってそれなりに楽しいと思っていたし、専業主婦には向いてないかなぁと思っていたけれど、ほとんど仕事という仕事をせずに、ほぼ専業主婦状態の今の方が、蓋を開けてみると圧倒的に楽しく、自分では気づいてなかったけれど実はめっちゃ向いてるのではと思ったりした。
人とある程度の距離があるということは、自分にとってとても大事な事だなと思った。
色々な人がさまざまな人間関係で悩んでいる。
特に今日は、人間って根っからマウントを取ろうとしてしまう生き物なのかなぁと感じる話が多く、もちろん自分自身にもたくさん思い当たる事があるからこそ、なんだか少しお腹いっぱいな気分になった。
ホルモンバランスの周期的に不調な時期なので、動悸がしてソワソワと落ち着かず、よせばいいのに朝に夫が作ってくれたコーヒーを少し飲んでしまったのもソワソワを加速させた。
満月が近づいてるのもあるのかな。
こういう時、昔なら辛すぎてたまらず、あぁまた余計な一言をLINEで送ってしまい、相手を傷つけたのではなかろうかとか、終わりのない1人反省会が始まり、1人で自分を苦しめていたけれど、
今はとりあえず一時的な脳の誤作動の時期だよなということはわかるので、動悸は辛いけれど、まぁこの時期が過ぎ去るのをじっと待つしかないよな、、と諦めつつ過ごす。
脈絡はないけれど、最近図書館の返却本コーナーにあった星野源のエッセイを適当に借りてパラパラ読んだら、とても良いことが書いてあって刺激を受けた。
ただ何が良かったのか何も思い出せない。けれど今の自分にとって大事な事が書いてあった。
音楽家だからといってハイレゾの音質の良い音源で聴かねばみたいな制限を自分にかけるんじゃなく、スマホでサクッと音楽を聴くのが今一番気分に合っている、音楽を聴く側としてのリアルを忘れないようにしていたいみたいな話とか、
文を書くことは、自分がどう見られるかという自意識から演出してしまったりしがちだけれど、そうではなく見たもの感じた事がそのままストレートに表現されているのが良い文だと思うみたいな話だったかな。
かなり適当な記憶なので全然違ったらごめんなさい。
昔、新幹線で出張する度に、駅で適当な文庫を買って読むのが楽しみだったような気がするけれど、たまたま手に取ったエッセイを読むのって楽しいよなと改めて思った。
ホルモンバランス的に情緒不安定になる時期が中高生くらいからあってずっと辛くてどうにかしたかったけれど、今初めて、この情緒不安定でなんか理性でコントロールがきかず、感情になる前の未分化な感覚のようなものがとめどなく溢れだす時期の自分のことが、なんか大事だなぁと愛せる気がした。
多分元々理性でコントロールせねばみたいな思考が強めなので、この時期のドバーッと溢れ出す混沌とした感情はいつも抑圧されて肩身を狭くしていたけれど、自由に湧き出てくる、まとまらない断片的な感覚のようなもののおかげで、新しいことが始まったり、新しい気づきが得られたりしてるのだなと思った。
いつも以上に取り止めがないけれど、すべて明日の満月のせいという事にしてしまおう。
おやすみなさいませ。
明日はお月見ですね。晴れますように🌕
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